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愛憎芸 #45 『人生は演劇かつ群像劇、日記をともに書き、読むこと』【文学フリマ38に出店します】

マリオカートの世界記録動画に救われた

 世界記録ペースでマリオカートが駆ける動画を見て救われた。わたしはマリオカートに明るくない。何度かプレイ経験もあるけれど、何をどうすればタイムが縮まるのかは知らない。まだ、現実で車を運転することについてのほうがよっぽど詳しい。教習所にも通い、仮免許の試験の際になぜか一時停止を守れなくて一回落ちて、それ以来一時停止については細心の注意を払うようになり、昨年ゴールド免許で免許を更新した程度には、詳しい。

 自らの法令遵守を自慢したいわけではない。繰り返しになるがマリオカートについては知らない。だから想像でしかないのだけれど、その動画の中でプレイヤーは、要所をすべて抑えてルイージを爆走させていた。ときに「バグなのでは?」と思わせる技術も用いながら、無駄なく、ただ最速を目指し、おそらく一度のミスをすることもなくFinishしていた。それはマリオカートに明るくないわたしをもうならせるものだった。世界記録を目指してマリオカートをプレーすることはこれからの人生にもないのだろうけれど、わたしの知らないどこかの世界で、懸命にそれに取り組んでいる人がいる、それをわかったことで深い安心感を手に入れた、「救われた」のだと思う。どこか肩の荷が下りていた。

日記を並走して書くということ

 自分の人生というものが、実は芝居『世界』という群像劇の一部に過ぎず、今この瞬間も誰かの人生との並走を重ねているのだということを強く意識するようになったのは、昨年11月18日から参加した日記屋月日の『日記をつける3ヶ月』というワークショップに参加したからだった。日記をつけるワークショップ、という文字列と、ちょうど引っ越しの翌日、つまり引っ越した翌朝が日記をつけ始める日と設定されていたこともあり直感に従って応募した。その時はファシリテーターのphaさんのことも知らなかったし、日記はごく個人的な営みだと思っていたのもあって、他に参加者がいる、ということもあまり強く意識していなかった。「新生活の日記を書ける!」と内向きなモチベーションが高まっていくばかりだった。

 ワークショップは、「半クローズド」な形で行われた。Googleドキュメントを通して日記を執筆する。それらの日記へのリンク集は、参加者とファシリテーターたるphaさん(と、月日スタッフ)にだけ共有され、みんなお互いの日記を読むことができる。この仕組みによって、少なくともそのワークショップ開始以降の各々の日々に関しては随一詳しい人々がどさっと生まれる、という特異な現象を目の当たりにした。

 年が明けてワークショップ自体があと2回になってくるとみんないよいよ寂しくなってきた。わたしは当時勤めていた会社が人生スケールで稀に見る生理的無理さのある社風で、心を擦り減らしていたところだった。そんな中でワークショップ後に開かれた魚民での飲み会は、わたしに「何もあなたのいるそこだけが世界じゃないよ」と気づかせてくれた。

 別にその場で何を言われたわけでもない。そこには「日記を書く」という淡い共通点をもった10数名がいて、誰かがそこに至るまでの思い出話をしているところ、いわば「日記には書いていなかったけれど仮にそのとき日記を書いていたらきっと日記に書いていたであろうこと」にみんなで耳を傾けている時間が流れていた。半年間日記を書き、読み続けた今ならあの光景をそういう言葉にする。誰かの思い出話は「その人が日記に書いているたはずの話」。

そもそも、ずっと交換日記をやっていたから

 寂しくなったから、みんなで何かやりたいとなる。わたしたちインディー文芸愛好家の目の前には、すでに先人によって「ZINEを作る」ことと「文学フリマで売る」ことという、「作って世に出す」ための土壌が築かれていた。ワークショップ最終回の日(もう3カ月以上前!)にはとりあえず5月の文フリに出ましょう、という話がまとまり、打ち合わせを経て(そのあいだにわたしは退職→再就職して)本の内容は交換日記に決まった。ワークショップで書いた日記をまとめるのではなく、そのあとの日々の日記を交換した。厳密には交換日記というより日記のリレーであり、前の人の「質問」を受け、日記と一緒に解答しまた質問を投げかけていく。その繰り返しによって、少しだけ前の人の過ごした日々が、人生が次の人に重なって、その人なしでは書かなかったことをわたしたちは書いていく。主にそういう内容で、15人による交換日記を3周続けたものが今回本になった。

 思えばワークショップ中も同じことをしていた。ビッグダディでもあるまいし、ふつうに生きていたら固定した15人分の人生を見ることはないし、まして読むこともないだろう。ところがGoogleドキュメント上で誰かの日記を読み、自らも書いたあの数カ月(今もだけど)は、それを可能にした。自分と一切関係のなかった誰かの人生が、自分の人生にじわじわしみこんでいく。生活の中でふと「あの人もこのこと書いてたな…」とちょっとした重なりを覚える。自分は会ったことがないのに、その人が会った人物のことを考える。その人の日記に何度も登場する人の名前を覚える。その人と同じ目線で、その人が会う人に愛おしさを覚える。日記という媒体だからこそ広がる想像の旅。そんな旅から自分のGoogleドキュメントに帰ってきたときに書かれる日々が、その人たちの影響を受けていないわけがない。わたしたちは、ずっと交換日記をやってきたのだった。その一部が本になるなんて、あの特別な日々が本になったようで、ある参加者が仰る通りそれはまるで奇跡のようだ。

寿司食べ放題・あなたにはあなたの人生があって

 GW中、3カ月ぶりに会う友人と寿司の食べ放題に行った。高級寿司と言われるそれがほんとうに高級なのか、わたしの舌では判断がつかなかった。「高級な寿司は、食べ放題できるのか?」とも思った。ただただ、久々に食べたうにが「磯を、まるごと食べている…」と感じるに過ぎなかった、そんな食事。

 わたしが今でも会う大学時代の友人はたいてい、「常に今が一番仲が良い」を更新し続けている人ばかりである。常日頃連絡を取り合うので、久々に会う感じがしない。今の友人、としてアップデートを積み重ね、お互いを必要としていることがはっきりとわかる。

 けれどその日会った彼は違った。大学2年生のときのわたしたちが、人生で一番が仲が良かった。あそこが絶頂だった。確信してる。その後は、ずっとあの時の友情がわたしたちの関係を保っている。

 お互い価値観も変わってしまった。年相応でいなきゃと大学時代の趣味を次々手放していく彼と、相変わらずちゃらんぽらんに直感に従って生き、「今度本出すねーん」というわたし。この状態で出会ったら友達になれていただろうか。友情のもろさを知ったし、さみしさにまかせて余計なことをたくさん言いそうになったけど、言わなかった。あの時の情が余計なことを一つも言わせなかったのだと思っていた。

 でも、違うかも。「あなたにはあなたの人生があって」という言葉にようやく心の底からうなずけるようになったかもしれない。日記を書き、読み続けたわたしはもう、この世界は群像劇だと知っている。知っているから、それを捻じ曲げるに値する「人の人生に対する赤入れ」をためらった。わたしたちがあまり会わなくなった4年の日々、もしあなたが日記を書いていたら読んでいたかもしれない日々が確実に存在する。仮にそれを読んでいたならば、あなたが今発している価値観や言葉が、たとえ100%納得できないものであってもうなずくことはできるんだと思う。あなたの日記は存在しないし読んでもいないけれど、変わらずあなたのことを大切に思うよ。

『15人で交換日記をつけてみた 「日記をつける三ヶ月」のあとの三ヶ月』

装画・装丁 星野ちいこ


おしながき製作 qb.

まずは文学フリマ38で販売します。その後は蟹ブックスや日記屋月日でも置いてもらう予定…!

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