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愛憎芸 #30 『プライドと整列』

 土曜朝10時の西友に行った。緑色の野菜たちが意気揚々と、それでいて礼儀正しくかごの中に並んでいた。今にも走り出しそうなキャベツ、わたしがわたしがと自己主張の強い長ネギ、普段よりもひとつひとつが大きく見えるピーマン、が誰にも奪われず、けれども誰かに奪われることを待ち望んでいた。普段見られない景色だ。箱ティッシュを切らしてよかった。買いに行ったおかげで見られた光景。3年住んで——一人で暮らしてから初めてのこと。旅行して見る遠方の地の景色より優れているとは絶対に言わないけれども、この野菜たちもまた、わたしにとっての稀有さという意味では等しく価値を持っていた。

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 家系ラーメン屋の誇りたる「酒井製麺のハコ」を裏口に無造作に並べ、さらにその上からバケツを置いている不届きものの家系ラーメン屋が作る家系ラーメンはやはり美味しくなかった。家系ラーメン・二郎系ラーメンはこってりしていることが世間的に認知されているので多少なりともベタつくから汚れていてもいいでしょうと勘違いをしている武蔵家出身の家系ラーメン屋を時々選んでしまうが、そんなのは驕りであり大きな間違いである。そもそも家系ラーメンたるや。武蔵家系や資本系(魂心家など、「横浜家系ラーメン」とうたっているチェーン店のこと)でしか家系ラーメンを食したことのない方々には、ぜひ一度横浜関内まで足を運んでいただき、本家総本山「吉村家」を訪れていただきたい。そもそも店の種類として全く異なる。

 美味しいとされる都内の武蔵家系の家系ラーメン屋の光景といえば、所狭しとほぼないような動線を客が譲り合って行き来し、ライスが無料で食べられて、店員が普通に生きていく上では必要のないほどの大声で「セイー!!」と叫ぶ、というものを思い浮かべるだろう。わたしほど家系ラーメン屋に通い詰めれば、決して武蔵家や武蔵家出身の家系ラーメン屋であっても美味しいとは限らないということを知っているので、店選びはかなり慎重になる。都内の武蔵家ならば明大前店、御茶ノ水店は間違いない。武道家は本店より中野の二代目の方が美味しい。その他、阿佐ヶ谷のあさが家、駒沢大学のおか本、荻窪の龍、武蔵家総大将が開店した三浦家は優秀。独立系では中野の五丁目ハウスは別格のお店である。ちゃんとおいしい家系ラーメンが食べたいというときには、上記ご参考にされたし。

 吉村家の厨房は大きい。だだっ広い厨房では職人たちが各々の工程でベストを尽くし、ラーメンを作り上げており、それはかつて見た工場の工程に近い。度肝を抜かれるのは家系ラーメンに必須である「硬さ・濃さ・背脂」て構成されるお好みコールだ。吉村家は常々に40人近い待ちが発生しており、列が進んで残り10人ほどまで来ると、食券を引き取りに店員がやってくる。彼らは都内のお店と同じように「お好み」を聞いてくる。わたしは「硬めで」と答える。武蔵家などは食券が紙なので、店員たちはその折りたたみ方で区別をしているのだが、吉村家の食券はプラスチックなので折り畳めない。それに、メモを手にしているわけでもないのに、次の、その次の客の「お好み」も聞いていく。終わる頃には結構な人数を聞いているのだが、そのまま彼は店内に戻っていくのだ。そして出てくるラーメンは確かに「麺硬め」が出てくる。吉村家最大の謎であるが、ひょっとするとそれができるようになって第一ステージクリア(従業員としての)ということなのだろうか。ともかく、寿司屋に通づるタイプの職人色が総本山にはある。

 ラーメンの味も、武蔵家のそれとはかなり異なる。武蔵家系は「獣臭」が先行する印象だが、吉村家にはそれがない。かといってあっさりしているわけではなく、どちらかというと塩分を感じる味。それだけならしょっぱい、で終わってしまうのだが、あのラーメンに価値を与えているのはチャーシューのスモーク加減であると思う。そして吉村家以外でも、わたしは家系ラーメンの味の判定においてチャーシューのスモーク加減と家系ラーメンのスープの調和を意識している店に対しては多大な評価を与えている。昨日初めて訪れた蒲田の「飛粋」もまたそれを解しており百名店にも選ばれていた。これを解していない店は意外と多く、そのたびに勿体無さを感じる。

 そうして評価が複雑化していくと、「酒井製麺のハコがある」というのは評価の第一段階にすぎなくなっていた。吉村家をはじめ、酒井製麺が認めたラーメン屋にしか麺を卸さない酒井製麺、家系ラーメン屋の誇り。その存在は家系ラーメンファンの間では有名であるが、最近は「武蔵家出身の店主であれば酒井製麺から麺を卸してもらえる」という状態にあり信用に足らなくなってきた。そんな時はもう、その店に矜持があるかないかで判断していくしかない。そして矜持は結構見た目に現れる。ギトギトが前提のラーメン屋、それでも綺麗にしているのか、店員が発するその大声はプライドによるものなのか、なぜか出しているにすぎない大声なのか。たった3桁の、決して大きくない買い物たるラーメンという食事に対するプライドを真に持っているお店に行けば必ずいい思いができる。家系ラーメンにハマってから8年、わたしに火をつけた「あくた川」のプライドのことを思う。あの店は狭かったけどいつも整っていた。綺麗でなくてもいい、整理整頓がなぜ大切なのかというとても簡単なこと、その意味がわかるからわたしはもう27歳になっているのかもしれない。

 わたしにとって好きな食べ物をベストな状態で食べる。そのために消費者としてできる努力は最大限尽くす。それくらいやらないとおいしいものに安定してたどり着かない、その方がいい。チャーシューはここ、味玉はここ、少しだけ麺が顔をのぞかせるようにして、それでもまずはスープから味わってもらおう――そんな、明らかな意思が介在する飛粋のラーメンはほんとうにおいしくて、矜持があった。

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