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春夏秋冬、TWICE "CRY FOR ME"

 もはやソースも忘れてしまったけれど、日本から四季が奪い去られ常夏になった場合、暗い曲は消え去り、いずれブラジルみたいにサンバが流行するという説を今年の中頃に読んだ。最初は「んなアホな」と思った話だけど、よくよく考えてみると合点がいく。私たちを囲む雰囲気は大雑把に分けても四つある。それらがもし夏だけになったら、夏に合うものだけが残る。いや浴衣でやる線香花火があるだろう、アレはどちらかというと"Chill Out"じゃないのか、サンバしながら線香花火すんのか全部すぐ落ちるわと思ったけれど、そもそもそういうものに趣を感じる価値観は、春夏秋冬の中で育まれていったものなのかもしれない。百人一首では秋に詠まれた歌が一番多いみたいだ。冬へ向かう凍てつく寒さをそっと包むように、南から木々が色付いていくその季節を愛するという事。それらもやがて落葉し、まるで全てを白紙に戻すように雪が降り積り、また桜が色を付ける...物事に終わりがある事、日々移ろう事の美しさを私たちは意識せずとも知っている。線香花火の「終わり」に美しさを感じるとはそういう事だ。

 さて、ご存知K-POP多国籍ガールズグループTWICEは、非常に秋が似合うグループだと私は思っている。今年発表された『BETTER』は久々の秋コンセプトで心躍った。『YES or YES』も秋TWICEだと思っているので、是非チェックしていただきたい。春夏秋冬、ことに秋を奪われると、それだけで私は迷惑するのである。
 ただ、そんなTWICEも、カムバックの度に姿形を変える。時には有名映画の主人公に、時にはディズニー映画の主人公に、時にはイケイケな女の子に、時には...って井口理さんの声が聴こえてきそうだ。一時期は「四季か!?」と思うほどカムバックしていたTWICEも、2019年と2020年はカムバック自体は二度に抑えている。そりゃあメンバーを大事にしていかなければいけないし、JYPとしてはITZYやNiziUをスターダムに押し上げていかないといけない時期なので、当たり前のことではあるが。

 そうやって、曲のコンセプトとして姿形を変えることは広く受け入れられているが、一方で根本的なコンセプトを覆すことはとても難しい。TWICEは2019年の『FANCY』でのカムバック以降、努めて路線を変えようとしてきた。K-POP界隈ではTWICEの路線変更は周知の事実だが、世間的にはそうでもないのが実情だ。私の身の回りにはTWICEもK-POPも追っていない人はたくさんいて、その人たちと「TWICEが実は好きで〜」という話をすると、9割型「TT〜!」と言われる。心のディスプレイ、いつも泣いてる絵文字...まあこれは当たり前で、日本デビュー当時TWICEに全くと言っていいほど興味のなかった自分も、当時からTTだけは知っていた。けれど、大半の人はそこで認知が止まってしまうものだ。つまり世間一般にとってTWICEは「恋するってどんな気持ち?ああもうこの気持ち、抑えきれなくて泣いちゃうよ〜TT」というような、女子中高生の等身大アイドルグループである、ということ。これは暴論ではなくて、フィルターバブルが顕著な今の世の中では、実は結構情報は選べて、興味の範囲内だけで生きていく事が可能だ。興味の範囲外にアプローチできるのが「国民的」ブームで、だいたいパブリックイメージはその時点で止まる。本当は、四季の中に生き、変化する事こそが美しいと知っている緯度で生きる人たちのはずなのに、日々がそれらを忙殺する。大抵の場合オタク界隈における「布教」という行為はその界隈におさまるし、この文章もそれを承知で書いている。それでも時に、TWICEが、ジヒョが2018年紅白歌合戦で私の心を掴んだように、興味の範囲外の人に届き、興味の範囲内に引き摺り込む事がある。それらが連鎖することで、ファンダムというものは大きくなるのだ。

 2020年も暮れである。"TT"の日本語ヴァージョンでTWICEが紅白歌合戦に初出場してから3年が経った。紅白出場記録は3年連続でストップすることになり、この状況下で日本帰国が叶ったNiziUに紅白のステージを託す運びとなった。ITZY、NiziUと妹分が続々生まれた、「オンニ」TWICEは、表題曲クラスではまさに"TT"以来となる「泣くこと」についての楽曲を発表した。"CRY FOR ME"である。いやとんでもない成長である。まさに人生の春と言っていい、駆け抜けるような成長の仕方。恋に恋焦がれ、泣いてしまっていた女の子が、「私のために泣いてくれ」と。終わった恋から抜け出せない、恋の罠は人生の深淵の一つだろう。彼女たちの人生が確実に歩みを進めていることを思わせる、暗く重たい世界観だ。しまいには"Die For Me"である。チェヨンが請け負った振り付けといい、流石にいろいろ重たすぎて、"EYES WIDE OPEN"のリード曲に選ばなかった餅ゴリの判断も頷けるものがある。ともかく、"FANCY"以降取り組んできた「変身」を象徴づける楽曲となったのは間違いない。あの"TT"がある以上、「泣く」楽曲には何かしら示唆するものがある。...文学かなんかか?

 「移ろう事」についての話に戻そう。確かに四季は移ろうけれど、春夏秋冬が終われば次に来るのは春である。そうやって四季は繰り返すものだ。四季だけではなく、私たちの生活はほとんどルーティンワークで成り立っている。就職して、スケジュールの中に身を投じるようになってからつくづく感じるようになった。カレンダーをめくってもめくっても、同じような概念の中に囚われる日々。それが人生の真実。では移ろうものとは——TWICEが示したように、まさしく私たちの感受性である。成長に伴い変わる物事の受け止め方。同じ出来事、季節、風景でも、一緒にいる人、環境、気の持ちようで、大きく変化する。それが、成長であり、人生の歩みを進めていっている証拠だ。
 TWICEはステージの上で、今日も変化し続ける人生を彩り、表現している。いつかまた、大声で「イムナヨン!ユジョンヨン!ももちゃん!さなちゃん!パクジヒョ!みなちゃん!キムダヒョン!ソンチェヨン!チョウツウィ!」と叫ぶ事ができた時、私たちオタクは、これまでの「現場」とはまた違うひとしおの思いで、声を枯らしているのだろう。明日も、人生と直面していく。


 
 

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