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短編小説 『私TWICEになるから』

 「私TWICEになるから」とユミに言われた。私たちは20歳で、故郷の田んぼ道を2人で歩いていたときだった。空の青が田んぼに溜まった水に映されてどっちが上か下かわからないなと思ったことが何度かある。私は大学進学に伴って上京したけれど、ユミは今も田舎に残って「家事手伝い」をしている。久々に見たユミはやけにシャープな見た目になっていて、家事手伝いはそんなにハードなものなのか、まあそれこそ家に依るのか、と思っていたが、どうやら歌って踊る練習を毎日していたため必然的に痩せた——締まった、ということのようだ。K-POPは、歌って踊らなければならないから。

 「TWICEはもう既に9人でTWICEで、それ以上増えることはないんだよ」と私は言った。伝える必要のない言葉であることはわかっていたが、私はずっと、ユミに真実を伝える役回りだったから仕方ない。ユミが「でも、私がこれから努力してすごく上手くなって、ジヒョみたいな歌唱力を手に入れて、モモみたいに踊れるようになってチェヨンみたいにラップできたらTWICEに入れてもらえるよね?」と私の話を一切ふまえずに言うので、「それじゃあ、ユミはTWICEに入りたいんじゃなくてTWICEになりたいんじゃん、ならTWICEに入ろうとするのは間違ってるよ」と他の側面から教えたけれど、ユミは要領を得ないようで、不思議そうな顔をしていた。

 私はより詳しく説明した。K-POPアイドルになるためにはどうすればいいのか。例えばユミの好きなTWICEのミナやサナは事務所のスカウトを受けたこと。こんな田舎町ではなく、たとえば大阪のような大きな街を歩いた方がスカウトされる可能性が高いこと。スカウトのほかに、オーディションを受ける手があること。そのオーディションもTWICEになるためのオーディションではなくて、あくまで事務所に所属するためのオーディションだということ。それから多くのアイドルが、10代の中盤くらいまでには練習生になっていること。私たちはもう20歳だということ。説明していて私たちが20歳であることを知り落ち込んでしまった。ユミはメモこそ取らなかったが、一つ一つの説明に聞き入っていた。まるで知らない世界が目の前に広がっているかのように。無知は時に希望であることを認めながらする説明という行為は先細る私の人生を示唆するようで嫌だった。

「私もTWICE好きだよ。推しはジヒョ」
 実際、私はTWICEのファン——通称ONCEだった。多くの人と同じように、『TT』が流行った際にファンになって、今なお応援している。
「私、曲はあんまり知らないんだよね。たまたまFeel Special?って曲のライブパフォーマンスを見て、私はTWICEに入りたいって思ったの」
「どうして?」
「ううん、よくわかんないの。直感」
 『Feel Special』は孤独や苦しみ、しかしながら仲間がいることで生まれる希望を歌った名曲で、当然TWICEのファンにとっても大切な曲となっているが、『TT』の国民的現象で作られたパブリックイメージとのギャップにより、世間一般にもウケていた曲だ。そしてそれしか知らないということは、ひょっとすると彼女はTWICEのファンそのものではないのかもしれない。ただそのライプパフォーマンスを見て、自分もそこに居たいと思っただけの人なのかもしれない。

 直感。その時のユミはどう考えても、才能ある奴の振る舞いをしていた。私とは違う。TWICEに入れるという人間の脳髄はどうなっているのだろう。無謀か?ひょっとすると才能がある、少なくとも行動に移せるタイプの人間なのだと思った。TWICEになれずとも何者かになれるのかもしれない。しかし私はユミが踊っているところどころか、歌っている姿すら見たことがなかった。だから、せめてカラオケに行こうと私は言った。それであまりにひどければ、どうにかして止めればいい。ユミは美人だし勉強もできる。夢に時間を費やさずとも、うまく生きて生計を立てる術はいくらでもあるはずなんだから。だからカラオケに行こう。
「でも、今はカラオケ、どこもやってないよ」
 ユミは多分笑っている。マスクをしていても、笑っているかどうかは目元を見ればわかる。けれど、たとえば彼女がTWICEになりたいとか入りたいとかそういうことの本気度まで掴むことは難しい。その笑いがどういう意味を含んでいるのかもわからない。細かいニュアンス。いつしかプロフィール帳は履歴書に変わり、そこに将来の夢欄は存在しない。あれを書くのは大好きで人のを見るのも好きだったけど、今ある事実は少しシャープすぎるのだ。

 ほどなくしてオーディション番組が流行った。様々な番組を勝ち残ったアイドルたちがデビューしていく。東京に戻ってから六畳半のワンルームでそういう番組を見るたびにユミの姿を探したが、彼女が登場することはなかった。本当に田舎の田んぼでひたすら歌と踊りの研鑽を積んでいたらどうしよう。ただひたすら誰に見られることなく、TWICEを目指していたらどうしよう。仮にそのまま死んだ時彼女の人生はなんだろう。彼女の努力はどこへ行くのだろう。地球は最終的に赤色巨星となった太陽に飲み込まれるのだけれど、だからといってすべての努力が等しく無駄であるというわけではあるまい。一方私はこうやって自分以外の誰かの人生を憂いてみたり宇宙規模で物事を考えることで、年を重ねるごとに自覚していく、自分の体がただの入れ物になっていく感覚から逃れようとしていた。


 就職活動が始まって、私は初めてTWICEになりたいと思った。TWICEに入りたいと思う一方で、名前を知られている有名な企業に入りたいとも思った。漠然とした夢を持つことは、どうしてこうも正しい努力の仕方を知らない人間や、明確な夢のない人間の心を救うのだろうと思った。TWICEの持つ名声に憧れた。空港で報道陣に向かって手を振ってみたいと思った。超満員の東京ドームで感極まって涙したいと思った。そういう名声の上に立つ暮らしをしたいと思った。ジヒョは自らの手でベンツを運転し、元彼の家に向かっていたという。志だけは高かった。心を無にしてエントリーシートを埋めた。志望動機は食いっぱぐれないためにお金を稼ぎたいからです。これはきっとサイレントマジョリティー。

 人生に絶望している割に小回りは利くので内定が出た。内定が出た瞬間思い出したのはユミのことだった。高校時代の義務的な付き合いはたいていの場合大学二年までで終焉を迎えるが、私たちも例外ではなかった。大学三年の冬に帰省したとき、ユミは忽然と姿を消したのだ、と高校の同期のサクラちゃんが教えてくれた。サクラちゃんはユミと中学時代からの付き合いだったが、ユミがTWICEになりたいことは知らないようだった。ユミに電話してみてもつながらず、LINEは帰ってこなかった。人間関係のリセットを行なっている人を初めて見た。

 東京ドームにTWICEを観に行った。2年ぶりの来日公演、響き渡る『The Feels』。TWICEは相変わらず9人だったしそこにユミはいなかった。ナヨン、ジョンヨン、モモ,サナ、ジヒョ、ミナ、ダヒョン、チェヨン、ツウィがいた。例えばバックダンサーとかにユミが混じっていれば面白いと思ったけど、マスクをしていてわかりにくいし、どうもユミらしき人はいないようだった。それに、「そこ」まで上り詰めたら事前に連絡がくるものだと思った。少なくとも私は、ユミの「TWICEになりたい」想いを伝えられていた人物だったのだから。

 ともかくユミがどこかにいるかもしれないという淡い期待は薄れ、目の前のTWICEに集中する時間が流れた。二年間一人イヤホンの中で聴いていた曲を、東京ドームの大音量の中聴くのは劇的な幸せを私に与えた。私はこのまま、TWICEにならずに社会に出ていく自分のことを思った。将来の夢がいずれなくなるなら将来の夢欄は法規制して無くすべきだろう。どうして目を輝かせている人が褒められたんだっけ。私の子供にはサラリーマンへの憧れを抱いてほしいな、でも私はTWICEになりたくてなれなかった女だから、見せられる背中は未練の固まりでしかないな。未練から学ぶことってなんだろう。粘り強さだったりしないかな。未練という文字を見て粘りが想起されるのは駄菓子の「タラタラしてんじゃねーよ」のせいな気がする。そういえばユミは「TWICEになりたい」とは言わずに「私TWICEになるから」と言ってたな。絶対に無理なことをどうして断言できるのだろう。今もそうなのかな。スクリーンに映ったミナが投げキスをして、隣にいた男が「うぐぁ…」と声を漏らしていた。

 規制退場の順番が後のほうだった。ずいぶん場内の客も減って、負荷がかかっていた回線の重さも解消されたのでTikTokを開いた。TWICE関連の動画がおすすめに表示されるので何も考えずに閲覧していく。TikTokを見ているときは空虚さを時代のせいにできるから好きだ。画面を上にスワイプしながら、今日の公演を反芻する。TikTokもYouTubeもTwitterも、私の人生におけるBGMでしかない。考えは、意識は別なところにいつもある。それにしてもTWICEはすごいな。TWICEは……感心していたら、見覚えのある顔が画面上を覆い尽くした。顔のドアップだがそれはどうやらユミだった。カメラが引いた。『I Can't Stop Me』を踊っている。ずいぶんと露出の激しいピンク色の水着を着ながらユミは踊っている。胸が揺れてる。私はユミのスタイルについて考えたことがなかった。胸は大きいけどこれは大きいだけだ、いわゆるアイドルになるための努力というのは微塵も感じられなかった。踊りも決して上手くない。ガチャガチャしている。——なんだこれ。プロフィールを覗くと都内のインフルエンサーらしい。上京してんのかよ。いや、インフルエンサー?ユミが?

 気圧の違いによって、東京ドームを出るときにはものすごい暴風に煽られる。回転扉の中で一瞬だけ一人になる時間がありおそらく誰にも聞かれずに叫べると思ったので、叫んだ。

「TWICEはどうした!!」

 風が止んで静寂が訪れる。水道橋。外には火照っているファンたち、電池の許す限り光り続けるキャンディボン。せめてマルチ商法にハマってるとかさ。なんかまだそっちの方が腑に落ちたよ。どうしてそんなに賢い真似をしているの?あんたの真っすぐでアホで純粋なところが私は好きだったしだから東京ドームのステージをくまなく探したりしたのだけれど。インフルエンサーは、賢い。計算高い。そういう人たちじゃん。私が空虚さを深めたこの2年の間であなたは何を見てきたの?TWICEは相変わらずTWICEだったよ?

「久しぶり」
「久しぶり~」
「今日さ、TWICEのライブ見てきたよ」
「あーTWICE、いいよね~!」
「は?いや、あんた記憶喪失にでもなったの?私TWICEになるからって言ってたよね」
「あーあの時は、そうだね。でもさそんなんやっていけないじゃん、そうだってアッコが教えてくれたじゃん、だからさー、いろいろ頑張ってみたけどまあ私に向いてるのはこれかなって、すごいんだよインターネットって意外と稼げてさ、コツもあるし頑張ればだれでも……」

 なんでかつての友達とのやりとりを、認証マークのついたTwitterアカウントを通してDMで行わなければならないの?ユミは私を快く出迎えてくれた。快く?出迎える?それって友達同士の関係性なんですかね。

 つまるところ、痛いほど純粋だったのは私の方なのである。TWICEは今年も、夏ごろきっとカムバックするのだろう。私の人生にカムバはないなあ。でもまあまだ22歳だし魂抜くには早いよなあ。爆音で『Candy Pop』を流したら隣の部屋からドン、と音がした。うるさいなあ今は初期日本オリジナル曲の無敵さに体を預けたい気分なんだよ。TWICEの事情なんか何一つ知らないで言うけど、今だけは私、TWICEになりたいんだよ。それくらいのことは許されてるんだよ。知ってた?



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