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どこどん、と日々が過ぎていく。一日の終わりに太鼓の音。毎日1000字近くの日記を書き、雑感なんてとっくに出し切ってしまっているんじゃないのと思うけれど、いざ媒体を変えてみると沸々と湧いて出るのだから一体どれほどの思索を巡らしているのか、とぞっとするよ脳みそ。そりゃ夢でも見ないと情報の整理はやってられないわな。 前の仕事を辞めた今年の1月が遠い昔のようだ。いわゆる(遠い目)のやり方を知った。遠い目で1月を眺める。斜め30度くらい?わたしの場合は左上を見てたらたいがい遠い目
初めて持ったiPhoneはiPhone4Sだった。中学三年生の冬のことだ。その次に買ったのが6Sで、その次が8。そして2年前から使用している12へと至るわけだが、その間わたしは一度も旧Phoneを下取りに出していない。きょーび、TwitterやInstagramのアカウントどころかLINEのトーク履歴さえ引き継げるし、写真だってGoogleフォト上に保存されるのだから、手放してその分のリターンをもらうのが賢いのだろうが、どこか口惜しい。そのくせ、4Sや6Sが今もなおわたしの
一輪の花を差し出されて、必死に口角をあげようとしてみる。花束をもらったときの正解の反応も、「一番好きな花はなんですか?」と訊かれた時の答えも持っていない。それでもそこかしこで花は咲いているし、それどころか咲き乱れるという表現もあるほどだし花屋は同じ駅の中に2件ある、2社が乗り入れている程度のそれなりな駅だったのに2件ある。花に縁がないや。そんなわたしでも、好きな色ならば明確に答えることができる。わたしはとても赤が好き。瀧本緑というペンネームでものを書いてはや2年以上経つけど
27歳になっても、面接が苦手なままだった。今日だってキャベツを15分煮込んだりむね肉を削ぎ切りしたりしたけれど、こんなこと転職活動のさなかではとてもできたことじゃなかったと思う。それくらいに面接のある日々というのは憂鬱だし、正直もう、会社員になれたのだから二度と面接をしなくていいとずっと思っていた。思うというか安堵していた、ここ3年ほどは。にもかかわらず欲をかいて、やれキャリアアップだと志してしまったばかりに「いちばん」苦手な行為であるそれとわたしは再び対峙していた。
iPadでタイピングするのが面倒臭くなって、音声入力を試したら正確に聞き取ってくれた。音声入力というと見当違いな聞き取りをされて使い物にならないという10年前からのイメージがいまだに染みついているが、思い返せばわたしはもう1年ほど、毎日のようにアレクサに話しかけ明日起きる時間のアラームをセットしているのだった。そりゃ、「松任谷由実」くらい聞き取れるよなと思ったが、わたしが聴きたかった『やさしさに包まれたなら』は荒井由実時代の曲だった。けれどもSpotifyのAIはしっかりし
大学生のころ、鞍馬山越えデートをしたことがあった。鞍馬山はあの牛若丸——源義経少年が天狗との交わりにより武道の腕を磨いたとされる山で、叡山電鉄の駅を降りるとどデカい天狗にお迎えされる。そこからものすごく長い階段があり、それを上りきると鞍馬寺に辿り着く。京都市内を一望し、満足した人々は再び階段を降り、叡山電鉄に乗ってカップルたちは出町柳でよろしくやるのであるが、どうも鞍馬山は超えることができるらしいということを知っていたわたしたちは、チョチョイと鞍馬寺を脇に逸れて、獣道よりは
車の運転ほど、腰が上がらないものはなかった。記憶が正しければ2017年の半ばに教習所を卒業したが、実際に免許を取りに行ったのはその年の暮れだった。同志社大学に在学していたので、あまり勉強しなくても最後の筆記試験に合格するだろうと思っていたら普通に落ちた。 そもそも教習所だって9か月くらい通った。人生で数名程度存在する、「こいつとは何話してもダメだ」と思う人物の一人が、教習所の担当教官だったからかもしれない。私はいつも担当教官以外を指名し予約していたが、時に教習所の都合で担
関西テレビ系列で放送されていた『大豆田とわ子と三人の元夫』が6月15日、フィナーレを迎えた。『花束みたいな恋をした』がメガヒットを記録した坂元裕二氏、『anone』以来の連続テレビドラマ脚本作品。三回結婚して、三回離婚した大豆田とわ子が、それでも幸せを諦めず奮闘する物語——演出の美しさ、坂元裕二脚本作品特有の何度も再生したくなる台詞、私たちの意識の外にあにあることを、ふと思い出させる展開(地獄の餃子パーティーと綿来かごめの死の対比、とわ子の母の恋の真実)など、含蓄だらけの全