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愛憎芸 #29 『リズと青い鳥』

 iPadでタイピングするのが面倒臭くなって、音声入力を試したら正確に聞き取ってくれた。音声入力というと見当違いな聞き取りをされて使い物にならないという10年前からのイメージがいまだに染みついているが、思い返せばわたしはもう1年ほど、毎日のようにアレクサに話しかけ明日起きる時間のアラームをセットしているのだった。そりゃ、「松任谷由実」くらい聞き取れるよなと思ったが、わたしが聴きたかった『やさしさに包まれたなら』は荒井由実時代の曲だった。けれどもSpotifyのAIはしっかりしているからすぐ下に候補として荒井由実が出ていて、タップして、聴いて、その次に流れてきたのは『ひこうき雲』だった。宮崎駿が思いのほか自分の中に息づいていることは『君たちはどう生きるか』のnoteで書いたが、彼が生きた人生の長さからしたらわたしの人生なんてこれっぽっちなのに迷いに迷って、でも『ひらやすみ』でばっちゃんの若いころの描写を見たり『たまこラブストーリー』でたまこの母の高校時代がふと照らし出されるのを見て、自分の人生もいずれ過去になり、それは自分にとっても、他人にとってもなのだということを思えば少し楽になった。わたしたちは溶けて、溶けて、そうやってどうにかこうにか世界が形作られているのだと思う。夏だから。

 『リズと青い鳥』についても単独で記事を書こうと思ったけど、詳細な考察がたくさん並んでいるのをみて、ここにとどめることにした。あと、なんだか愛憎芸で触れたい作品だったというのもあるのだ。終始静かなのに目が離せないという不思議さ。じわじわと、大好きな作品になってきている。

 みぞれが「希美の全部が好き」と抱きしめるのに対して希美は虚空を見つめながら「みぞれのオーボエが好き」と答える。残酷な場面だ。公式には「思春期特有の気持ちの揺らぎ」とされているものの、やっぱりみぞれは希美に恋をしていたとわたしは思う。だから、これは失恋だ。なのに、希美の言葉は今後のみぞれの人生において、ずっと宝物になるのだろうなとも思う。音大に進み、今後もオーボエを続けていく彼女は大好きな人から言われたこの言葉を、毎日とは思い出さずとも、折に触れて思い出す。オーボエに触れたとき、夕暮れにカーテンを背にするとき、また誰かを抱きしめるとき。

 大好きだった人に才能のことで褒められたり背中を押されたりしたらば最後、その後の人生、それは呪いのようにずっと心に残り続ける。わたしが今も書き続ける理由の一つにモテキの長澤まさみみたいな女性に言われた言葉がある。現実を見据え結構バリバリな転職活動のフェーズに突入した今も時折彼女の言葉を思い出しては、違う、全部を取りに行く人生にすることにしたんだよと、説得力皆無でエア説得する。みぞれの人生、いつかオーボエを置く日にもおそらく「みぞれのオーボエが好き」という言葉はリフレインするのだろう。

 みずれも希美も、二人ともリズであり二人とも青い鳥だった。あまり見かける場面ではないけれど、交差する飛行機雲が一瞬交わるところのような。同じ方向に向かって進んできた人生が一瞬だけ交わることの美しさ。ラストシーン、二人は同じ言葉を発する。しかし希美が「ハッピーアイスクリーム」の意味を解さないことで、交差した二人の人生はそのままそれぞれの方向へまっすぐ向かっていくのである。青春時代は一瞬である。人生における交差点とその先に続く道への余韻を感じる一作。ふと振り返ったときに、かつて存在した日々のことを、この世で二人だけが覚えている。


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