見出し画像

29・ビートルズの「ガール」 夫の身内はワンダフル♪

#やさしさに救われて

夫が歌う、ビートルズの「ガール」が好きだ。
あの最初の出だしが なかなか不雰囲気があるのだ。
しかし ギターのヘタな夫は完全に弾ける曲というのがなく 終わりまで聴いたためしがない。同様に 私がいっしょに歌いたい歌でも ギターを間違えてばかりいるので やる気をなくす。


義母が亡くなるまで、お正月はいつも夫の実家に行っていた。
夫は5人兄弟なので、その連れ合いやら子供たちも含めると、けっこうな人数になる。義母は、近くに住む長男のお嫁さんに手伝ってもらいながら、おせちや、お雑煮、お赤飯などを作って待っていてくれた。なぜ、お赤飯かといえば、夫の家では家族の誕生日にお赤飯を炊く習慣で、夫の兄弟の一人が1月1日生まれなのだ。

義父は60才で亡くなったので、義母は団地に一人暮らし。
お正月は、2間ある部屋は人でいっぱいになる。
私も初めは、スカートなどはいてちょっときちんとして行ったのだが、
みんな普段着で来るので、私もふだんの恰好で行くようになった。
義母は、お嫁さんたちに「みんな疲れてるだろうから、横になっていいよ」と言ってくれるので、年末は何かと忙しかったヨメたちは、お言葉に甘えてコタツに寝転がるのだった(やっぱり普段着で行かなくちゃ)。
私にとっては、お正月は、自分の家でおせちを作る必要はないし、夫の実家に行きさえすればいいので、ラクだった。
後片付けは手伝うが、人数がいるのですぐ終わる。
子供たちはいとこ同士で遊び、年上の子がめんどう見てくれるので、母親はラク。

ただ 夫の兄弟は男ばっかりで口が悪いので、嫁の一人が席を立とうものなら悪口言われたりするので、私たち嫁は「まったくこのうちは、うっかり席もたてやしない。何言われるかわかったもんじゃない」などとぼやいていたが。
夕飯は、子供たちはピザを取ってもらい 大人は残りものを食べ さらにおせちの残りをもらって帰宅するのだった。
そのうち義母も年を取ってきて、長男のお嫁さんの「お義母さんも大変だからみんなも一品持ち寄りしよう」の提案で持ち寄るようになったが。

長男のお嫁さん(義姉)が、近くで様子を見てくれて私たちに教えてくれたり、お義母さんを美容院や買い物に連れて行ってくれたりして、本当にお世話になった。そのお義姉さんも59才で亡くなってしまった。何のお礼もできないまま。それどころか あるとき、私ともう一人の義妹を連れて車でドライブに連れて行ってくれてごちそうしてくれた。
それが、最後の思い出になった。

私がめまいで長いこと苦しんでたとき、義弟が めまいを治した知り合いに 機材まで買ってインタビューしてきてくれた。義弟夫婦でうちにそれを持ってきてくれて、かつよさそうな病院までリサーチしてきてくれたときは本当にうれしかった。何よりその温かい思いやりの気持ちが伝わって、それだけで具合が良くなるような気がした。今でも私が良くなったのは、義弟はじめみんなのあたたかい思いのおかげだったと思う。

夫の身内を思い出すたびに温かな気持ちになる。
けど、夫は自分の実家などちっともいいと思ってないのだ。
貧しく兄弟ゲンカも多く 大変だったときのことしか思い出さないらしい。あなたの身内はとっても温かくて、すばらしいのに!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?