八月納涼歌舞伎観劇録
巨大な扇風機とミストに囲まれて三部の幕見席のチケットを買い求めた私は、どうしても我慢できそうになかったので、二部のチケットもオンライン購入。しかし今回は奮発して1階席で。久しぶりの1階席、舞台を上から見下ろすのに慣れてしまったのでなんだか初めてきたかのような新鮮な気持ちになった。
というわけで二部の『修禅寺物語』『東海道中膝栗毛』を観劇してきました。
江戸時代、夏はもちろんクーラーも扇風機もなく、しかも人が多い中での上演だったので、妖怪や幽霊など所謂背筋が冷たくなるような演目を選んで演って涼をとっていたそう。そして若手をたくさんお披露目するのもこの時季ならではで(大御所はこんな過酷な状況で演らない)、今月においてもその名残りは、『東海道中膝栗毛』で感じられた。
『修禅寺物語』は岡本綺堂の脚本ということで気になっていた。岡本綺堂と言えば、卒論を書いているときにその歌舞伎評論を参考にさせてもらった思い出。新歌舞伎なので写実的、またお囃子もないし、今作は夜の場面が長かったので暗く、寝ている人が多かった印象。
簡単にあらすじをご紹介しよう。面作り師という能の面のようなものを作る職人の父と、かつて公家に仕えていた亡き母に似て誇り高い姉、父と同じく職人の男を夫にした争い事が嫌いな穏やかな妹、の一家を当時の将軍源頼家が訪れる。自分の顔を模した面を作ってほしいと依頼したが、父は「どうしても死相になってしまう」と自分の腕の未熟さを嘆き、作った面を渡そうとしない。しかし、いつかは公家のようなやんごとなき人に奉公したいと考えていた姉によって、結局は頼家の手にわたってしまう。そして運よく姉の望みは叶うのだが…という展開。
最終的には頼家が討たれ、奉公していた姉も殺されてしまうのだけど、父は自分が作った面が死相を表していたのは自分の腕が素晴らしいからだ、死に際の姉(=娘)の顔も今後の面作りに活かしたい、とデッサンを始める。うわー狂ってる…とその場にいた誰もが思ったはず。
当時の観客にはものすごく人気だった演目とのことだけど、どうしてその当時受け入れられたのかが不思議。いかにもとち狂ってます!という感じではない、静けさに宿る狂気みたいなのが受けたんだろうか。関連する文献を読まなくては。
さて、幕間を挟んで『東海道中膝栗毛』。原作者の十返舎一九は、「この世をば どりゃお暇に 線香の 煙とともに はいさようなら」という辞世の句を詠んだ人。棺には花火を入れさせたとか。この情報だけで面白い人なのが窺える。
今回上演された『歌舞伎座捕物帖』も負けず劣らずエンターテイメント性の高い面白い作品でした。去年は観ていなかったんだけど、初っ端からスクリーン使うわYJKTラップはあるわ宙乗りで登場するわで、一気に客席の温度が上がったのを感じた。すごい、いつかドローンとか使うんじゃないか…!
歌舞伎の”らしさ”を、「論理とか倫理とかめちゃくちゃでもお客が笑って面白ければそれでオッケー!」とするのであれば、めちゃくちゃ歌舞伎的な演目。何も考えずにずっとけらけら笑っていられる、そんな作品でした。ざっくりあらすじを書くと、弥次喜多のバイト先・歌舞伎座で殺人事件が起こり、その謎を解く話(ざっくりしすぎか)。ストーリー性もさることながら、小ネタの多さが圧倒的。この作品での小ネタは枚挙に暇がない。NHKの「昆虫すごいぜ」、懐かしい「半沢直樹」などネタに事欠かない中車がここぞとばかりにいじられまくっていて会場の沸きっぷりがすごかった。
あとは、劇中劇で『義経千本桜』の四の切をやるんだけど、そこの大道具を「こんなに見せてもらっていいんですか…!」ってくらい贅沢に見せてくれて感動しました。早く四の切観たい。大道具さんとか普段黒子な方たちのお仕事にスポットライトを当ててくれて、個人的にすごくうれしかったです。
実は私はあまり御贔屓の歌舞伎役者がいなくて、なので「この人が出てるから今月は観なきゃ!」とかもあまりないんですが(強いて言えば仁左衛門と菊五郎が好き)、本作で完全にファンになりました、松本金太郎と市川團子!!まだ12歳とかそこらへんなんですね、男の人ではなく少年の体、ほわほわっとした柔らかい空気をもった金太郎さん、きっちりしゃっきりした團子さん、本当に二人の空気がみずみずしくて参りました…。二人セットのファンクラブとかあったら確実に入ってしまうし、何なら9月の團子さんの越後獅子を観に行こうとしています…。ああまいった。
というわけで歌舞伎の新しい(というか本来の)楽しみ方を知ってしまった八月でした。今月本当に歌舞伎の魅力が満載で、心底たのしかった。来月は早々に午前の部を観に行きます。
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