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「自己満足!」批判が成立するための条件。

■「ぷらほ」では、利用者や関係者のオンライン上での交流の場として、インターネットの掲示板を設置し、運営している。最近そこに、匿名のある個人の方から「ぷらほ」を批判する書き込みがあった。その方いわく、「ぷらっとほーむは私から見れば[子どもの自立からほど遠く]自己満足のサークルにしか見えません」とのこと。反論はありとあらゆるレヴェルで可能だが、ここでは「自己満足」をキーワードに考えてみたい。

■そもそもこの場合、「ぷらほ」のような特定の思想・理念・目的に基づいて活動する独立自営の団体に対して、「自己満足」という批判が論理的に成立するためには、幾つかの条件が不可欠である。第一に、その団体が公式に掲げる思想・理念・目的に比して、その団体の活動の実態があまりにもそれとかけ離れて低水準であるということ。例えば、「子どもの自立」を掲げる団体が、とうていそれに結びつかないような活動しか展開できていない場合、「自己満足」と批判しうる。

■「自己満足」なる批判が成立しうる第二の条件とは次のようなものだ。すなわち、その団体や活動に関して、その批判者自身が何らかのコストを負担しており、支払われたコストに見合う成果(やそこに向かう努力)がその団体や活動のうちに確認できないということ。例えば、批判者自身がその団体に対する財政支援者であり、彼(女)が期待するだけの成果を団体があげていなかったり、またその努力の跡すら見えなかったりする場合、その団体は「自己満足」と批判されてよい。

■以上の二つの条件は、批判者側が相手に対して正当に「自己満足!」と言いうるための最低限のハードルではないかと思う。残念ながら、上記の匿名批判者は、二つとも条件を満たしていなかった。「ぷらほ」の目的はそもそも「子どもの自立」にはないし、彼(女)は「ぷらほ」のコスト負担者でもないためだ。この場合、彼(女)の批判は――たとえそれが個別の論点においてどんなに正しさを含むものであったとしても――聞くに値しないものであるといってよい。

■掲示板でもそう書いたが、返答は「他人の意見を排除する姿勢は成長する努力を拒否している」という的はずれなものだった。私たちは、聞かなければならない人の意見とそうでないものの違いについて話題にしている。何でもかんでも聞けばいいわけではない。翻って考えるなら、私たちも何かに意見する場合には、そもそも自分にその発言資格があるかどうか、自己点検の必要があるということだ。これもまた、コミュニケーションをめぐる貴重な学びである。

※『ぷらっとほーむ通信』049号(2007年05月号) 所収

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