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東京が滅びるまで

先日、東京の友人と「オンライン飲み会」をした。ふだんは遠く離れていて、出張とかの言い訳がないと連絡もしづらい人とそうやって交流できるのはちょっと不思議だ。それはともかく、地方ではすでに緊急事態宣言が解除されていた一方で、首都圏ではまだ継続中というタイミングだったから、実はちょっとおそるおそるの参加であった。

山形にいて、テレビやネットなどの報道を連日浴び続けていると、それはもう東京は大変なことになっていて、感染の培養器となったダイヤモンドプリンセス号みたいになっているイメージだったのだ。だが、友人曰く「当初はともかく、東京はもうすっかり日常ですよ」とのこと。なあんだ、そうなのか。聞いてちょっとがっくりきた。

これを書いているのは7月初頭、あと数日で都知事選というタイミングだ。東京でも5月下旬には宣言が解除され、友人が話していた以上にもうすっかりふつうに戻ってしまったのだろう。ネットから流れてくる都知事選街頭演説の動画も、いつも通りの東京の人込み。通勤や通学も再開され、電車もすっかり満員状態ときく。なんだ、そうなのか。

「がっくりきた」とはどういうことか。炎上覚悟で書くが、筆者には3.11以来、明確に自覚するに至った自身の内なる感情がある。それは「東京への憎悪・怨念」だ。もちろん当方にも、東京には大事な友人や仲間、お世話になった先生や先輩がたくさんいる。楽しみに通うお店やまちも。だが、それでもなお東京がきらいだ。滅ぼしたくなる。

東京を、というよりは「東京的なものを」というべきかもしれない。東北にとって3.11は、自分たちが東京的なものの植民地であったという端的な事実をむきだしにした出来事だった。福島第一原発事故である。惨事はしかし「東京でなくてよかった」と軽く受け流された。いざというとき使い捨てするためにこそ植民地が必要だったわけだ。

あのとき、その恩恵をうけて肥え太っていた東京が自らのこれまでを省み、ふるまいを変えるようなことがあれば、こんな思いには至らなかったかもしれない。だが、彼らは何事もなかったように宗主国のふるまいを再開し、あろうことか「復興五輪」などとうそぶいた。その五輪が潰え、コロナ禍で東京はダメージを受けた、ように見えた。

だから期待したのだ。あのとき、放射能におびえた私たちの恐怖、「東北でよかった」と安堵された屈辱、差別されるくやしさを、ようやくあなたたちも体験できたのですね。このつらさ、わかりますよね。だったらもう終わりにしませんか、と。でもそれは希望的観測にすぎなかったということらしい。ならば、私たちはさらなる地獄を望むのみだ。(了)

『よりみち通信』12号(2020年7月)所収

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