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わたしたちの未来予想図――「東北の春」に向けて(09)

基本的人権を否定し、生活保護などセーフティネットの縮小を掲げる一方で、ブラック企業を優遇し、彼らへの利益誘導をあらゆる手――原発推進とか法人税減税とかバラマキとかインフレ・ターゲットとかTPPとか――を使って図ろうと考えるあの人びとが、政権与党に返り咲いてから、早3年半が過ぎ去ろうとしている。

汚職や失言、嘘偽りを地道に積み重ね、話題を更新し続ける彼らだが、不思議と世論はそれに高い支持率をプレゼントし続けている。7月には参議院議員選挙が予定されているが、このようすだとおそらく彼らが再び勝利することだろう。

不安定労働のさなかにある若い世代にとっては、地獄の延長戦である。ふたたび好景気がやってきても、その富の大半は大企業の懐に消えるため、これまでと同様、末端の労働者、とりわけ若者たちにまでは回らない。排除や差別がこれまで以上に蔓延り、貧困や格差はさらに加速していくだろう。

若者たちが頼りうる数少ないセーフティネットのひとつに生活保護があるが、それもスティグマ化され、これまで以上に使いにくいものになってしまったため、家族にも親族にも友人にも知人にも頼れない人は、路上でのたれ死ぬしかない。もちろん死んでも「自己責任」。これが、私たちの「美しい国」の現在である。

「そんなことありえない!」とか「被害妄想!」とかの寝ぼけたコメントはいらない。これらすべては、政府与党がこの3年半で意図的に推進し、着実に成果をあげてきたことばかり。選挙で「信任を得た」暁には、より一層の強度と速度とでこれらの路線を進んでいくことになるだろう。

こうした状況を前に、筆者は、この地獄が果たしてどこまで行き着くのか、それを見てみたいという気持ち、地獄めぐりへの好奇心が自らの内にわきあがるのを感じている。数ヵ月後か数年後かはわからないが、現状のごときていたらくを続ける限り、私たちの社会は近い将来必ず地獄――考えうるものとしては、国債暴落やハイパーインフレ、首都直下型地震や富士山噴火、南海トラフ地震、第2・第3の原発事故など――を経験する。反乱やクーデタ、内戦すらおこってしまうかもしれない。

私たちの世代は絶対に、そうした災厄からは逃れられない。だとしたら、そんな面倒なことはさっさと経験し、早いところ次の時代を迎えるべきではないか。そう考えたときに、より早く、確実に破滅をもたらしてくれそうな人びとに期待する、という理路が成立しうる。これが、いまの筆者の気分である(もしかしたら、あの党やあの党に票を入れた人びとの思いもそうした気分にあったかもしれない)。とにかく何でもいいからぶっ壊そうぜ、という感じだ。

ところで、そういう前提のもとで生きていくことにしたときに、必要なのは何だろうか。いずれ訪れる破局的な事態にあっては、政府による公共サービスが失われることは必死である。そこで餓死したり自殺に追い込まれたりするのがいやなら、あなたは何らかの形で公共サービスのオルタナティヴを見つけ出さねばならない。

公共サービスのオルタナティヴとは、いざというとき、困ったときに自分を助けてくれるつながりや縁のことである。もちろんそれらは、いざとなったとき、あわてて探そうとしたところで容易に見つかるようなものではないし、自分だけが一方的にそれを享受できるようなものでもない。

普段何ごともないときに関わりをもっていればこそ、何かあったときに関わってもらえるのである。つまり、「与える者こそが与えられる」。とすれば、私たちは今後、いざというときに備え、上記の贈与経済の原則を意識しつつ、つながりの資産(ソーシャル・キャピタル)を積み増していくことを心がけていかねばならない。

そうしたソーシャル・キャピタルを手にできる場として、「ぷらっとほーむ」の諸実践が機能していけばいいな、と思う。残念ながら私たちは、自分たちのメッセージを人びと――とりわけ同じ苦しみを抱えている同世代――に対し、まだきちんと届けられずにいる。反省すべき点は反省し、その努力を続けなければならない。

だが、人びとが置かれた環境や文脈が変わらなければ、伝わりようがないメッセージというものもある。私たちが相互に出会い、つながれるようになるためにそうした破滅的な環境変容が必要であるというのなら、筆者はそれを歓迎しようと思う。なので、かの党にはぜひがんばってほしい――多くの人びとが社会の重要性を理解できるようになるよう、派手にそれらを攻撃し、激しく毀損してほしい――と思っている。そうした未来予想図の先にこそ、私たちの時代はやってくるだろう。

(『みちのく春秋』2016年夏号 所収)

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