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「子どもたちの居場所づくり」という名の居場所。

訳あって今回が最後になるこの連載、最後は「フリースペースSORA」というものが自分たち運営側にとっていったい何だったのかということについて改めて考えてみたいと思う。SORAは今から2年前、「不登校親の会山形県ネットワーク」の主催する事業として誕生した。目的は、「不登校等の子どもたちの居場所づくり」。学校にも家庭にも居場所を見出せない子どもたちを対象に、彼らが安心して生活し成長していけるような社会環境づくりのための第一歩として創設された、民営のフリースクールである。

フリースクールという言葉さえもがまるで知られていなかった2年前、山形市内で初めての開設ということもあってか、様々なかたちで地域のメディアにも取り上げていただいた。このメディア露出によってSORAの存在を知り、活動への参入に動機付けられた人々が、創設発起者=「親の会」に合流するかたちで、開設準備が進行する。かくいうぼく自身も、この段階から参加した「新参者」である。やがて、開設・運営のイニシアチヴは、「親の会」からフリースペース運営を目的に別途組織された運営委員会へと移行し、現在に至る。

基本的にボランティア(=自発参加型)での活動であるということから、活動スタッフに関して公募などは行わないできた。自分で活動の存在を探り当て自発的にそれにコミットしようという程度の動機付けが欠けている者に、長期的な活動は期待できないだろうから。当然こうした考え方が、ボランティア希望者に対してSORAの敷居を高くしてしまっている点は否めない。しかし、SORAの目的は第一に「子どもたちの居場所づくり」である。子どもたちへの責任が果たせない者に、活動への参加資格はない。そのための踏絵なのだ。

現在、「居場所づくり」の活動には約10名のスタッフ(その7割が若者である)が関与しているが、自発性や責任意識、動機の最低水準をクリアしているという点で共通前提が存在しているように思う。だがそこに疑問を抱かれる方もいよう。報酬がもらえるわけでもない、不登校の子たちと関わる責任やら何やらを、何故に自発的に背負い込もうとするのか? よほど社会正義に燃えた人たちなのではないか? 等など。換言するなら、スタッフはいったい何に動機付けられて活動しているのか、ということである。

一言でいうなら、それはSORA=「子どもたちの居場所づくり」という場が、スタッフにとっても一つの「居場所」になっているということなのだと思う。「居場所」の要件とは、①自分のありのままを受容してくれる場であること、②自己関与の余地が保障された場であるということ、この二点につきると思う。とりわけ後者の契機が重要である。「居場所づくり」という目的のために、素人の若者たちが試行錯誤しながら自分たちで創っていける場であるということ。そう考えるとこれは、フリースペースで子どもたちが経験するプロセスとまるで同じだ。そうであればこそ、ぼくたちはフリースペースを創り続けていくのだ。

(『SORA模様』2003年2月 第22号 所収)

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