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植民地(やまがた)の現在――「東北の春」に向けて(14)

東北が〈東京〉の植民地であるということ。6年前のあの震災を契機に広く理解されるようになったその事実を、先日、山形県内のある地方都市に立地する某大学院での「差別・排除論(仮)」講義の際に口にしたところ、思わぬ反応があった。「自分たちが差別の対象だなんてありえない」「そんなこと考えたこともなかった」「日本国内ならどこにでもあること、東北だけってわけじゃない」などなど、専ら否認の身ぶり。正直に言って愕然とした。



講義中に話したのは次のようなことだ。すなわち、東北が〈東京〉の植民地であることを最も象徴的に示す存在が、3.11の地震・津波で破壊され、放射性物質を東日本一帯にばらまき、現在も吐きだし続けている福島第一原発である。その福島第一原発は、同県内で最も過疎化が進む太平洋沿岸の「浜通り」地方に集中して建設された。その事故リスクなどから人口集中地域につくることが困難なため、補助金と引き換えに、過疎地域に押しつけられたのである。

押しつけられた、とはどういうことか。原子力発電所でつくられているのは電気である。その電気は、大半が、人口や産業が集中する大都市で使用される。そうした大都市の最大規模のものにして、象徴的な存在が〈東京〉だ。東京で必要なら東京でつくればよい。だがそれは危険なので勘弁!ということで、カネと引き換えに引き受けさせられたのである。そうした役割を背負わされる場所を植民地という。〈東京〉の植民地、とはそういう意味である。

もちろん、〈東京〉の植民地として、〈東京〉のための電気を「モノカルチャー(単一作物栽培)」的に生産して〈東京〉に「輸出」するという役割は、福島第一原発が立地する「浜通り」の双葉八町村だけに該当するものではない。同じような構図で、各地の過疎地域がねらいを定められ、カネで説得され、原子力発電所を受け入れさせされていったのだった。新潟県の柏崎刈羽原発や青森県六ケ所村の原子力関連施設群などがその代表事例である。

もうひとつ、東北が〈東京〉の植民地であることを如実に示すある事実がある。それは、福島第一原発を営業しているのが――「東北電力」ではなく――「東京電力」であるという事実だ。かつて高度経済成長の時代に若い労働力を大量に〈東京〉に送った東北は、安価な労働力・石油に支えられた〈東京〉の経済システムが石油危機で破綻すると、新しい「輸出商品」として今度は安価な電気をつくって送ることを求められた。原発はその現地工場である。

そもそも、原発立地自治体がそのような迷惑施設(NIMBY)を引き受けた背景には何があったのか。先に「カネと引き換えに」と書いたが、原発立地自治体は、そうでもしなければ財政的にたちゆかないという判断が実際に採用されるほどに困窮した過疎地域である。戦後に経済発展から取り残され、過疎化してしまったのは、もともとそこが近代日本において低開発にとどめおかれた地域だったため。では、なぜ低開発にとどめおかれたのか。

さて、ここで原発立地地域の地図を広げてみていただきたい(ウェブで検索するとすぐ見つかる)。現在までに54基の原発がつくられ、稼働してきたが、その分布にはある偏りがある。ここでひとつ、考えてみてほしい。原発が立地する場所とは、どのような来歴をもつ場所であろうか。もったいぶらずにさっさと結論を書いてしまうと、それらの多くは、戊辰戦争(1868‐69)で幕府側につき、明治政府と闘った佐幕派の諸藩が位置した場所と重なる。

柏崎刈羽原発の新潟県、福島第一・第二原発の福島県などは、維新政府に真っ向から対立した奥羽越列藩同盟の中心藩だし、原子力施設群の集中する青森県六ケ所村(下北半島)は、戊辰戦争に敗北した会津藩士たちが懲罰的に送られた斗南藩があった場所である。国家統合を成し遂げた薩長政権が、明治期以降も敗者たちの地域を差別的に処遇した結果、低開発=植民地化が定着、その延長線上で昭和の過疎化、原発誘致が成される。そして、平成の原発事故…。



だらだら書き連ねてしまったが、こんなことは本誌読者にはいまさらな自明の事実にすぎないかもしれない。しかし一方で、同じ東北で暮らしていても、そうした事実に――あの震災の後であっても――全く思い至ることさえない人びとも数多く存在する。植民地化の最終段階は、支配されている人びとが自ら進んで支配されるようになる「自発的隷従」にある。まずはせめてそうした「魂の植民地化」から脱すること。そのために、私たちに何ができるだろうか。

(『みちのく春秋』2017年秋号 所収)

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