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問うてる?

もうすぐ10年目の「あの日」がやってこようとしている。東北のわたしたちにとって、決して忘れてはならない記憶が深く深く刻まれた「あの日」だ。とはいえ、記憶はゆっくりじわじわと薄れ、改編されていくもので、時おり「思い出す」とか「ふりかえる」とかをしておかないと風化に抗いきれない。そうやってときどき想起する作業をしているが、筆者の印象に強く残っているのは、災後の日本社会に確かにただよっていたある雰囲気である。


あのころは、誰もがどこかで「わたしはいま、こんなことをしていていいんだろうか」「わたしの仕事はいったい誰のどんな役にたっているんだろうか」などといった自問を重ねていたように思う。それらは、オチも正解もないままあちこちに漂っており、ふいにそれを目にしたりそれに触れたりした人びとにとりつき、「お前はどうだ?」と問いかけていた。問いの起源は、身近に〈死〉を意識するというあのときのわたしたちの共有体験にあったように思う。

震災は多くの人びとに身近な人を亡くすという経験を強いた。それらは偶発的なもので、理由なき〈死〉である。なぜあの人が逝って、わたしが遺ってしまったのか。彼(女)の〈死〉の意味、そしてなおそれでもわたしが生きていることの意味とは。答えなどでるわけもないこうした無限の自問はとてもとても苦しいものだが、それでもそれをみんなが共通に経験していたあの当時、どこか社会に誠実さやさわやかさのようなものが漂っていたようにも思う。

しかし、いまやわたしたちは、あのときの自問を忘却し、自身のしごとや生の意味を問うたりふりかえったりすることを怠ってしまっているのではないか。それは、亡くなった人たちやいまともに生きている隣人たちに対する応答責任を欠く、不誠実なありようであろう。コロナ禍の現在、「自粛要請」のもと多くの人が食い扶持を失い、その一方で医療の現場では人手不足で日々たくさんの〈死〉が続出しているなかにあってさえ、それが変わらないのが悲しい。

とはいえ、誰かを責めてばかりいても始まらない。まずは隗より始めよ、だ。わたしたち「よりみち文庫」は「学び支援」を掲げて活動している。そこでいう〈学び〉とは何か。その〈学び〉を「支援する」とは何を意味するか。それらは、現在の感染症禍のもとで苦しむさまざまな人びと、わざわいと闘っている人びとにとってどんな意味をもち、いかなる役割を果たしうるものだろうか。問われているそれらに、真摯に向き合っていかねばならない。(了)

『よりみち通信』18号(2021年2月)所収


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