「わかりやすさ」ということの陥穽。
前回のテーマとも関連するが、私は、フリースペース(あるいは不登校)について語るための言葉が、「こころ」をめぐる語彙やロジック(心の病や歪みを治しましょう)のみに覆い尽くされてしまうことに危惧を覚えている。そうした画一的な語りは、私たちが自身の属する社会システムについて思考するための、貴重な機会や動機を損ねてしまうのではないかと思うためだ。不登校「問題」を、個人の内面=「こころ」の問題としてのみ枠づけるのではなく、私たち自身が幸福に生きるための学校づくり/社会づくりへのヒントと