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4.馬鹿なセイ君

運動会は散々だったセイ君でしたが、背中の怪我が治るとこれまでの鬱憤を晴らすかのような活躍をします。

校内の駅伝大会でアンカーに抜擢されたセイ君。二位でタスキを受け取ると見事に一位に躍り出てクラスを大逆転優勝に導きます。ゴールをする時のあの大歓声は今でも忘れられません。さらに島の中学駅伝大会ではメンバーにも選ばれます。結果はそれなりでしたがそれでも順調に楽しい日々を過ごします。

ただ、フォークダンスで起きた惨劇以来、セイ君は手汗をさらに気にするようになりました。

友達とゲームをすると、使ったコントローラーに汗の水滴が残って大慌てで着た服などで拭きます。

プリント用紙が回ってくると、後ろの人に渡す時に触った箇所が手汗でふやけてないか冷や冷やします。

ドアノブを触ると残った汗が次に触る人に気づかれないかドキドキしてしまいます。

パソコンを使った授業。二人一組でパソコンを共有します。マウスを触る度に残る汗の水滴に相方が引かないかドキドキします。

学校にいると突発的な事はよく起こりました。何よりも嫌だったのは使ってるものを「貸して」と言われる事です。

例えば団扇です。セイ君は暑がりだったので団扇を常備していました。団扇を仰いでいると、貸してと言ってくる人がいます。断るわけにもいかずセイ君は貸してしまいます。その団扇にはもれなくセイ君の手汗が付いています。たまに「わ、濡れてる」と言って拭く人もいます。その人にとっては何気ない一言かもしれませんがセイ君は傷つくのです。

極めつけは休み時間のトランプです。自分の手汗でトランプ同士がひっ付いたり、トランプを配ると汗が付いたトランプが机に引っ付いてしまいます。これを取るのも少し時間が掛かってしまいます。

たまにヨシ君が茶化してきます。「おい!セイ!トランプが濡れてるだろ!」と。笑って「ごめんね」と陽気に平謝りするセイ君ですが、内心はとても落ち込んでいます。なるべくトランプは持たないように机の上に置きっぱなしにしてトランプに興じるようにします。

トランプに負けた人は全員からしっぺの罰ゲームです。でもセイ君は他の人にしっぺを頼みます。しっぺがうまくできないとか言ってますが、本当の理由は自分の手汗が人の体に付いちゃうのを気にしていたからです。頻りに手を拭くようにしてなるべく手汗を目立たせないように細心の注意を払います。

こんな風に、何をするにしても手汗が邪魔してきます。学校にいると気の休まる時はありませんでした。

一人になると汗で濡れる自分の手を見て溜息ばっかり吐きます。どうしてこんな手になったんだろと。こんな手でこれからこの先うまくやっていけるんだろうかと不安になっていきます。

特に思うのは異性の事です。

思春期真っ只中のセイ君。そろそろ恋愛だってしたいです。だけど、今もしっかりと濡れてるこの手を見ては恋愛なんて無理だろうなと溜息を吐く自分がいます。

フォークダンス以降、女子は汗かきを嫌悪するものだとセイ君は思い込んでます。女子は男子に比べると汗を掻く人は少ないように思えて、いつも涼しげにしてる印象がありました。そんな人達だからこそ汗を掻く人が理解できず拒絶してくると思っていたのです。手汗なんて以ての外です。セイ君とフォークダンスで一緒になったユカさん達の顔がそれを証明していたようなものです。

ただでさえ人見知りで奥手なセイ君。そんな偏見を持つようになったので、さらにハードルを上げてしまって女子に近づけなっていくのでした。

ヒロエさんだったら手汗の事とか気にしないで接してくれるんだろうな、とセイ君はぼんやりと考えたりもします。

フォークダンスの時に救ってくれたヒロエさん。あの時のヒロエさんはまさに女神でした。あんな事されたら意識しないはずはありません。

しかし、残念ながらヒロエさんには意中の人がいました。その人はセイ君の友達でもありました。ヒロエさんに相談された事もあったのでセイ君は最初からヒロエさんの事は諦めていたのでした。

そうして冬になります。中学も卒業に近づいてます。

周りでは急速にカップルが誕生していきます。誰それが誰それの事が好きだとか、誰それが告白するらしいよとか、そんな恋話をよく耳にするようになります。

そんな恋愛モードに突入する周りの熱気の中にちゃっかりとセイ君も入ってました。

セイ君、想いを寄せる人ができたのです。

その人は同じクラスのアサミさんです。アサミさんとは理科の授業で同じグループでした。アサミさんはセイ君によく喋りかけてきました。顔はとても可愛いです。笑顔がタレントの優香に似てると言われていました。それでいつも笑顔で気さくに話しかけてくれる愛嬌さも持ち合わせています。髪を切ると「髪切ったんだ。似合ってるね」と笑顔で言ってきます。ときめかないわけがありませんでした。

友達はすぐにセイ君の恋心に気づいちゃいます。告白しろと唆されてしまいます。勢いでやってやろうかとも思ったセイ君ですが、寸手の所で思い止まっちゃいます。

手汗があったからです。

アサミさんはフォークダンスでセイ君と一緒に踊っていません。もしあの時のユカさん達みたいな顔をされたら・・・と、まだ付き合ってもいないのにそんな事を思ったりしてます。

そうやって前に出れずにいると、セイ君の耳にアサミさんに彼氏ができたと悲報が入っちゃいます。アサミさんはとても人気があったのです。そりゃあそうです。優香に似てると言われるほどの美貌の持ち主なんですから。狙わない男がいないはずありません。結局セイ君は恋愛を知らぬまま中学を卒業したのでした。

高校生になったセイ君。バスケ部に入ります。中学はハンドボール部だったセイ君ですが、体育の授業でバスケの楽しさに魅せられてバスケ部に挑戦する事にします。

しかし、セイ君を待ち受けていたのは試練の日々でした。

バスケを本格的にしていたのは転校した小学6年生の時だけです。体育の授業では活躍できたかもしれません。しかし、体育の授業はあくまで素人達の戯れのようなものです。セイ君の入ったバスケ部では島でも選りすぐりの人達が集結しています。中学の時に県で優勝して全国大会を経験した者もいれば、個人でも県選抜に選ばれた者もいます。さらに先輩になると、三年生は県大会ベスト4に入る成績を収めていて、インターハイを目指せるほどのレベルにあったのです。そんな猛者たちのいる所に身長170もない体重50キロの素人同然のセイ君が入ったところで結果は目に見えています。練習にすらついていけませんでした。最後まで練習についていけないセイ君は部員の間で『妥協』というあだ名を付けられてしまいます。練習についていけないセイ君はどんどん自信を失っていって塞ぎ込むようになります。

クラスにもなかなか馴染めませんでした。クラスの中心にはバスケ部のコウ君がいたのでなかなか輪に入れずにいたのです。

コウ君は180センチ100キロの恵まれた体格の持ち主です。何もしてなくても目立ちます。皆から一目を置かれるコウ君はクラスを引っ張っていきます。部活で練習についていけてないセイ君は、部でも一年生の中心でいるコウ君に大きな引け目を持って近づけずにいます。そうしているといつの間にかセイ君はクラスで孤立する事になってしまいます。いつもウォークマンを聴いて一人で過ごすようになります。

一人は何よりも辛いものがありました。

汗を掻いてると中学では誰かがイジってきます。落ち込む事もありましたが、今度は誰も触れてこない事に強いストレスを感じます。陰で嗤われてるんじゃないか、気持ち悪がられてるんじゃないか、とネガティブな思考が止まりません。まだイジってくれた方がセイ君には気持ちが楽だったのです。

その内に顔汗の事に気づかれたくなくてタオルを持参するようになります。常に顔を拭いてるので顔がヒリヒリしていました。そうやってなるべく目立たないようにしてセイ君は孤独の時間をひっそりと過ごしていたのでした。

そんな悶々とした一年を過ごしましたが、二年生になると状況は変わっていきます。

まず体格が良くなります。身長は5センチ伸びて体重は10キロも増加します。諦めずに部を続けた成果が表れてきます。練習にもだんだんついていけるようになっていって少しはバスケ部にも馴染んでいくようになります。

しかし、練習についていけるようになっても実力は全然追いついていませんでした。新しく入ってきた新入生もまた実力者が揃っています。なんとか年功序列で練習はやらせてもらっていますが、もし部が完全実力主義だったら体育館で練習なんかさせて貰えなかったでしょう。セイ君はまだそれほどのレベルでした。自分のポジションが明確に決まってないほどセイ君は取り柄のないプレーヤーだったのです。

それでもセイ君は諦めませんでした。自分の良い所を見つけようと練習に精を出します。成長期もあったからなのか、筋肉も付くようになってきました。余裕が出てきたセイ君は自宅で筋トレをするようになります。朝は早起きして体育館でシューティングの練習をします。そのお陰からなのか、シュートの精度がどんどん上達して、3ポイントシュートがよく入るようになってきます。

ここでいつも悩ませていた手汗が生きるのです。濡れた手が滑り止めになってくれたのです。後にも先にも、これ以外で手汗が役に立った事はありませんでした。

3ポイントがよく入るようになると、周りから3ポイントシューターになるよう勧められます。活路を見出したセイ君はここからバスケが物凄く楽しくなっていきます。試合にも出してもらえるようになります。自信を持ってきたセイ君は次第に明るくなっていってバスケ部の皆とも接していけるようになっていきます。周りもセイ君に気さくに絡んでくるようになります。

一年の時は仲良くなれなかったコウ君ともどんどん仲良くなっていきます。県大会が近づいてくると「一緒に県大会いこう」と発破を掛けられるまでになります。そんな嬉しい仲間ができた事もあってセイ君はめきめき上達して、遂にはメンバーに選ばれるまでになります。

初めての県大会は4位になりました。白熱する試合はベンチで眺めるだけでしたが、県の頂点を決める試合に自分も関われているんだと思うと誇らしく思えました。

バスケ部の皆は良い人達ばかりでした。自信がないあまりに自分から距離を取っていた事にセイ君は物凄く後悔します。

ただ、関わってくる事が多くなってくるとセイ君の汗は明るみになります。

バスケ部の中でもセイ君は汗っかきでした。『多汗症』と皆からあだ名を付けられて揶揄されるようになります。さらには汗の乾いたユニフォームの臭いが納豆臭かった事から『納豆』と言われるようにもなります。

でもセイ君はそんな事は気にしません。持ち前の能天気さは健在です。

それにセイ君の周りは馬鹿にする事が一種のコミュニケーションとしてありました。セイ君以外にも『多汗症』と言われている人もいます。その中にコウ君も入ってました。もう一人よく汗をかくムネ君とで『多汗症3兄弟』なんて言われます。バスケ部を仕切るコウ君でさえそんな風に馬鹿にされていたのです。ただ、気の強いコウ君は言った相手のシャツに汗まみれの自分の顔を押し付けたり、指で掬った自分の汗を相手に向かって弾き飛ばす豪快な事をします。そんな人達が周りにいたお陰で、セイ君はさほど汗を気にする事なく過ごす事ができました。

でも、それは部活の時だけでした。練習は汗を掻くことが前提としてあります。皆が汗を掻く状況だからこそ、セイ君は普通でいられたのです。

それが授業になると状況はまた変わってきます。静的な状況で汗を掻く事をセイ君は何よりも恐れていました。

セイ君の汗腺は非常にデリケートです。暑い日になると教室を移動しただけで顔がボッと火照って瞬時に顔から大量の汗が噴き出てきます。マラソンでもしてきたのかと思うほどの大量の汗を掻いていました。

それと、セイ君は場所や空間が変わっただけでも汗が噴き出してしまいます。慣れない状況(突発的な事)や、知らない場所、知らない人がいる空間など、緊張するような場所になるとセイ君の発汗は顕著に表れます。

知らない人しかいない会議室。

そんな所に招かれたりでもしたら、セイ君の汗はとんでもない事になるでしょう。

話を戻しますが、ただ移動しただけでこんな汗を掻くのはセイ君ぐらいです。涼しい顔をしている人達の中に一人だけ汗を噴き出しているセイ君。自分だけだというこの状況が恥ずかしさも相まって特に辛く感じます。

「どうしてこんなに汗を掻いてるの?」

周りからのそんな疑問がセイ君には最も堪えたのです。

さらに教室になると女子がいます。女子がいる中で自分の汗を話題にするのをセイ君は嫌います。フォークダンスの傷は依然として深く残っています。女子にだけは汗の事がバレたくありませんでした。

女子を意識していたセイ君の恋愛事情ですが、相変わらず女子には近づけずにいました。それでも、そんなセイ君に恋愛のチャンスは度々ありました。

携帯を持ち始めると、セイ君に何人かの女子がアドレスを聞きに来ます。

嬉しかったのでしょう。部活が忙しくて恋愛する気なんてないくせにセイ君はそれに応じます。しかもアドレスを聞いてきた全員とメールの相手をします。馬鹿です。失礼極まりないです。そうやって全く気のない女子達とメールを楽しみます。メールで告白もされました。でも、セイ君は振ってしまいます。相手の気持ちを踏みにじる馬鹿な行為です。でもセイ君に罪悪感はありません。のほほんと過ごしていきます。頭の悪い鈍感な男です。

ただ、やり取りはメールだけでした。汗を気にしてるので会う事は避けていたのです。何がしたいのでしょう。そうやって来るもの拒まずスタイルでセイ君は女子とのメールを楽しんでいきます。

当時のこのセイ君、本当に何も考えてませんでした。ただの暇つぶしという気持ちで何人もの女子とメールをしていたのでした。

そうこうしている内に卒業を間近にして一度も恋愛した事のない男となっていたのです。また中学と同様に卒業間近になるとカップルの急造が目立ち始めます。それに乗っかってセイ君も告白を試みようとします。

中学の時に同じクラスだったアサミさんです。アサミさんはセイ君と同じ高校でもありました。

実はセイ君、ずっとアサミさんに想いを寄せていたのです。それで何人もの女子とメールをしているのですから本当に馬鹿な男です。しかもメールの相手にはアサミさんの親友もいたのです。それでアサミさんに告白を試みようとしているわけですからこの男の鈍感さには呆れるばかりです。

結果から言うとセイ君の試みは玉砕します。

友達を介してアサミさんのメアドを聞き出そうとしましたがこの時点で断られたのでした。

多分、馬鹿な男だと思ったのでしょう。

親友の気持ちを知ってて自分に近づいてくるわけです。正気かよこの男は、と思われていたかもしれません。

そうして馬鹿なセイ君は恋愛を知らぬまま高校を卒業するのでした。


         つづき

          ↓

https://note.com/takigawasei/n/nb1d11bb0e772

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