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5.夢見るセイ君

高校を卒業したセイ君は島を離れて福岡の大学に進学します。どうして福岡なのかと言うと、四季を感じられて大都市のある所がいいなとぼんやりと思ったからです。

セイ君の島は田舎です。一番大きな建物はビーチに建つリゾートホテルぐらいです。本当は東京に憧れていたのですが、東京の大学はどれも学費も高くて生活費も高いです。それで少しは値段を抑えられる福岡に決めたのでした。

大学に進学したのも特に目的はありません。とりあえず大学にしとくか、という浅はかな考えです。そんな頭の悪い男ですから選べる大学は限られてきます。学年3位という学力はどこへ行ったのやら。高校生のセイ君は赤点ばっかりの頭の悪い生徒になっていたのです。部活を引退後、余った時間を勉強に費やしますが、受かった大学は、定員割れの、受ければ誰でも入れるような大学だけでした。早くも想定外です。その大学は博多から電車で一時間も離れた場所にある大学だったのです。夢見た都会暮らしは夢のまた夢となってしまいました。

それでもセイ君は夢の一人暮らしにウキウキします。ドラマでよく見るような女子のいるキャンパスライフを夢見てたセイ君。だけど入学式ですぐにその夢は打ち砕かれます。

周りは男だらけだったのです。

それもそうです。セイ君の大学は男9割の男臭い大学だったのです。パンフレットで知ってはいましたがここまで女子が少ないとは思ってもみませんでした。ゼミなんて女の子一人もいません。

愕然とはしますが気を取り直して大学生活を送る事にします。

講義は休まずにちゃんと出席します。そこは親の面目を考えてました。進学したからには最低限の事はしようと講義を最優先に大学生活を送っていきます。

友達はなかなか出来ませんでした。人見知りは健在です。

それでもセイ君には頼もしい仲間がいました。

同じ大学に高校のバスケ部で一緒だったノリ君がいたのです。学部は違えどセイ君はノリ君と行動を共にします。マンションも近かったので毎日のようにノリ君と一緒にいます。週末になると、中州に住むもう一人のバスケ部のリョウ君の所へノリ君と遊びに行きます。せっかく福岡に住んでるのにセイ君は島の仲間としか遊ぼうとしません。女の子なんて以ての外でした。

セイ君は新しい出会いから逃げ続けていました。

大勢の集まりは避けます。新入生の歓迎会とやらは絶対に参加しません。

汗で困るのが目に見えていたからです。

自己紹介とかで皆の前に立ったりしたら顔汗が出てくるだろうし、握手なんて求められたら濡れた手に驚かれるだろうし、カラオケのマイクなんて握れるわけないし、ボーリングなんてハイタッチ出来るわけないしで、こんな風に何をするにしても手汗や顔汗を気にしてしまうので、結局セイ君は大学生らしいイベントは避けるようにしていきます。ただでさえ人見知りでシャイなセイ君です。いきなり知らない人達の輪に飛び込んでいく度胸は持ち合わせていませんでした。初対面の人達がセイ君にはとてもストレスだったのです。それなら気心の知れた友人達と過ごす方が楽です。そうやってセイ君は二年の月日を大学の講義と島の友人達とのコミュニティだけで過ごしていくのでした。

大学も三年になると、セイ君の状況は変わってきます。講義を真面目に受けていたお陰でセイ君は卒業に必要な単位をほとんど習得していました。圧倒的に時間ができます。そこでセイ君はアルバイトを始める事にしました。

決まったアルバイトは大学の近くにあるレンタルDVD屋さんでした。映画が好きなのもあったので働いてみる事にします。

ただ、働くのにはやっぱり不安がありました。接客業なので汗に困る状況はきっと多いはずです。そこで、少しでもそういう状況を減らそうとセイ君は深夜の時間帯に働く事にします。

働いてみると、思った通りお客さんは多くありません。店内は冷房完備で快適です。スタッフも深夜番は二名体制です。これなら汗の事をあまり気にすることなく働けそうです。

仕事を覚えるのは大変でした。初めてのお客さんは声を震わせながら対応しました。額には玉のような汗ができました。もちろん手汗はジュクジュクです。それでもセイ君はなんとか接客をこなしていきます。額の汗は隙を見て腕で拭って、手汗は頻りにエプロンで拭います。デニム地のエプロンは汗染みができないので助かりました。

そうやって回数をこなしていくとだんだんと緊張が薄まって顔の汗は出なくなります。常に出てる手汗は事前にエプロンで拭けばなんとかいけます。セイ君は順調に仕事に慣れていきました。

だけどセイ君にはいつまで経っても慣れないものがありました。

グループのお客さんです。一人のお客さんだと余裕を持ってできるのに複数になってくると緊張してしまいます。仲間同士で気が大きくなってるのか、グループのお客さんはとても快活です。中には絡んでくるデリカシーのないお客さんもいます。そんなお客さんがどうしても苦手でした。そんな時はもれなく顔汗が登場してきます。

これが女性になるともっとダメでした。グループの女性が来た時なんてこの世の終わりです。強い香水の香りを嗅いだだけでセイ君の手は震えてしまいます。額には玉のような大粒の汗が噴き出して声まで震えてしまいます。緊張の度合いが全く違いました。毎回が接客デビューした時みたいな感じです。額から汗がダラダラ出てきて、声も震えてきます。知らない女性達を前にすると足が竦んでしまうのです。あまりにも緊張してるので笑ってしまうお客さんもいました。

ここまで男とばかり遊んできたのが仇となりました。二十歳を過ぎたのにセイ君には女性の免疫が全くありません。こんなにまでもウブになってしまったセイ君なのでここまで浮いた話は一切ありません。

恋愛はもちろんしたいです。手を繋ぎたいし、体だって触りたいに決まっています。

でもここで出てくるのはやはり手汗です。

いつもここで思い浮かんでくるのは顔を歪めたユカさんの顔です。

手を握っただけであれだけ嫌な顔をされたわけですから、これが体になればもっと不快になってくるはずです。もしかしたら拒絶されるかもしれません。

それを考えると臆病なセイ君が積極的にいけるはずがありません。傷つきたくないセイ君は魅力的な人がいても最初から諦めていたのでした。やはりフォークダンスの時の傷は深いです。いつまで経ってもセイ君は女性を知ることができません。

その悶々とした雑念を振り払うかの如く、セイ君は毎日のように働き続けます。息抜きは職場にある大量のDVDです。スタッフ特典としてDVDは新作を除いて借り放題でした。セイ君は色んな種類の映画を観ていきました。

そんなある日、いつものように借りたDVDを観ているとセイ君に衝撃が走ります。

その映画のタイトルは真実の行方という、リチャードギアが殺人事件の弁護人役で出るサスペンス物です。その容疑者役のアーロンを演じるエドワード・ノートンにセイ君は魅せられたのです。

この映画でエドワード・ノートンは二重人格者を演じます。気弱なアーロンと凶暴なロイ。この二人を演じるエドワード・ノートンのあまりの変わりようぶりにセイ君は度肝を抜かれます。鳥肌まで立ちます。恐怖すら感じました。それほどエドワード・ノートンの演技は凄かったのです。

すっかりエドワード・ノートンに魅了されたセイ君はエドワード・ノートンの出演作はもちろんのこと、色んな映画をジャンル問わずどんどん観ていきます。

映画の内容というよりは出演する俳優の演技に注目するようになっていました。

ファイトクラブのブラッド・ピット、ミスティックリバーのショーン・ペン、セブンのケビン・スぺイシー、冷たい熱帯魚のでんでん、トリックの阿部寛、とたくさんの俳優にどんどん夢中になっていきます。

気になった俳優はネットで調べていきます。何歳からキャリアを始めたのか、どれくらい下積みをしてたのか、何がきっかけでブレイクしたのか。どの俳優もキャリアは十人十色です。色んなサクセスストーリーがありました。ただ共通して言えるのは、確実性のない実力主義の世界で己の身ひとつで勝負を挑み続けているという事です。そんな生き方をしている俳優達はなんてカッコイイ人達なんだろうとセイ君は思います。気がつくとスクリーンの向こうに映る俳優達に強い憧れを抱くようになってました。

その内にテレビの中の映像に自分の姿を投影して想像します。想像しただけでも興奮しました。自分が自分とは違う人間を演じる。それはなんて楽しい世界なんだろうと目をキラキラさせます。

俳優になったら自分の事が好きになれるかもしれない。

セイ君はそう思います。

セイ君は自分の事が大っ嫌いです。シャイで、引っ込み思案で、自分の気持ちは主張できず、声は小さいし、感情をいつもしまい込んだまま。なんてつまんない人間なんだと劣等感でいっぱいです。

そんな自分だからこそ変わりたいと思いました。俳優をやったら自分という人間が変われるかもしれない。セイ君はそう思ったのです。

そして、セイ君、覚悟を決めました。

もう何回観たのか分からない真実の行方を流しながら、セイ君は誰もいない自分の部屋で声高らかにこう宣言します。


自分を超越した俳優に俺はなる!


あらあらセイ君。あなたは多汗症でしょう。ゼミの発表だけで汗を噴き出すあなたに俳優なんて出来るんですか?

もちろん、そんな声はセイ君には聞こえていません。キラキラした目を向けるその先には、狂演を見せるエドワード・ノートンの姿があります。鋭く睨みつけるエドワード・ノートンの顔真似までしています。もう止まれません。絶対にやってやるとセイ君は意気込んでいます。

こうして多汗症の現実に目を向けない、能天気男の無謀な挑戦が始まったのでした。


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