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15.忙しい日々


 なんだかんだで一ヶ月はあっという間に過ぎた。

 練習にはなんとかついていってるけど、相変わらず皆の背中が遠くなっていくのを、無力感を噛み締めながら眺めてばっかりだった。

 悔しい事ばかりだけど、その中でも変化していく自分の身体には楽しみがあった。

 最初の練習より格段に速くなっている。そう実感できた。

 トレイル練習やビルドアップ走にしても、設定されたペースについていける距離はどんどん伸びている。

 でも最後までついていくにはまだまだ先の話だ。

 それでも最初の練習と比べると着実に進歩しているのが実感できた。

 だけど、賢人と省吾の背中は遠くなったように感じた。特に省吾はメキメキと力を付けていた。長距離の走り込みになると先輩達にも粘り強くついていく。そんな省吾を見ると落ち込むけど、ここは焦らない。僕だって確実に伸びている。だんだんと練習への免疫もついてきている。最初は練習についていけるか不安でしょうがなかったけど、今では気持ちに少しの余裕もあるし、今日は最後までついていってやる、と闘争心も芽生えるようになってきた。

 高校生になって、駅伝部に入って、僕の生活はガラリと変わった。物凄く忙しくなった。特に放課後は時間との勝負だ。学校の時間が休息のひと時のように感じるぐらいだった。

 学校が終わると急いで練習場に向かう。遅刻厳禁。練習時間が短いので時間は無駄にできない。

 雑巾のように絞られて練習を終えると、すぐ家に帰ってシバと学習の森へランニングに出る。厳しい練習の日はボロボロで全然走れないけど、フリー練習の日はシバが疲れるぐらいは走り込む。

 それで帰ると筋トレをする。盛男さんに教えてもらった筋トレも何とか続けている。筋トレも部の練習と同じで二日に一回やるようにした。厳しい練習の日ではなくてフリー練習の日にするようにして、必ずご飯の前にトレーニングした。なるべく休憩を摂らずに三セットする。サッとやって、サッと終わる。これに徹した。時間を掛けるとだんだん億劫に感じるからだ。

 ただ、倒立だけは常にやるように意識した。少し時間があるなと思ったらやるようにした。学校に出る前とか、部活に出る前とか部活の休憩中とか、ほんのちょっとの空き時間に練習をした。これが意外に楽しかった。コツをつかむとどんどん上達していくからだ。今は壁がなくてもできる。すぐに倒れるけど。

 筋トレが終わったら、ここからは鍛えた身体を修復する為の時間だ。

 まずアイシング。アイシング方法は大志先輩に教えてもらった。氷を入れたビニール袋を酷使した脚に当てて、そのままラップで脚ごとグルグル巻きにする。これなら袋が落ちないから自由に動き回れる。

 このアイシング中に晩ご飯を食べる。食生活も大事なケアの一つだと教わった。

 今まで僕はご飯に興味がなかった。どちらかと言うとお菓子が好きだったけど、新藤の話を聞いてからはしっかりとご飯を食べようと思った。

 それで、筋肉が付いて疲れが取れる料理が食べたい、と母にお願いをすると、リクエストを受けた母はかなり感激していた。栄養大学で勉強していた頃の血が騒いだみたいで、それからの食卓には僕がリクエストした通りの料理が並んだ。

「鶏のむね肉にはイミダゾールペプチドって言う疲れの取れる栄養素たくさん入っているの。このチキンステーキに、炒めたニンニクのアリシンで、もう明日は絶好調よ」

 こんな感じで料理の説明が延々と続いていく。いつも適当な相槌を打っているけど、もりもり料理を食べていく僕の姿が何よりも嬉しい返事みたいだ。

 自分も含めて、家族の皆が驚いているけど、僕の食欲はかなり増えていた。

 ご飯を食べる量は格段に増えた。お茶碗三杯の朝ご飯、おにぎり二つ付き大盛り弁当の昼ご飯、練習前の梅おにぎり、練習途中のバナナ、練習後のツナおにぎり、それでシバとランニングして筋トレをしてからの晩ご飯。一日の食べる量はこんな感じ。

 どんだけ食べるのよ、と母は嘆くけど楽しそうに見えた。

 料理熱はどんどん加熱していって、食卓には色んな料理が並んだ。昔の教科書を引っ張り出してきて勉強もしているみたいだ。

 ほうれん草のおひたしを食べると、鉄分がどーたらこーたら、かぼちゃとパセリのサラダを食べると、ビタミンEがどーたらこーたら、と説明が飛んでくる。お蔭で少しは食材の栄養とか身体への効果とかが分かるようになった。

 盛男さんから晩ご飯は控えめにするように忠告されているけど、母の作る料理はどれも美味しかったのでついつい箸が進んでしまう。

 とにかく腹が減った。「空腹が最高の調味料」と父が自慢げに言うように、何でも美味しく感じた。身体が欲しているので、こればっかりはしょうがない。自分の身体は自分がよく分かっている。

 ただ、寝る二時間前までには食べ終わって、満腹には絶対にしないようにした。消化中は身体が一番活発になる時みたいで、そんな状態で寝ても疲れは取れないだそうだ。

 それは自分の身体でも分かった。満腹状態で横になったらよく分かる。腹は重いわ、吐きそうになるわ、で眠れるわけがない。だから夜はなるべく満腹にしないようにしている。

 それで寝る時間までは寝つきやすい身体になる為の準備をする。

 まず、風呂に入る。必ず入浴した。アイシングで冷やされた身体を入浴で暖めて、最後にシャワーで冷やしてから上がる。

 それからは扇風機で身体を冷やしながらストレッチをする。このストレッチ中にテレビを見たり、スマホをいじる。

 ストレッチが終わったら部屋に戻って宿題をしたり本を読んだりする。部屋の中は間接照明だけ。そうしていると猛烈な眠気がくるので逆らわずに寝ると、もう朝だ。そして、また忙しい一日が始まる。

 盛男さんはミーティングの最後にこれをよく言う。「明日を後悔しないために早く帰って寝ろよ」と。

 今ではその言葉の意味が自分の身体を通してはっきりと分かる。よく眠れなかった日は、本当に走れなかった。すぐ疲れるし、粘れないし、脚は上がらない。おまけに授業でよく居眠りをする。悪い事のオンパレードだった。

 それに比べて、気持ちよく眠れた次の日は、気持ちはスッキリだし、筋肉痛も和らぐし、何より充実感のある一日が送れる。皆に教えてもらったお蔭で僕の一日はガラリと変わった。

「いきいきしているな」

 ストレッチをする僕を見て父が言った。父の言った通り、高校生活は充実していると実感していた。忙しいけど色んな発見があって楽しかった。


 また明日を元気に迎える為にしっかりと寝る。


 そんな気持ちで眠りに入る自分が、何よりも大きく変わった事だなあと思う。


             つづき

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https://note.com/takigawasei/n/n4752512445dd

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