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【映画】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』ヒーローの力と責任

面白かった。ネタバレを避けつつ感想。

スパイダーマンシリーズの「力と責任論」

スパイダーマンというヒーローは、まさに「隣人」。
お金持ちお坊ちゃんのバットマンでもないし、人間性をあまり感じないキャプテン・アメリカでもないし、金持ちイケメン天才のアイアンマンでもない。ただ学生生活を送り、普通の日々を過ごし、何かに憧れているだけの少年。だからこそ、一番感情移入しやすい。

スパイダーマンシリーズを通して語られるのは「誰かを、助けなさい」。その考えに対する強度を描く物語だ。「それでもなお、見捨てないで助けますか?」というヒーローの通過儀礼を突きつける。

それ単体では成り立たない理想だと思う。自発的ではない誰かの残した言葉だからこそ、神格化されるのだろう。「絶対的な記憶」になるプロセス=別れを経ないと、人間が持つには重すぎて耐えきれない理念。


大いなる力には、大いなる責任が伴う。

社会に対する責任。自分のエゴを優先したくなる誘惑に抗う責任。そんな力なら欲しくないや、とも思うけど…。そもそも現実世界での力はギフテッドなものでもある。偶然にでも先天的にでも、突如"与えられてしまう"もの。

物事の良い面だけを得ることはできない。現実を突きつけてくる、強い言葉だ。力には責任が表裏一体でついてくるし、苦労・苦しみ・悩みも地獄のように追いかけてくる。

フランスの格言「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」を思い出す一言でもある。「noblesse(貴族)」と「obliger(義務づける)」を合成した言葉で、身分の高い者は、それに応じて果たさねばならない社会的責任と義務があるという意味。大いなる立場には、大いなる責任が伴う。


こう捉えることもできるだろう。

「おもちゃが欲しい」は子ども。
「欲しい物のために、苦労するのをいとわない」のが大人。
「誰かの欲しい物のために、自分の欲しい物を我慢する。
 いや、自分が本当に欲しいのはこの世界の人の幸せなんだ」がヒーローか?

力を得ても、責任を果たさなかったり、運が悪かったり、自分を優先してしまった人がヴィランとなる。力を得た分岐のタイミングで、違う道に進んだピーター・パーカーのB面の姿こそがヴィランだ。その選択は、本人のせいじゃないかもしれない。運が悪かっただけの人もいる。ピーターにとってのおじさん、彼女・友人という存在がいたかどうか?という環境の話もあるかもしれない。その悲哀こそが、スパイダーマンシリーズに共通して流れる、やるせなさの魅力なのだろう。


主人公ピーターは物語を通して成長する。大人になり、ヒーローになる。それは最初に選んでしまったからだ。誰かのために動いた責任を、自らがヒーローになる形で、取らされる。

ピーターは幸せだったのか?

ヒーローは自分の幸せを捨てないといけないのか?
社会の公器にならないといけないのか?
人間としての人生と共存できないのか?

キャプテン・アメリカのように最初からどこか人間離れした「理念」的な存在ならまだしも、普通の少年ピーターが「ヒーロー(人間とはかけ離れた存在)」になるのは、彼の人生にとって良いことなのか、と思ってしまう。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」の理念を究極的に全うすることが、生きる意味となり、「誰かを助けたい気持ち」が何よりも優先したいものである。
作中の状況的にも、ヒーロー論としても、そうなるのは「わかってはいる」んだけど…。

私は親愛なる隣人、もとい超人となってしまったピーターと遠い立場にいるのだろう。市井の凡人としては、つい人間ピーターに思いを馳せてしまうし、この歌詞に共感してしまう。

例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

出典」Mr.Children『HERO』


映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の感想

最初の導入の不穏さが良い。ピーターの日常が脅かされ、叔母さんの恋愛は破局を迎え、良いことが待ってなさそうな音楽が流れる。

そして、もうダメだ、というところでふとアクセサリーを見る。「もしかしたら」と予感を抱かせる流れのスムーズさ。脚本がうまい。

「スパイダーマンはこうだよね」というアクションも最高。空中を縦横無尽に動き回り、果ては地下鉄と衝突寸前で…という冒頭からのジェットコースター的楽しさ。

そして、待ってました!アベンジャーズシリーズ恒例の「話し合いの下手さがもたらす、じゃれあい甘噛み喧嘩」。これが見たいんだよね…!

ドクター・ストレンジが関わってくると、戦闘の理屈はわけわからなくなるけど、理系ピーターの機転での結末には納得感があった。


最近見た映画「ドントルックアップ」しかり「ポスト・トゥルース」的世界が描かれる。それ自体は、地道には消せないよなあ、と結末を見ると感じてしまった。

スパイダーマンの「蜘蛛」自体が人間に嫌われる存在。実際は、家の中にいたら、他の虫を食べたりして、人間が暮らしやすくなるような存在だけど、忌み嫌われる。


ギャグもずっと面白い。日常世界の人間が非日常世界に行ったら、たしかにこうなるよな、って種類のあるあるに満ちている。

一度安心させて落とす。一度怖がらせてスカす。期待通りの「予想の裏切り方」が王道で楽しめた。エンタメ作品としての完成度が高い。


映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の微妙なところ

見ていて、いまいち消化しきれなかったのが、ヴィランと戦うときの「直す」という発想とやり方について。ここはやや大雑把に感じる。2時間映画の限界だから、あの表現だし、仕方ないと思うけど…。

海外ドラマで10話で描いていたら、もっと一人一人の内面と向き合って「何故そうなってしまったのか?仕方ないところもあったよね。でも悪いし、こうあれたら良かったね」というカウンセリングプロセス的な深みも出せた気がする。せめて、「直す道具」を使うときに「その人だから言える一言」がほしかったなあ…。全員を「直す対象」として、十把一絡げに対応していたのは、嫌だったというよりも、もったいなかった、って印象だ。

そもそも、スパイダーマンシリーズのヴィランをどう捉えるか?

「分岐点で弱さに負けて、間違った選択をした」というよりは「本当は心優しい怪獣が、兵器の欠片が体に刺さって騒いでいた」というキャラのほうが多いのかもなあ。記憶が曖昧なので見返さないとわからない…。


スパイダーマンシリーズに限らず、泣ける描写

あ、自分はこの描写に弱い。泣ける、って感じたものが3つほど。

①リフレインする名言。もうその言葉が出た時点で、あっ、ってなる。どこかで聞いたぞ、という予感の怖さ。

②MJがピーターを抱きしめる行為。言葉にしないんだよな。「辛かったね」と一言で語れないからこそ、大きな辛さを感じる。

③救われなかった過去の自分を救うための今の行為。自分が苦しんだからこそ、他人にその苦しみは味わわせない。この手に弱い。助けに行く最中で、もう泣いた。一番泣いた。


ということで、おすすめな作品です。


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