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音楽は魂の色。

 僕は今、海辺のホテルで窓の外を見ながらジャズを流し、タバコを燻らせ本を読んでいる。自分で言うのも痛々しいが、情景として(今だけ)とても絵になる男だと自分のことを思っている。自画自賛でしかないが、何年も努力して作り上げた肉体を持ちながらも、本を読むという知的な部分を持ち合わせている(気がするだけだが)、そんな自分が意外と好きなのだ。
 本を読むことで得られることはたくさんある。言語能力や短絡的な知識、それと本を読むことで「この人はどういう意識がありこの発言をしているのだろうか。」ということを考えられる力が付く。小説というのは「どうしてこうなったか。」というのを何万文字も使って紐解いていくものだ。僕は音声配信をしていて、いろいろなリスナーさんや配信者と出会う機会がある。この人はどういう経緯を経てこの発言をするに至ったのか、と考えながら配信をするのが好きだし、逆に考えすぎてしまうことが多くて配信そのものに疲労感を感じてしまうことがある。
 これはおそらく僕の心の弱さであるし、とてもきれいな言い方をするのであれば「他人のことを思いやることができる」力があるのだろうと考えている。

 あまり流行りの曲を聴かない僕だが、たまに耳にしたとき歌詞の意味を考えながら聞いている。この曲を描いた人は何を思い歌詞にしたのだろう。と考えるだけで、音楽を楽しめる幅が広がると思っているからだ。
 僕が中高生くらいの頃、西野カナや清水翔太などの恋愛ソングが流行っていた。僕はありきたりなラブソングを反吐が出るほど嫌っているし、「あなたを好きだという気持ちを言葉で表現しきれません。」という雰囲気のある曲が特に嫌いだ。言葉にできない感情とはなんだろうか。
 男として生まれ、感情に沿って生きている自覚はあるし、昔の男は多くを語らないことがかっこいいとされていた。しかし、恋人や好きな人に「好きだね、かわいいね。」と言うことが恥ずかしいとされる風潮がよくわからなかった。好きな人にはなぜ好きかを語るべきだと思うし、何が可愛いかを詳細に伝えるべきだと思っているからだ。

 だがそんな僕でも、何十年も前に流行っていたジャズという曲の魅力が、「多くを語らない、曲を聴いてわからせる男のかっこよさ」であると思うし、それがなお曲を心の深いところまで届ける魅力の一つであると思っている。
 なんでこんな贔屓をするような思考を持っているのか考えながら本を読んでいたが、一つ僕の中では結論が出た。これはあくまでも僕の持論であり、他者の意見を求めていることではないのだが、ジャズの曲には起承転結がしっかりとあり、一見よくわからない楽譜の中にも物語を感じさせるものがあるからだと思っている。感情が高まってアドリブを入れても曲が成立したり、つい体が動いてしまうグルーヴ感であったり、彼らは聴き手に「分からせよう」としていないのだ。聴き手が分かったら勝手に楽しめばいいのだ。

 思えばここ何年も呼吸が止まるほど集中して聴いている曲に出会っていない。これはいろいろなコンテンツが世の中に溢れているから、僕個人の集中力が低下している面もあるのかもしれないが、世間的に短絡的に数十秒のうちに曲の全容をわからせようとしている音楽が主流になっている面もあるのかな。とも思う。
 10代の頃のように聴くだけで高ぶった曲が、死ぬまでに出会えるだろうか。それだけを楽しみに僕は生きていきたい。

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