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シャニマスの話『熱を持って飛べ/私が樋口円香さんを好きな理由』

シャニマスの話です。ノクチルの樋口円香さんについて考えたことを書きます。考察でもなく感想です。

主に、なぜ私は樋口円香さんを好ましく思うんだろう?という話になっています。

pSSRの【カラカラカラ】を運良く引けたから、記事を書こう……と思っていたのですが、ノクチル全員のpSSRが出揃って、「天塵」が出て、限定ガシャで浅倉と雛菜が……浅倉のサポートSSRも出たし……

そういうわけで物凄い時間が経ってしまったんですが、今思っていることをとりあえずツラツラと書こうと思います。よろしくおねがいします。

樋口円香さんを好きになった理由を考える

樋口円香さんを見ると「自分にもこういうことを考えてた時期があったな~~~」という感情をどうしても引き出されてしまう。

あったな~、ではなく、今もあるかもしれない。

公式サイトに書かれている通り、彼女はシニカルな態度を取ることが多い。「笑っておけばなんとかなる、アイドルって楽な商売」とか「高燃費、お疲れ様です」とか、そういった具合だ。なんとも態度の悪いガキだと思う。

かく言う私もそういう冷笑的な態度をとっていた時期があり、「世の中を正確に見れている『賢い』振る舞い」に浸っていたことがあった。

当時のことを思い返すと、自分は夢や目標を持って努力することが出来ない性分だった故に、自己を正当化する手段としてそういったことを考えていた気がする。

樋口さんがそういった理由でこうした言動に至っているのかはわからないけれど、ノクチルが「年相応の感じ」を出そうとしているのを見るに、そう遠くもない発想なんじゃないかとは思う。

夢を捨てて軽くする話

プロデューサーに対して「ミスター・オールドタイプ」「高燃費」などと言う彼女は、「低燃費」な生き方を志向していると言っていいだろう。

彼女には実際そのように生きたいという思いがある。無駄な努力をしたり、挑戦して失敗する姿を他人に見せたくない。それは人生において不必要な苦しみだからだ。

ただ、樋口さんの抱える問題のややこしいところは、「ラクをしたい」わけではないところにある。彼女は少なからず、自分も他人も傷つかない世界を求めている。

努力が無駄になったり、挑戦が失敗に終わったりするのは苦しいことだ。周りから笑われるかもしれない。同情してくれる人もいるだろうが、自分のことで他人を悲しませたり同情させてしまうことは、それはそれで辛いものだ。

また、何かを求めれば往々にして他者との競争にさらされる。そりゃあ自分が勝つほうが嬉しいが、自分が勝つことで負ける誰かがいる。それでも勝ち取りたいという強い意志があればそれも気にならないのだろうが、何かに対してそれほど強い意志を持てる自信はない。

「夢を追いかけて努力する」なんてことは「ただ日常を生きるだけ」なら必要ないのだ。自分の身の丈以上のものは求めない。そうしていれば無駄に苦しむことはない。だからそれで良い。わざわざ傷つきにいくなんてバカのやることだ。

だから、夢などと呼ばれる、「身の丈に合わない目標」は持たないし、そもそも持てない。そのほうが賢いと思っている。しかし、そうできる人に憧れてもいる。

VS市川雛菜(あるいは、幸いを求める話)

こうした考え方は、市川雛菜さんの人生哲学と一致する部分があるように思う。

雛菜さんは、「雛菜はね、雛菜が楽しい〜って思うことだけでいいの」としばしば主張する。自分が楽しいと思える事だけやっていれば人生は幸福だとする考え方だ。辛いことや苦しいことにわざわざ目を向ける必要はない

樋口さんと全くソリが合わないように見える彼女だが、根本的な考え方は似通っているのかもしれない。

雛菜さんのすごいところは、良くも悪くも自他の切り分けが非常にはっきりしていることだ。「自分のやりたいようにやる」と思っているが、他人のやりたいことを否定することはない。

自分と相容れない考え方や概念が世界に存在するのは仕方ないとして、その正当性は認めつつ、距離を置く、という思考。そもそも他人の考えてることは絶対にわかり得ないのだから、他人の考えてることに対して無意味な想像は働かせない。

そういう考え方ゆえに、彼女はプロデューサーに自分についてどう思っているか、プロデューサーはどうしたいのか、をしばしば確認している……そうしなければ気がすまないタイプでもある。

なんにせよ、大抵の人間はなかなかそこまで自他を割り切れないのが実情なんですよね。少なくとも樋口さんにとってはそうで、それが彼女のカンに障っているんだろうなと思う描写がしばしばあります。しかも樋口さんは自身の幸福を求めることに対しては消極的に構えることでいなしてるのでなおのこと響くのではないか。

というか私も雛菜さんの物言いは結構カンにさわる。

しかし、雛菜さんからすれば「なんでこんなに楽しくなさそうな振る舞いをしてるんだろう」と疑問なわけで、樋口さんと雛菜さんの間のバチバチってそういうところにもあるのかもしれない。

熱をもって飛べ

彼女はさまざまな矛盾を抱えている。心配性なのに大胆で、優しいのに神経質で、控えめだけど傲慢だ。おまけに、見なくていいものに目を向けてしまうし、考えなくていいことを考えてしまう。

そもそも始まりが「親友がアイドルになるなどと言い出したので、その事務所が怪しくないか単身調べに行く」ってなかなかとんでもない。ものすごく慎重そうで心配性なくせに、ものすごく短慮で大胆なところがある。そのアンバランスさがどこまで意図的に描かれているものかわからないけれど、そうしたところが彼女の幼さ、未熟さであると思う。

だから私は彼女のそういったところに惹かれるし、自分を重ねてしまうところがある。私だってシャニマスのプロデューサーのような人に出会ったら、尊敬こそすれ、どこか冷笑的に見てしまう部分もあると思う。そういう自分に嫌気がさす時期が彼女にもあるかもしれない。

そういった、彼女の抱える幼さと苦しみが、私だけでなく様々な人に共感を与えているのではないか、と思うのだ。

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リアリスティックにひねくれた心理と、そこから生じる苦しみに苛まれる人生、そこに「風穴」をあけるのは「トップアイドルになる」などというバカげた夢を追いかけることだった、ということはすごく正統派なフォーマットだと思う。「ベタもいいところですね」と言われそう。それこそ樋口に。

でも、現実においてもそうだと思う。

物事に対し冷めた態度を取ってしまうような人間が幸福を掴むには、ときには熱に浮かされることが必要だ。

それは「友達を助けなければいけない」という衝動でも、叶うかわからない夢を追いかけることでも、なんでもいい。

私も自分の人生の中でそれを知った。だから、樋口円香の物語が他人事とはどうしても思えないのだ。

なお、「クレイジーな人ですね、勝算のない賭けに興じるなんて」などの物言いも全然他人事ではないので、私は全身をかきむしって死にたくなることがある。そういうことを言いたくなる、言わないまでも思っちゃう時期はあるから。ありますよね? 私にはあったよ。


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