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【(やや)短編小説】マリッジブルー・後編

 この場で連絡先を交換し、ふたりは急速に仲良くなった。そしてある冬の日、みちるはいろいろすっ飛ばして、貴文に抱かれた。初めてだった。

 ことが終わったあと、貴文は
「ごめんね。痛かった?」
 と訊いた。
「ううん。覚悟はしてたから」
 と、みちるは笑った。

「男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる、ってね」
 貴文は上機嫌だったが、みちるはその言葉にもやもやした。貴文さんの最後の女になりたいよ。私の初めてを奪ったんだから、最後の女でいさせてよ。
 
 
 その日を境に、彼氏彼女になったが、貴文は実にうまくみちるの懐に入り込む男だった。

 みちるの煙草をやめさせたのは、貴文だった。みちるは、貴文が泣いて頼むので、禁煙外来に通い出した。それでもなかなかやめられないみちるに
「みちるちゃん、煙草吸っちゃうの?」
 と捨てられた子犬のごとき、うるんだ目を見せた。みちるもかねてからやめたいと思っていたから、貴文のおかげで煙草をやめられてよかったと思っていた。

 貴文の口出しはそれだけに留まらなかった。

「みちるちゃんは運転へたくそだから、やめたほうがいいよ。このままだと事故起こすよ?」
 貴文に言われて、免許を返納した。貴文が言うには
「どこに行くのでも、僕が運転するから大丈夫だよ」
 ということだった。
 
 
 貴文はみちるの人間関係にも口出しした。

「みちるちゃんの工場の女性社員たち、付き合わないほうがいいよ。みんな、みちるちゃんのこと馬鹿にしてる。僕、聞いちゃったんだ、工場行ったとき。みんなでみちるちゃんの悪口言って、盛り上がってたよ」

 貴文が語った悪口の内容は、確かに工場に勤めている人間でなければ知りえないようなもので、みちるは随分とショックを受けた。みちるはみんなと一緒にお昼ごはんが食べられなくなり、独り工場裏のベンチでお弁当を食べるようになった。

 貴文はこうも言った。
「みちるちゃん、ちょっと太ってきたんじゃない? 僕がいるから安心しちゃったかな? これからは、毎朝走ったほうがいいね。太った女性は好きじゃないんだよ。四十五キロ超えたら別れなくちゃ。大丈夫。僕も一緒に毎朝走るから」

 みちるが半裸になって体重計に乗るのを、貴文はいつも見張っていた。
 
 
 少しずつ、行動範囲が狭くなり、付き合う人間が減ってゆき、いつのまにかみちるには貴文以外、誰もいなくなってしまった。どこへ行くにも、貴文と一緒でなければ行けない。車社会のこの土地柄も悪い方に作用した。
 
…………………………
 
「新婦さん、こっちに目線ください!」

 カメラマンに言われて、涙の滲んだ顔を向けた。

 明日からは、貴文さんの言いなりの人形。そう思うと、この晴れやかな日が泣けてくる。

 瀬戸内の穏やかな海が、きらきら反射するのだけが美しかった。
 
 
 
 
〈おしまい〉

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