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わが子に実践して気付いた、モンテッソーリ教育のメリット・デメリット

ここ数年、突如として「モンテッソーリ教育」なる教育理論が世を賑わせている。子育てママであれば一度は耳にしたことがあるだろう。

映画公開、藤井聡太二冠が幼少期に使用した教具の売上急増、有名YouTuberの解説動画、ラリー・ペイジを生み出した教育法とのイメージ拡散など、枚挙にいとまがない。

tarakoは、モンテッソーリ教育の専門家でもなんでもないので、モンテッソーリ教育の歴史背景だとか、理論の詳細、モンテッソーリ教育を受けた有名人を解説するのは、世にあふれる記事に任せるとして、ここでは「わが子に実践してみなければ気付かなかった、モンテッソーリ教育のメリット・デメリット(注意点)」について書いてみたい。

※ なぜか、記事後半が消えてしまったので、重点を絞って一度書き直しています。。

「モンテッソーリ教育」をシンプルに捉えると?

あまり教科書じみたことは書きたくないが、モンテッソーリ教育の開発者である、マリア・モンテッソーリさんの下記の説明がまさにこの教育の核心をついていると思う。
わたし自身、わが子の成長を通じて実感するまではピンと来なかった。
モンテッソーリ教育について考えるとき、下記の「概念」を常に念頭に置いておかれることを推奨する。

When a child is given a little leeway, he will at once shout, ’I want to do it!’ But in our schools, which have an environment adapted to children’s needs, they say, ‘Help me to do it alone.’
DR. MARIA MONTESSORI, THE SECRET OF CHILDHOOD
Reference: AMERICAN MONTESSORI SOCIETY

※ 著者意訳:子供は成長段階に伴い余裕が出てくると「私がそれやりたい!」と言うようになるが、モンテッソーリ教育の現場では「私がそれを一人でやるのをサポートしてほしい」という、他者の協力を得て目的を確実に達成するために、他者に提案をするようになる、ということとの解釈。

モンテッソーリ教育のメリット

① 環境適応能力を養うことができる
② 自立と互助を身に着けることができる
③ 集中力とロジックを鍛えることができる
④ 世界中の多くの国で同様のメソッドに基づく教育を受けられる

上記を見ると、なんだか「VUCAの時代において、自分の才能を生かしたグローバル人材」が育ちそうなイメージを持つ方も多いのではないか?

実際にモンテッソーリ教育で育児を実践中の身からすると、そのイメージ、「半分当たっていて、半分当たっていない」という感想だ。

「メリット」のセクションでは、当たっている部分について記載する。

素人の感想だが、モンテッソーリ教育の根幹をなすのは「環境適応能力が身につくように、様々な環境を提供する」ということだと感じている。
確かに、わが子の、新しい環境や体験をするときにも物おじせず、適応する糸口を自ら見つけようとする姿を見ると、環境適応能力が育っているのを実感する。

また、自分のことに加えて、他の人のことについても「周りを巻き込んで解決する」というアプローチをとろうとする姿も見てとれる。

ロジックが強化される理由は定かではないが、生物の環境適応に照らして考えると、生物は試行錯誤の上で最適な生存方法の選択を繰り返していくと、結果として非常に美しい「神の所業のような」ロジカルな経路が出来上がることは往々にしてある。シマウマの模様やウイルスの薬剤耐性獲得など様々な進化でそれを見て取れる。
恐らく仕組みは似ていて、子供も不確実な中で環境適応解に繰り返したどり着くなかで、クリティカルな論点に最短でたどり着くコツのようなものを身に着けるのではなかろうか(tarakoの仮説)?

tarakoも、まがいなりにも外資コンサルを生き抜き、不確実なビジネス環境の全線で戦っており、ロジカルさには自信を持っていた。しかし、3歳児に見事に因果の逆転など、ロジックの欠点を指摘されることもしばしばである。たとえば、

レストランでアイスを食べてから約1時間後、、、
子供「おなか痛い。」
tarako「アイス食べ過ぎたからだよ。今度からアイスはすこしにしようね。」
子供「アイスのせいにしないで。さっきのレストランのご飯が腐ってたのかもしれないじゃん。」
tarako「(はい。否定するファクトはありません。おっしゃる通り、結論ありきで話してました。)そ、そうだね。じゃあ、とりあえず整腸剤飲んで、温かくして様子見ようか。」

といった具合である。。
まさに答えを特定できない状況において、無理に結論を出さず、tarakoの視野を広げることを通じて「外しにくいオプション」を選択させるように導いている(子供は整腸剤の効果を知らないがtarakoは知っている)。確かに、仮にアイスと断定して「アイスをやめる」というオプションに固執していたら、整腸剤を飲ませず、食あたりを悪化させていたかもしれない。たとえ本当にアイスが原因であったとしても、整腸剤を飲むことによるダウンサイドリスクはたいしてないのである。

これを聞いて「可愛げがない」と思ってしまうのも良くわかる。その場合、モンテッソーリ教育を取り入れる際の注意点にも目を通していただきたい。

モンテッソーリに限った話ではなく、tarako自身の教訓だが、子供に対して「一人の小さな大人」として接するべきで、「子供のくせに」「大人は答えを知っている」というアティチュードで子供と接することは、絶対に避けなければいけないと痛感したエピソードでもある。
上記は親戚ですればよいような笑い話だが、子供自身は大まじめであり「結論から入らない」ということがいかに不確実な環境でレジリエントに生きるコツであるかを大人にも学ばせてくれる。

モンテッソーリ教育の注意点

① 家庭によるフォローアップ負荷が大きくなる
② 英才教育ではない

さて、前セクションでは、
モンテッソーリ教育を受けると「VUCAの時代において、自分の才能を生かしたグローバル人材」が育ちそうなイメージに対して当たっている点を指摘した。

このセクションでは当たっているとは言えない点、ありがちな誤解について、tarakoの経験をもとに書きたい。

まず、モンテッソーリ教育をしっかりと行っている園に入ったとしても、家庭によるフォローアップがなければ、その効果が十分に発揮されないか、かえってよくない方向に進む可能性がある点を指摘しておきたい。
上記のような人材が、適切な園にいれれば、勝手に育つというのは大きな誤解である。

かく言う、tarako自身も夫婦共働きであり、決して潤沢にフォローアップの時間をとれているわけではない。

しかし、前述の通り「環境適応能力が身につくように、様々な環境を提供する」ことを重んじるモンテッソーリ教育において、家庭でも不確実な環境を常に与えてあげる必要がある。
つまり、モンテッソーリ教育が与えてくれるのはあくまでも「環境適応の基礎体力」であり、子どもの才能を見出すためには、新しいことに晒し、興味を持ったものを見つけたら惜しまず投資をするくらいの覚悟が必要なのだ。
将棋にせよ、プログラミングにせよ、知る機会がなければ、子供はその才能を開花させることは絶対にないのだから。

逆に、「環境適応能力が強化される」ということは、不適切/怠惰/単調な環境を与えてしまえば、子供がその環境で生きやすいように適応することを強力にドライブしてしまうということでもある。
つまり、こういったリスクを認識したうえで、適切なフォローアップをする覚悟が必要ということだ。

また、グローバル人材になりそうな気がするかもしれないが、(少なくともtarakoの子の園では)英語の授業を特に重視するわけではないので、結局多様な文化をもつ子供がいる環境で英語を習わせるか、家族で海外に移住するなどの「不確実な環境」を作り出してあげる必要がある。

また、英才教育ではない点は強調しておきたい。子供によっては青天井で上の学年のお仕事にチャレンジしていくかもしれないが、成長がゆっくりの子のしりをたたくようなことはしない印象である。
つまり、計算能力や読み書きなどのテクニカルな部分の「習得」を是とし、目的としている親は、モンテッソーリ教育を選ばないか、英才教育的なプログラムを併用することをお勧めする

実際、上記のような誤解をされている中でモンテッソーリ教育を選ばれた方とお話をしたが、英才教育を受けている子供と比較して後れを取ってしまっているというような事をおっしゃっていた。不幸な事例である。

マーケティング的視点からすると「某K〇大学付属受験」とか「早熟な立ち居振る舞い」を目指す親、いわゆる権威型の親には「ニーズと効用のギャップ」を生む可能性があるので注意してほしい。
どちらかというと、何処か欠けていても、子供が時代にのまれず、自分の才能・個性をしっかりと発揮してほしい、と考えるようなリベラルな親に適すると感じる。

・・・と、偉そうに語ってみたものの、tarako自身、決して完璧にフォローアップできているわけではないし、もしかしたら子供の才能の種を見つける機会を逸してしまったかも、などと考えることもある。tarakoも初めての育児で分からないことだらけなのである。

注意点として最も伝えたいのは「モンテッソーリ・メソッド」といった、手段から入るのではなく、「子供にどう育ってほしいか?」という親自身のニーズや教育の目的に立ち返って熟考の上、意思決定をしないと後悔する可能性があるということである。

最後に

まとめると、モンテッソーリ教育はいわゆる「英才教育」を求める親には適さず、ある程度余裕をもって「子供が不確実な世界で生きる力」を求める親には適するとの理解である。

tarakoはモンテッソーリ教育を素晴らしい教育だと思う。しかし、それは、たまたまtarakoの教育観にマッチしたというだけの話だ。なので、ここではあくまでも中立的立場から経験談を記載するよう心掛けた。

ここで改めて、モンテッソーリ女史の言葉を見ていただき、‘Help me to do it alone.’がいかにモンテッソーリ教育の効果を端的に表現しているかを感じていただけたら、(原因不明の記事の消滅を乗り越え)記事を書いたtarakoも報われるというものです。

When a child is given a little leeway, he will at once shout, ’I want to do it!’ But in our schools, which have an environment adapted to children’s needs, they say, ‘Help me to do it alone.’
DR. MARIA MONTESSORI, THE SECRET OF CHILDHOOD
Reference: AMERICAN MONTESSORI SOCIETY

起業の資金調達であれ、社会貢献のファンドレイジングであれ、社内調整であれ、自分で何かをなしたいと思ったら他者を巻き込むスキルは必須である。
また、そのようなスキルを持つ人と、持たない人の差を見てみても、モンテッソーリ教育が時代を変えるような「傑出した人物」を、特に不確実性が高い分野において、複数排出するのも納得がいくだろう。

最後に、お子様にモンテッソーリ教育を受けさせようか検討しているかた、そして何よりも、前途明るい子供達にとっての一助となれば幸いである。


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