【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第59回】
🔷 「入院」の中の「義務でやってるんじゃない。好きだからやってるんだ」を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第59回)✍
「入院」の中の「義務でやってるんじゃない。好きだからやってるんだ」を掲載します。
入院
「義務でやってるんじゃない。好きだからやってるんだ」
由美子が入院した七月二十一日から亡くなる八月八日までの十九日間、私は、午後二時過ぎから、面会の最終時刻の午後八時まで、毎日、病室に通いました。由美子は、「最終時刻までいなくていいよ」と気遣ってくれましたが、私はこう言いました。
「義務でやってるんじゃない。好きだからやってるんだ。義務でやっているというのは、しかたなくやっているという感じがする。だけど、俺は義務でやっているんじゃない。こういうことが好きだから、いや、由美子が大好きだからやっているんだ。だから余計な心配はしないで、お前は治療に専念すればいい。やってほしいことがあったら、何でも言ってくれ。やるからね!」
由美子はゆっくり頷きました。まもなくして、由美子は私にしてほしいことを言うようになりました。
私が毎日、面会の最終時刻の午後八時まで、由美子のそばにいることにこだわった理由は、由美子が不治の病と闘っている最中に、容態が急変するかもしれないと考え、できるだけ長い時間一緒にいたい、と思ったからに他なりません。「その時」が来たら、看取ることが伴侶として最低限すべきこと、と強く思ったからです。やるだけのことはやった、と自分に言い聞かせていますが、それでも悔いは残っています。
(PP.131-132)
➳ 編集後記
第59回は「入院」の中の「義務でやってるんじゃない。好きだからやってるんだ」を書きました。
私が病室の中でできたことは、ただ由美子を見守ることだけでした。自分ではどうしたら良いのか思い浮かびませんでした。
看護師さんに「私はどうしたら良いのですか?」と訊ねたところ、「見守ってあげてください」と言われたことが記憶に残っています。
結局、私の方から積極的に働きかけることは何もできませんでした。辛いことでした。
しかし、私以上に由美子のほうが耐えがたい心身の痛みにも弱音を吐かず、ぎりぎりのところでバランスを保っていました。心の中では大泣きしていたはずです。