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【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第86回】

🔷 「四十九日法要」の「身内だけの法要」を掲載します。🔷

 『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者   藤巻 隆
発行所  ブイツーソリューション

 ✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第86回)✍

四十九日法要

身内だけの法要

 月日の経つのは本当に早く、四十九日法要がこんなにすぐに営まれるとは想像していませんでした。法要は、平成二十七年九月二十七日(日)午後一時から、父の眠る妙秀寺で営まれました。妙秀寺は戸塚駅東口からバスで数分の距離にあります。「元町」というバス停から徒歩二~三分です。

 妙秀寺は、「日蓮宗身立山妙秀寺は、鎌倉の小町にある妙厳山本覚寺の末寺に当たり、題目である『南妙法蓮華経』の弘道の拠点として延文元(一三五六)年に創建」(妙秀寺 サイトから)されたそうです。六六○年程前のことになります。

 妙秀寺は、由美子が入院していた戸塚共立第2病院の真裏にあります。目と鼻の先にあります。生と死が直結していると感じました。

 鈴木家からは、義兄の正彦さん、奥様の清美さん、和真君と、藤巻家からは私、可奈、母の一恵、姉の(田村)あや美の総勢七名が参列しました。

 朝方は曇っていましたが、午後になって晴れ間が見え、納骨にも支障がありませんでした。妙秀寺の本堂でご住職による丁寧な読経が行われ、三十分ほどで終了すると、本堂の裏手にある墓地へ納骨しました。

 四十九日法要に先立ち、四十九餅は中屋菓子舗さんにお願いしました。中屋菓子舗の創業は古く、嘉永二年で一八四九年のことです。つまり、江戸時代です。約一七○年前になります。老舗の和菓子屋さんです。

 また、黒塗りの位牌は若泉神仏具店さんに発注しました。創業は昭和十二年だそうです。今年(平成二十七年)で、七十八年になる老舗です。平成十年に他界した父・貞雄の位牌をお願いして以来となります。

 さらに、墓誌へ戒名を刻んでいただいたのは秋元石材店さんで、同じく父が他界した年以来のことです。大正八年の創業で、百年近くになります。


四十九日法要


 四十九日法要には事前準備が不可欠で、とてもすべてを覚えておくことはできませんし、一つでも足りないことは許されない、と感じていましたので、ホワイトボードに書き出しました。

 墓前の両側には、大きな白いゆりを中心に黄色、赤色など色鮮やかな花(菊やカーネーション)を供えました。参列者一人ひとりが線香を上げました。両手を合わせ、心の中で念仏を唱えた時、涙が出そうになりましたが、奥歯を噛みしめこらえました。

 法要は午後二時頃に終了し、精進落しのため、妙秀寺からタクシーに乗り、戸塚駅西口にあるきじま本陣という日本料理店へ向かいました。

 きじま本陣に決めた理由は、母が自分の葬儀の際に、ここを使って欲しいという強い希望があり、その下見を兼ねていたからです。

 総勢七名でしたが、八人用個室が予約でき、由美子の料理は無料で出していただけました。季節料理が次々に提供され、思っていた以上に分量があり、しかも美味しかったので、参列者に概ね好評だったようです。そっと胸をなでおろしました。

 次の法要は一周忌です。一年経っても深い哀しみは癒えることはないでしょう。一周忌の後は、三回忌、七回忌・・・と続きます。しっかり行おうと思っています。

(PP.226-230)



➳ 編集後記

第86回は「四十九日法要」の「身内だけの法要」を書きました。

葬儀の後、気持ちの整理ができないうちに、四十九日法要を執り行いました。無事に納骨を済ますことができ、一段落しました。

しかし、これで終わりではありません。精進落しがありました。精進落しが滞りなく終了しなければ、その日は終わらないと思いました。

かなり神経を使いました。それでもどの料理も美味しかったので完食できました。




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