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【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第94回】

🔷 「おわりに」(1)を掲載します。🔷

 『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行 
著者   藤巻 隆
発行所  ブイツーソリューション

 ✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第94回)✍

おわりに(1)

 私の六十年の人生において、最愛の妻・由美子に先立たれたことは最大のショックです。由美子が亡くなる前日(二〇一五年八月七日)には六十九キロあった体重が、八日から十日までの三日間で四キロも激減し、六十五キロになりました。食欲が減退したのです。

 現在(同年十一月二十日)の体重は、さらに減って六十四キロです。一時、六十二・五キロになったこともあります。食欲は回復しましたが、体重は戻りません。BMI(ボディマス指数)の観点から見れば、良いことです。リバウンドするどころか、体重が減少し、バランスが保たれているからです。

 三、四年前まではメタボ体型で八十三キロありましたので、二十キロ近くも減少したことになります。以前の衣服がぶかぶかになり、買い換えました。ウエストや手の指が細くなり、ベルトも買い換え、結婚指輪(外していません)が抜けやすくなりました。いかにショックが大きかったか、ということを物語っています。

 この本は私にしか書けなかったと思っています。なぜ、そこまで言い切れるのでしょうか?

 その理由わけは、由美子と私、由美子と私と可奈で、「濃密な時間」を共有したのは、世界に六十億人いる中で、私だけだからです。

 とりわけ、由美子が入院し、息を引き取るまでの時間は「濃密な時間」でした。平成二十七年(二〇一五)七月二十一日に入院し、同年八月八日早朝に亡くなるまで、由美子のそばに最も長くいられたのは私でした。実際には、そばにいるだけで何もできませんでしたが。

 可奈は、二〇一四年に神奈川県の公務員試験に合格し、二〇一五年四月から○○警察署で警察事務職員として勤務しています。私は会社勤めをしていませんでしたので、毎日、由美子を見舞うことができたのです。

 入院期間はわずか十九日間でしたが、毎日、午後二時過ぎから、面会の最終時刻の午後八時まで、由美子のそばにいられました。面会時間は午前十一時からでしたので、できれば午前中から見舞いに行きたかったのですが、家でやらなくてはならないこと(今までやったことのない家事全般)がありましたので、面会に行く時刻がどうしても午後二時過ぎになってしまったのです。

 掃除、洗濯(干す、取り込み)、洗い物、買い物、ゴミ出し、布団の上げ下ろし、アイロンがけ、公共料金等の支払い、金融機関での入出金処理、区役所での手続きなど。炊事だけはしませんでしたが、家事のほとんどすべてをしました。現在では炊事もしています。

 つまり、「主夫」をしています。どれも「主婦」にとっては当たり前のことですが、実際に自分で「主夫」をやってみると、会社の仕事とは、かなり異質な困難さを感じました。自分でやってみないと分からないことがたくさんあります。

 由美子は働きながら、家庭内の細々したことを、ほとんど一人でこなしてきました。今まで、家庭内のことは全て由美子に任せっきりでした。私が家庭内でしてきたことは買い物と掃除、ゴミ出しだけでした。 

(PP.256-258)(PP.244-255 写真は他の記事で投稿します)



➳ 編集後記

第94回は「おわりに」(1)を書きました。

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』は残り少なくなってきました。

各種データは2015年9月~11月現在のものです。そのため2022年3月現在とはかなり異なります。その点はご了承ください。

娘可奈は警察署を辞め、IT企業にエンジニアとして勤務しています。2021年12月に入籍し、家を出ました。

藤巻家にはもう私一人だけになりました。2018年8月に大切な家族の一員になった愛猫ノアと生活しています。ノアは私が話しかけると、内容を何とかして理解しようとしている(?)姿が可愛いと思います。





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