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愛のポリティクス ~精神科医R.Dレイン論・メモ


(※一部修正しての再掲)


ふたつのゲシュタルト 

クレペリンの講義にて

1900年頃のドイツ、病院の講堂にて。
統合失調症や躁うつ病の疾患概念をまとめあげるなど、今日の精神医学の礎を築いたエミール・クレペリン教授は、「緊張病性興奮」――今日で言う統合失調症の一亜型――と診断された一人の患者を講堂に招き入れる。その昔は、医学教育のために、講義の舞台で実際に患者を診察してみせる、といったことがしばしば行われていたのだった。

本日諸君にご供覧にいれている患者はほとんどかつがれるようにして入室しなければならなかった。[…]患者は目をつぶったまますわり、周囲に全く注意を払わない。話しかけられても見上げようともせず、はじめ低い声で答え、だんだん大声を張り上げる。いまいるのはどこかと尋ねられると彼は言う。〈あなたもそれを知りたいの。だれが判定されているか、判定されるか、判定されることになっているか、わかっている。みんな知っている。お話できる。でもそうしたくない〉と。名前をきかれると彼は声を張り上げる。〈あなたの名前は何というの。彼は何を閉じているか。目を閉じている。何を聞いているか。彼は理解しない。理解しているのじゃない。どんなふうに?だれが?どこで?いつ?彼は何を言おうとしているのか。私が彼に見るように言っても、彼はちゃんと見ない。ほら、ちょっとみてごらん。これは何ですか。どうしたの。よく見て。しかし彼は見ない。ねえ、いったいどうしたの。なぜちっとも答えようとしないの。また鉄面皮になろうとしているの。どうしてそんなに鉄面皮になれるんだ。私だよ。教えてあげよう。だが、あなたは私のために売春しない。生意気になっちゃいけないよ。鉄面皮な不潔な野郎だ。[…]〉。しまいに彼は全く言葉にならない声でわめく。(クレペリン講義録からの引用、『引き裂かれた自己』 (以下DS)32)

そして、クレペリンはこう付け加える、「彼は疑いもなくすべての質問を理解したけれども、有益な情報の一片もわれわれに与えなかった。彼の話は…ただ一連のばらばらの文章にすぎず、全般的状況になんらの関連も持たなかった」(DS32)、と。
さて、今日の私たちは、レインが処女作の導入部で引用しているこの一場面に何を読み取り、何を聞き取るだろうか。
クレペリンが解説するような、緊張病ゆえの滅裂な言動や、脈絡のない興奮、といったものであろうか。
しかし実際には、クレペリンの精緻な描写によって、百年の時を経て浮かび上がってくるのは、皮肉にも、精神病の何たるかよりも、精神病と診断された者の、ひとつの叫びである。レインによるコメントを待つまでもなく、この患者は「このような尋問形式にひどく憤慨しているのであろう[…]彼は判定されたり検査されたりすることに抗議している。彼は自分の本当に言わんとするところに耳を傾けてほしいのである」(DS32)ということが、分かる。
ただし、ここでレインは、必ずしも診断そのものの是非――「この患者に精神病という診断は誤りだ」とか「精神科の診断などそもそもレッテル貼りに過ぎない」といった――を問うているわけではない。それよりもまず、精神科における「診断」が、どのように「機能」してしまうのか、ということを問うている。

ケン・ローチ監督 映画『Family Life』より

有機体/人間 ――2つの経験的ゲシュタルト

主流派精神医学の権威たるクレペリンの講義録の中から、あえてこのような箇所を抜き出してくるこの感覚、客観的であるはずの症状記述の背後にある叫びを聞き取らずにはいられない感性。そこにはすでに、レインの一貫したエートスが現れている。それも、単に情緒的な共感といったものではなく、確たる一つの方法論として。
精神医学的な症例記述のほとんどは、クレペリンが報告したような具体的やりとりまでは描かれていない。しかし実際には、このような直接的なやりとりなくして、その「症状」や「診断」を見定めることはできない。だから、記述からこぼれ落ちているとしても、程度の差はあれど常に、標準的な教科書に記述されてあるのは「精神科医をも含む行動野の中での人びとが示す行動」であり、「患者の行動はある程度、同一の行動の場における精神科医の行動の函数」であり、つまりは「標準的精神科患者は標準的精神科医の函数であり、また標準的精神病院の函数」(DS31)だ、ということになる。
このように、患者を一個の「対象」として――独立し、孤立し、自己完結した対象物として――みるのではなく、あくまでも、他者との関係性において理解する、あるいは関係性そのものとして理解することが、いつも、レインのアプローチにおける通底音として、ある。とはいえ、そのように語るのは、「客観的に理解しようとしても、主観的にならざるをえない」などといった、否定的な側面を単に強調したいがためではない。「客観的」「中立的」とみなされているものが常に適切なのか、ということ自体を問うているのだ、とみるべきだろう。レインは次のようにも述べていた、

より〈科学的〉であり〈客観的〉であろうとする臨床精神科医は、眼前の患者の〈客観的に〉観察可能な行動にのみ自分を限定すべきだというかもしれない。これに対するもっとも簡明な答えは、それが不可能だということである。〈疾病〉の〈徴候〉を認めるということは中立的に見るということではない。微笑を口輪筋の収縮と見ることはなにも中立的ではない。われわれはある人物と関係を持つやいなや、彼を何らか特定の仕方で見、〈彼の〉行動にわれわれの説明や解釈を加えずにはいられない。患者の側の反応性の欠如のためにわれわれが立往生し当惑させられ、われわれの接近に答える何者も存在しないとわれわれが感じるようなネガティヴな場合でも、事態は同様である。(DS35)

人が人として人にかかわるかぎり、避けることのできない視点。それは、単なる因果関係ではなく、人と人との「関係性」において「意味」を理解する、という視点である。そのことを、レインは「一つの図像に対する二つのゲシュタルト」というアナロジーを用いて、こう説明している。

ルービンの壺

花瓶とも見え、あるいは、互いに向い合ったふたりの顔とも見える一つの図形[…]。私はあなたを、私と同じもうひとりの人間と見ることができる。[…]私はあなたを、一つの複雑な物理‐化学体系と見ることができる。[…]他者が人間と見られたり、あるいは有機体と見られたりするのは、ことなった志向作用の対象となるからである。目前の対象のなかに精神と肉体という二つのことなった本質もしくは実体が共存しているという意味での二元論ではない。人間(person)と有機体という二つのことなった経験的ゲシュタルトがあるのである。(DS19)

そして、二つのゲシュタルトがあるということは、精神症状を見極めようとする際にも同じように当てはまる。

ある患者に目を注ぎ耳を傾けて分裂病(一疾患としての)の〈徴候〉を見出すことと、単に一個の人間存在としての彼に目を注ぎ耳を傾けることとは、根本的にちがった仕方で見かつ聞くことであって、例の両義的な図形の中にまず花瓶を見てとり、ついで顔を認めるのと同じである。(DS38)

ここで注意すべきは、レインがわざわざ、これは「精神/肉体」の二元論のことではない、と付け加えている点である。レインは「二つの経験的ゲシュタルト」という表現によって、「こころ」と「からだ(脳)」の二元論(両者を分断した上でさらに両者を”統合”して「人間全体をみる」とする論もしかり)とは異なる次元での話をしている、ということだ。例えば、心理的な「防衛機制」や「無意識の構造」といったものの存在を仮定する見方であっても、それらが一つの個体の内部で完結したものとみなしている場合には、「物理化学的システムとして見る」ということと同じ側にある、と言える。
レインが提示していることは、ある意味では、きわめて単純なことだ。

「私はあなたを、私と同じもうひとりの人間と見ることができる」――そう、そこには、「あなた」だけではなく、「あなた」を見る「私」という、もう一人の存在がすでに前提とされている。

そのときに生じていることは、二つの物体が横に並んでいる際に生じていることとは違う。

この単純な事実から始めようとするのだ。


人を人として見ること、その困難 ~ 医学的メタファー


今日では、精神科に限らず医療全体において、「患者さんを人としてみる、その人全体をみる」といったフレーズは、耳に心地よい言葉として、すでに違和感なく受け入れられている。しかし、そのフレーズはいったい何を意味しているのだろうか。それが、単に「サービス業化した医療」を意味するのではないとすれば。「人を人として見る」ということをあまりに安易にとらえてはいないか、「人を人として見る」ことの困難をあまりに軽く見積もってはいないか、との思いもよぎる。
「人を人として見る」ということは、確かに、ごく当たり前のこと、誰しもが日常的に意識せずとも行っていることではある。しかしその一方で、人は容易に人と人との間に壁を作り、人を人と思わぬ立ち振る舞いをする。それも、往々にして、自分自身がそうしているとは気づかぬままに。「人を人として見ない」ということは、ときには、実務の効率性におけるメリットとして、ときには、ある種の心理的な「防衛」として機能する。相手を「人として見る」ことで沸き起こってしまう自らの感情を回避するため、人は、モノのごとく・機械的に関わることがある、ということだ。あるいは、「モノ」とは言わないまでも、人にラベリングをすることで、何事かを回避しようとすることもある。
臨床場面においては、「診断」という行為が、そして、その他の医学的判断が、そのようなものとして機能してしまうことがある。レインはそれを「医学的メタファー」と表現し、次のように説明している。

第一に、そのような人の行動は、その人の“なか”で起きている病理的プロセスのサインと見なされ、それ以外のことは全て二の次と見なされる、ということである。この問題のすべてが医学的メタファーの中に包まれてしまっているのである。第二に、この医学的メタファーが、このメタファーにとりかこまれるすべての人びと、つまり医者と患者の行動を、左右することである。第三に、いったんこのメタファーを経ると、もともと組織のなかでの患者であったはずの人間が、その組織から隔離されてしまって、もはや一人の人格(person)として見られることができなくなる[…]その当然の結果として、医者の方も一人の人格として行動することが困難になる。 (『解放の弁証法』(以下DL)23)

精神科における診断は、いまなお、何らかの身体的検査によって特定されうるものではなく、逆に、身体的検査によって他の身体疾患であることを否定するとともに、特徴的な症状や経過を示唆するような情報を集めてゆくことを通じて、総合的になされるものである。それゆえ、身体的な病いの診断と比べてしまうと、精神科における診断は、まるで言葉の次元だけでなされているような印象を与えかねない。そのような性質に加え、精神疾患に対するそもそもの偏見などが相まって、精神医学的診断はメタファーのごとく独り歩きしやすい状況はある。
メタファーとは、その言葉が本来意味するものではないが、何かしら似通ったところのある物事との結びつきを生み出すものである。それゆえ、詩のように創造的なイメージを生み出すこともあれば、人を傷つけるイメージを生み出すこともあるだろう。精神医学的な診断もまた、メタファーのごとく、様々な出来事と結び付けられてゆくのだ、そのような連鎖はもはやメタファーでしかないとは意識されぬままに。あるいは、意識されないからこその、メタファーとしての機能として。
例えば、何の診断も受けていない人であれば、「個性的な振る舞い」として容認されるような行動であっても、統合失調症と診断された後では、あらゆる行動が周囲の人々から「統合失調症らしさ」とみなされたり、病状を悪化させるのではと心配されたりして、様々な制約を課されてしまう、といった具合に。先のクレペリンの講義にて供覧された患者にしても、立場や時代が違えば、十分に理解しうる反発からの振る舞いであっても、ことごとくが精神病の症状とみなされていたように。
このように、私たちのまわりには、知らず知らずのうちに、医学的メタファーによって二重三重の境界が張りめぐらされている。それによって束縛される可能性があるのは患者とされる人々だけではない。診断されていない人々も、そして、治療やケアに関わる人々も含めて、である。レインが述べるように、患者やその周りの人々が医学的メタファーに絡めとられていくほど、治療者もまた自らの振る舞いをそのメタファーへと合わせてゆかざるをえなくなり、「一人の人格として行動することが困難になる」。ますます自らの役割は固定化され、治療者自身が「モノ」「ラベル」「メタファー」のごときものとならざるをえなくなるだろう。
それゆえ、治療者はつねに忘れてはならない。「症状」や「診断」を見定めようとする医学的な眼差しそれ自体が、どれほど当の相手を束縛し傷つけうるか、そして、そのことに気づかぬがゆえに、どれほど、さらに道を誤りうるか、ということを。
端的に「人として理解する」ということは、診断のみならず、当然、治療の過程にも関わるものである。医学的メタファーに見られるような、行動を個人へと切り詰めていくことが「治療」として――心理療法なり、薬物療法における評価なりにおいて――実践されるとき、何らかの快方をもたらすどころか、閉塞や孤立、ときにはスティグマ化すらもたらすこともありうる。後の章でもふれるが、レインは治療に関しては、特定の技法を磨くよりも、「結ぼれ」から自然治癒へと導くことに腐心する人であった。そのような視点からすれば、医学的メタファーに絡めとられたままの「治療」は「自然治癒過程との接触」とは真逆のものということになるだろう。
このような医学的メタファーに取り囲まれた状況を見通すために必要となるのが、先に述べた、二つの経験的ゲシュタルトを見分けるまなざしである。そして、だからこそ、レインは最後まで繰り返し訴え続けた。「人を人として見る」という、ごくごく当たり前であるはずの――にもかかわらず、いまだ困難でもある――ことを。

彼らには本当に「治療が必要」なのだ。彼らがどのような治療を受けようとも、「われわれ」としては、「彼ら」がいかに「われわれ」と異質であろうと、われわれ自身と同じに「あくまでも人間(simply human)」として「彼ら」を扱う treat ことを断じて忘れてはならないのである。[…]普通の精神状態と異常な精神状態との間、普通の「現実」と異常な「現実」との間に大変な差違があることは確かだ。こういう差違を私は糊塗しようとしているのでも、できるだけ見くびろうとしているのでもない。問題なのは、こういう差違がどんな違いを生じさせるのか、ということなのである。「われわれ」にとってそれはどんな違いを生むのか。われわれと彼らとの間の差違がどんな違いであるとわれわれはみなすのか。 (『レインわが半生』(以下WMF)16)

方法としてのアマチュアリズム


一個の「有機体」から相互的な「人間(person)」へのパースペクティヴの転換、そして、その往還、あるいは二重視。
レインにとってそれは、単なる認識論的な議論などではなく、治療的な営為そのものへと通じるものでもあった。半生を振り返った自伝においては、さらにこのようにも述べていた。

自覚している限りでは、私は、科学的、臨床学的、医学的な事実がまさしくその通りのもの、すなわち科学的、臨床学的、医学的な事実にほかならないということを否定したおぼえはない。が、同じ事実でも人は違った見方で見ることもできる。[…]いかなる事実も問題にしているわけではない。同じものを違う目で見ることから生じる問題を真剣に考察すること自体が、この世の不安、苦痛、狂気、愚行のいくらかを少なくすることに役立つのだ、と私は信じている。 (WMF3) 

同じものを別様に見ること(seeing the same differently)、それがもたらすポジティヴィティを信ずること。
しかし、ならば、「別様に見る」と言っても次のような場合はどうだろうか。先のクレペリンの講義の引用に続いて、レインはこのように語っていた。

私はここで、私が精神科医としてもっている、一つの個人的な難点について告白(confess)しておかねばならない。それはこの書物全体の背後に底流しているのである。というのは、慢性分裂病者の場合は別として、面接しているひとのなかに精神病の<徴候と症状>を現実に見出すことに、私は欠陥をもつということである。これは私の側に何か欠陥があって、未熟なために幻覚や妄想などをとらえることができないのだと考えたこともあった。しかし、精神病者との自分の経験を、標準的教科書に記載されている精神病の叙述と照らし合わせるたびに、私は患者たちが私に対して示す応対の仕方に著者たちが全くふれていないことに気がついた。 (DS30)

プロフェッショナルらしからぬ、いかにもナイーヴな告白(コンフェッション)ではある。ただし、「精神病の<徴候と症状>を現実に見出すことに欠陥をもつ」ことは、「患者たちが私に対して示す応対の仕方に標準的教科書の著者たちが全くふれていない」ということの裏返しとして語られている。レインがまだレジデントだった頃について語られた、「自分は精神医学に対する確信が欠けていることを逆手にとってそれを勇気のよりどころとする以外にない」(WMF41)との言葉にも通じるところの、アマチュアリズム的な反転。
ここで思い出されるのは、自伝の結びの一節、レインが現代の医学教育のありようについて語っていた事柄である。

私は、直接的な人間的(personal)コミュニケーションとは何であるかをもっとはっきりと深く見きわめたかった。コミュニケーションや、ミス・コミュニケーション、ノン・コミュニケーション、エクス・コミュニケーションなどを理解することが、果して西洋精神医学の諸問題解決に貢献できるのであろうか。[…]パーソナルな領域(personal area)は、殆どの精神科医から無視され易い。なぜか。私の思うに、専門家(プロ)たちは、患者と同じくらいその領域を恐れているのだ。精神医学は、最も個人的(パーソナル)、主観的であるものに対して、できる限り科学的、非個人的(インパーソナル)、客観的であろうと務める。精神科医が治療にあたる混沌とした苦しみは、われわれの最も個人的な、私的な考えや欲望にほかならないものと関係がある。この領域と取り組む度合いが精神医学ほど大きい医学分野は他に存在しない。この個人的側面を臨床上の理論と実践に組み入れさせるように医学生や若き医師たちを訓練して適応させるものは、西洋の医学教育には皆無なのである。[…]
この回想録に記した内容が終る時点で、私は三十歳になり、処女作『ひき裂かれた自己』を書きあげていた。近い将来、理論と実践の両面で自分が何に専心したいかを私は知っていた。つまり、先刻から述べてきたあのパーソナルな要因に注意の焦点を合わせ始めたのだ。パーソナルな要因、それは、あなたと私、ということにほかならない。  (WMF301) 

プロフェッションとしての医学の教育において、パーソナルな領域が「無視されやすい」のは、単に客観性を重視するから、ということだけではない。そこには専門家自身の、パーソナルな領域を扱うことへの「恐れ」があるのではないか――そんなレインの指摘に、臨床家ならば、思い当たる節があるだろう。
最もプライベートな部分を扱うということには――それが単に病歴聴取のような表面的なやりとりではなく、治療 treatment として取り扱う treat のであれば――、例えば、人の手に触れることが相手に触れられることでもあるように、治療者自身のプライベートな領域に「触れられる」かのような感覚を覚え、回避したくなる、というのはありうることである。
また、患者の側にしても、そのパーソナルな領域に治療者が安易に「踏み込む」ことは、治療的になるとは限らず、それどころか侵襲的にもなりうる。
とはいえ、パーソナルな領域に「触れる」ことなく、精神科医は、はたして何か「治療的」なことをなしうるのだろうか。
医学的メタファーから離れ、有機体として眺めることもやめ、「恐れ」つつも、「治療者と患者」ではなく「あなたと私」――人と人とが共に在るということ、そのパーソナルなコミュニケーションから始めてみること――このような語りはロマンティックに聞こえるかもしれないし、プロフェッショナルな課程において回避・否認されがちかもしれないが、これもまた臨床において不可避な一側面として再認識しておく必要があるのではないか。
そう考えると、レインは“反”精神医学的というより、あえて精神医学の「アマチュア」たらんとした、というべきではないのかと思えてくる。

愛のポリティクス


賞賛する者からも、批判者からも、レインは「”分裂病”なる病名はただのレッテル貼り」だと主張した「反精神医学運動の旗手」である、などと語られるのが常であり、それはもはや戦後の精神医学史を語る際のクリシェになっている。しかし彼自身は、「自分は”反精神医学者”ではない」と明言していた。
そして、ここまでみてきたようなレインの言葉をなぞってゆくならば、そのような否認が決して日和見的なものではないことが見えてくるだろう。たしかに、著作の中には、一文を取り出してしまうと、「反精神医学的」と解されかねない表現はある。しかし、そのような箇所でさえ、レインは慎重に言葉を選んでいる。その言葉選びを、私たちも慎重にたどりなおす必要がある。
例えば次のような一節。

われわれは分裂病というものの存在を仮定していない。仮説としてのそれをも採用してはいない。分裂病のいかなるモデルをも、われわれは提案しはしないのである。
これがわれわれの出発点である。そしてわれわれの問題点は次のことにある。精神科医たちが分裂病の徴候や症候とみてきた体験や行動は、今まで考えられてきた以上に社会的に理解しうる(intelligible)のではないか、ということにある。 (SMF5) 

レインは言う、分裂病の「仮説」「モデル」を提案はしない、分裂病の「存在を仮定しない」と。しかし、それは、分裂病の存在を「否定する」ことと同じではない。「存在を仮定しない」という持って回った言い回しが示唆するのは、分裂病といった病名に限らず、様々な判断を一旦“括弧”に入れて、人々の経験そのものに則した理解を目指すこと、それがレインの出発点であるということだ。そのような方法によってこそ、精神病エピソードと呼ばれるものについてもまた、しばしば「連鎖(ネクサス)の行動面のみならず相互-経験の面における特殊な危機として」(SO43)理解されうる、つまりは「社会的に理解可能」となりうる、レインは考えていた。
そしてそのような方法において必要となるのが、ここまでみてきたような、世界・他者・自己のあいだでの相互の関係において理解する、ということである。次のような一節も、同じような視点から読むとどうであろうか。

彼の行動が「分裂病」の「原因」の一つなのです。しかし社会的交互作用の無限の螺旋はそこで始まらなかったし、またそこで終りもしていないのです。
いわゆる「分裂病」はどの程度まで彼の行動の「原因」となりうるか。そうわれわれがたずねる時、われわれは螺旋の次の環を問題にしているのです。  (PF71)

ここでは、「原因」をイタリックにしている、その理由まで考えるべきだろう。レインは、分裂病が彼の行動の原因となることを否定しようとしているわけではない。「分裂病が彼の行動の原因となっているのではないか」と問うことと同じように、「彼の行動が分裂病とみなされる「原因」となっているのではないか」と問うこと。そのような螺旋運動が、はじまりも終わりもなく、続いていくということ。つまりは、 「原因」について語る、その語りそのものが螺旋の一部をなしているということ。そのことを示そうとしている。
それでは、より明確に「反精神医学的」とみなされるであろう、次の一文はどう考えるべきか。

「分裂病」として「状態」が存在しているわけではないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、この社会的事実とは一つの政治的出来事なのです。 (PE128) 

ここであわせて考えるべきは、レインが「政治的」という語をいかなる意味合いで用いているか、ということだ。分裂病ナルモノがそのままの状態で存在しているわけではなく、そこには社会的な「ラベリング」というプロセスがあってこそ一つの「事実」として存在しうるということ。このような指摘は、ここまでみてきた議論にそのまま通じるところであるが、さらに一歩踏み込んで、それが「政治的出来事」であるとは、どのような意味なのか。
ここでレインが「政治的」であることについてふれている他の箇所を参照してみるのがよいだろう。

私は精神の苦しみを理想化したり、絶望や崩壊、苦悶や恐怖をロマンティックに美化したりしたことは一度もない。両親や家族や社会が、遺伝的もしくは環境的に精神病の「原因となる」などと言ったこともない。耐えられぬほど苦痛である精神や行為のパターンというものが存在することを否定したこともない。自分のことを反精神医学者と呼んだこともなく、初めて友人でも同職者でもあるデイヴィッド・クーパーが「反精神医学者」という言葉を用いた時にはそれを非難しさえした。だが、それにもかかわらず、概して精神医学は、社会が排除し抑圧したがっている分子を排除し抑圧する働きをしているという反精神医学的なテーゼには賛成する。もし社会がこのような排除を求めるなら、社会は、精神医学の助けを借りても借りなくても、排除を行うのである。多くの精神科医は精神医学がこの役割を辞退することを望んでいる。 (WMF20)

薬剤は精神医学的治療を初めとするいかなる精神医療においても多大の恩恵をもたらしうる。要は、それをどのように使うか誤用するかにかかっているのだ。[…]肝腎なのは、この問題の政治性である。一体、誰が誰の意思に反して誰に何をする権限をもっているのか。 (WMF49)

レインは精神疾患の実在性といったものに強く異議を唱えているわけではなく、そのような意味で、「反精神医学者」ではない。しかしその一方で、精神医学が、社会における排除や抑圧の機能を担いうる可能性や、実際に担ってしまっている面もある現状など、精神医学の「政治性」には憂慮をしている。そしてこれは、先に取り上げた「医学的メタファー」をめぐる問題圏そのものである。
クーパーは明確に左翼的思想の持主であったし、レインの論文も『ニューレフト・レヴュー』といった左派の雑誌に掲載されたりもしていた。そして、クーパーらと違って、政治的な活動には気乗りがしなかったレインであるが、二つの著作に『家族の政治学』『経験の政治学』といった具合に「politics」という語をわざわざ用いているぐらいであるから、「ポリティクス」に何の関心もなかった、というはずはなかろう。 精神医学批判を一般論で済ませるのではなく、 ミクロの次元で、「誰が」と問うこと。それがレインにとっての「政治性」であり、おぼろげには医師を志したときから思い描かれていたものであったのかもしれない。それを彼は、人間対人間のポリティクス、あるいは、愛のポリティクスと呼んだのだった。

私は普通の意味では学生として政治に積極的にかかわるのを、主義の問題としてではなく残念なことに自分がそういうことには「向いていない」と感じられたために、やめていた。それよりも、もっと仔細に覗いてみたくなりかけていた別の政治部門――すなわち、あらゆる経済=社会的、階級間または階級内の関係や、国民的、人種的な関係に満遍なく滲透している私たちの人間対人間の政治学(person-to-person politics)――があったのだ。それは基本的な人間の絆そのものの政治学にほかならない。愛の政治学と言ってもよい。 (WMF190)

人と人、基本的な人間の絆、すなわち、「愛」。
『引き裂かれた自己』においてすでに、レインは、治療における「愛」について、こうも語っていた、

患者を統合し、断片をつなぎあわせるのに重要な役を演じるのは医師の愛である。つまり、患者の全存在 total being を認め、一切の制限をつけずに受け入れる愛である。
と言っても、これは単に医師との関係性における出発点であって、目的地ではない。 (DS227)

〈理解〉という言葉によって、純粋に知的な過程を私が意味していないことはあきらかであると思う。理解のかわりに愛といってもよい。だがこの言葉ほど乱用された言葉もない。必要なのは、十分ではないにしても、患者が治療者を含めて、彼自身と世界とをいかに体験しているかを知ることである。 (DS40)

「愛」とは何かロマンティックな特別なものではなく、患者を全存在として受け入れ、理解することであり、「人-間として見る」こととして述べてきたことそのものであろう。そして、この「愛」を「出発点」としてゆくこと、それがレインの臨床であり、また、レインにとってのポリティクスでもあった。


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