精神科医R.D.レイン論 1-⑤ 愛のポリティクス
賞賛する者からも、批判者からも、レインは「”分裂病”なる病名はただのレッテル貼り」だと主張した「反精神医学運動の旗手」である、などと語られるのが常であり、それはもはや戦後の精神医学史を語る際のクリシェになっている。しかし彼自身は、「自分は”反精神医学者”ではない」と明言していた。
そして、ここまでみてきたようなレインの言葉をなぞってゆくならば、そのような否認が決して日和見的なものではないことが見えてくるだろう。たしかに、著作の中には、一文を取り出してしまうと、「反精神医学的」と解されかねない表現はある。しかし、そのような箇所でさえ、レインは慎重に言葉を選んでいる。その言葉選びを、私たちも慎重にたどりなおす必要がある。
例えば次のような一節。
レインは言う、分裂病の「仮説」「モデル」を提案はしない、分裂病の「存在を仮定しない」と。しかし、それは、分裂病の存在を「否定する」ことと同じではない。「存在を仮定しない」という持って回った言い回しが示唆するのは、分裂病といった病名に限らず、様々な判断を一旦「カッコに入れて」、人々の経験そのものに則した理解を目指すこと、それがレインの出発点であるということだ。そのような方法によってこそ、精神病エピソードと呼ばれるものについてもまた、しばしば「連鎖(ネクサス)の行動面のみならず相互-経験の面における特殊な危機として」(SO43)理解されうる、つまりは「社会的に理解可能」となりうる、レインは考えていた。
そしてそのような方法において必要となるのが、ここまでみてきたような、世界・他者・自己のあいだでの相互の関係において理解する、ということである。次のような一節も、同じような視点から読むとどうであろうか。
ここでは、「原因」をイタリックにしている、その理由まで考えるべきだろう。レインは、分裂病が彼の行動の原因となることを否定しようとしているわけではない。「分裂病が彼の行動の原因となっているのではないか」と問うことと同じように、「彼の行動が分裂病とみなされる「原因」となっているのではないか」と問うこと。そのような螺旋運動が、はじまりも終わりもなく、続いていくということ。つまりは、 「原因」について語る、その語りそのものが螺旋の一部をなしているということ。そのことを示そうとしている。
それでは、より明確に「反精神医学的」とみなされるであろう、次の一文はどう考えるべきか。
ここであわせて考えるべきは、レインが「政治的」という語をいかなる意味合いで用いているか、ということだ。分裂病ナルモノがそのままの状態で存在しているわけではなく、そこには社会的な「ラベリング」というプロセスがあってこそ一つの「事実」として存在しうるということ。このような指摘は、ここまでみてきた議論にそのまま通じるところであるが、さらに一歩踏み込んで、それが「政治的出来事」であるとは、どのような意味なのか。
ここでレインが「政治的」であることについてふれている他の箇所を参照してみるのがよいだろう。
レインは精神疾患の実在性といったものに強く異議を唱えているわけではなく、そのような意味で、「反精神医学者」ではない。しかしその一方で、精神医学が、社会における排除や抑圧の機能を担いうる可能性や、実際に担ってしまっている面もある現状など、精神医学の「政治性」には憂慮をしている。そしてこれは、先に取り上げた「医学的メタファー」をめぐる問題圏そのものである。
クーパーは明確に左翼的思想の持主であったし、レインの論文も『ニューレフト・レヴュー』といった左派の雑誌に掲載されたりもしていた。そして、クーパーらと違って、政治的な活動には気乗りがしなかったレインであるが、二つの著作に『家族の政治学』『経験の政治学』といった具合に「politics」という語をわざわざ用いているぐらいであるから、ポリティクスに何の関心もなかった、というはずはなかろう。 精神医学批判を一般論で済ませるのではなく、[TF2] ミクロの次元で、「誰が」と問うこと。それがレインにとっての「政治性」であり、おぼろげには医師を志したときから思い描かれていたものであったのかもしれない。それを彼は、人間対人間のポリティクス、あるいは、愛のポリティクスと呼んだのだった。
人と人、基本的な人間の絆、すなわち、「愛」。
DSにおいてすでに、レインは、治療における「愛」について、こうも語っていた、
「愛」とは何かロマンティックな特別なものではなく、患者を全存在として受け入れ、理解することであり、「人-間として見る」こととして述べてきたことそのものであろう。そして、この「愛」を「出発点」としてゆくこと、それがレインの臨床であり、また、レインにとってのポリティクスでもあった。
(第2章につづく)
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