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なぜ私は、お客様に動画を作るのか?

アツ!動画のたけやんです。

今回のブログは、なぜ私が動画マーケティングを仕事にしているのか?という理由を自己紹介も兼ねて、あなたにお伝えします。

例えどんなに素晴らしいツールであっても、提供者が何者なのかが分からなければ、なかなか凄さを感じるのは難しいでしょう。
何者かもわからないような人の記事は、私なら読みません。

そもそも、たけやんとは何者なのか?
これまでどんな人生を送ってきたのか?
なぜ、ビデオセールスレターなる動画を作っているのか?
よく聞く動画編集者とは何が違うのか?
結局たけやんは、何をしたいのか?

このように、私の生き様全てをここで大公開します。
今回の内容は当然、私の話がメインになりますが、私と同じく事業を志すあなたにとって、何かしらの参考になれば嬉しいです。


たけやんの基本情報

まずは、記事にするまでもない私の基本情報をざっとお伝えします。

  • 名前:竹内 魁志
    字面で気難しそうに見えるので「動画のたけやん」と覚えてください。

  • 誕生日:1994年2月1日
    平成初期の生まれです。

  • 血液型:典型的なO型
    よく巷にある血液型性格診断を見ても、ほぼ当たっている気がします。

  • 出身:愛媛県松山市生まれ、東京都西東京市育ち

  • 最終学歴:東北大学工学部 機械知能・航空工学科
    マーケティングの仕事をしていますが、実はゴリゴリの工学人間です。

  • 仕事:マーケティング動画(VSL)クリエイター&コンサルタント
       動画制作講座の講師・主宰者

  • 趣味:飛行機、鉄道、合唱、海外旅行、お酒、YouTube鑑賞、人間観察
    自他ともに認める飛行機大好き人間です。
    合唱歴は15年目、パートはテノールです。

  • 現在:2024年3月に入籍し、東京で妻と2人暮らし

もし、何か1つでもあなたと共通点があれば、ぜひ教えてください。
なくても、スキ・コメント喜びます。

とにかくマニアック少年だった幼少期

私の幼少期に関しては、前回の記事で書きましたので詳しい話は割愛しますが、とにかく変わった変人少年でした。(本人が言うというのもアレなのですが・・・)

「これだ!」と興味のあることを見つけると周りを置き去りにして没頭してしまう少年で、噴水やキノコ、鉄道、飛行機と趣味がどんどん移っていきました。
何かハマればとことん熱中するのですが、その反面、興味がないことに対しては絶望的に熱意も行動もありませんでした。

この素質は大人になった今でも健在で、動画って本当におもしろいな!と感じると寝食を忘れて動画編集に没頭し、講座生のために頑張るぞ!と意気込むと、昼夜問わず教材作りに明け暮れたりと、とにかく我を忘れるのです。
朝5時までかかって動画編集をしたこともありましたが、苦痛に感じたことはほとんどありません。

妻曰く、カタカタと体を小刻みに震わせながら満面の顔で作業をしているそうです。
(こんな夫をよく受け入れているなと思います。感謝ですね・・・)
公共の場でこれをやってしまうと不審者扱いされて通報されかねないので、極力作業は自宅で行うようにしています。

セカンドベストだった中学受験

私は中学・高校と私立一貫校に通い、本当にのびのびとした青春時代を過ごしました。
スポーツ好きの方ならご存知かもしれませんが、東京にある國學院大學久我山中学・高等学校という私立学校を卒業しています。

小学校時代の後半からは青い「N」と書かれたバッグを背負って塾に通い、中学受験をしました。
実はこの久我山中学が第一志望だったわけではなく、むしろ滑り止めで受験をしました。
しかし、第一志望だった中学校は残念ながら不合格。
その後も何校か受験に挑戦するも不合格が続き、5日目に藁にもすがる思いで受けた久我山中学にやっと合格したのです。

もうかれこれ18年前の話になりますが、この久我山中学の入試が一番手応えがあり、帰宅早々に受かったと自信満々に両親に伝えたことは鮮明に覚えています。
嬉しいことに、今でこそ久我山中高は進学校としてもスクープされることが多くなりましたが、私が受験した頃は國學院大學付属のスポーツ校という印象が強く、当時の入試の難易度は私が受けた他の私立校と比較しても簡単といった状況でした。
そのため、ここよりも遥かにハイレベルな中学入試の勉強をしてきたのだから、落ちるはずがないという根拠のない謎の自信があったのです。

実はこの経験が今でも活きており、根拠はなくても自信を持って臨めば何かしら良い方向に結果は出るという信念で意思決定をしています。
もちろん一概には言えないケースもありますが、少なくとも自信がない状態で挑戦したことは、ことごとく失敗しましたのでこの信念には間違いありません。

久我山高校は野球部が夏の甲子園大会に出場したり、ラグビー部が花園大会で決勝戦に進んだりとスポーツ校のイメージがあるかもしれませんが、私自身は運動部に所属して何かスポーツに打ち込んでいたわけではなく、音楽部という文化部に所属していました。
ただし、立ちっぱなしで歌い続ける筋力と顧問からの厳しい指導に耐える忍耐力、そして声を合わせるチームワークが必要になるため、音楽部は準運動部と言っても過言ではありません。
事業を志す人や成功者には運動部(体育会系)が多い印象がありますが、そういった意味では私も準体育会系を名乗っても恥ずかしくないと自負しています。

中高生活を振り返って感じることは、久我山は当初の第一志望ではなかったものの、今の人生を振り返ると間違いなく最良の道でまさに「セカンドベスト」な選択だったと感じます。
久我山生なら誰しもが聞く精神論丸出しワード、きちんと青春、5分前の精神、来た時よりも美しく・・・
これは社会人になった今、本当に仕事をする上で活きていますし、初めて出会う方にも丁寧で律儀な印象だと評価をいただけるのは、この久我山精神があるからなのです。

今の人生の原点となった海外経験

中学2年生の時に、アメリカのアイダホ州という田舎の地域で1ヶ月間ホームステイをしました。
アメリカ西側の州で、全米1のジャガイモの生産量を誇る完全な農業ワールドでしたので、それまで東京の大都会で人生の大半を過ごしてきた私にとっては、地平線まで続く一面のジャガイモ畑だけでも既に異世界です。

たった1ヶ月という短期間ではありましたが、語学に興味を持ったのはもちろん、日本との習慣の違いやギャップを発見する楽しさ、人間観察をするおもしろさなど、全ては今の私の価値観や探究心の土台になっています。

この経験で私は世界と飛行機に興味を持つようになり、時間さえあれば世界地図を読み漁り、休日は両親になんとか交通費だけ出してもらって成田空港まで通い、1日中展望デッキで飛行機を眺めて運動部でもないくせに真っ黒に日焼けをしたりしていました。

そして、中高生活で最も大きな転機になったのは高校3年生の夏。
カナダのど真ん中にあるマニトバ州の州都、ウィニペグという都市に1年間留学をしました。
現地の公立高校に1年間通い、周りに日本人はゼロ&完全な英語漬けの日々を過ごす毎日。
ご存知かもしれませんが、カナダは世界各国の移民を受け入れていることで有名で、私が留学した地域はフィリピンやインドからの移民を多く受け入れているエリアでした。
そのため、純粋なカナダ人の方が少ないのではと思うほどにフィリピン系の生徒が多く、英語に混じってタガログ語(マニラ地域の公用語)が聞こえてくるという有様・・・
ですが、彼らは移民2世であることも多く、フィリピン系だがカナダ生まれのカナダ育ちという生徒も多かったです。

それだけの異国文化で溢れかえっているので、常識なんてものは存在しません。
いかなる理由があろうとも遅刻をしてはいけない、気分が悪いのを無理して登校する、質問をして先生を困らせてはいけない、空気を読まないと嫌われる、他人に迷惑をかけてはいけない・・・などこれまで私に無意識にあった日本での価値観は全て覆されることになりました。

それらしければ何でもあり!という謎のおおらかさもまた斬新でした。
心の中で何度も「なんでそうなるねん笑!」って1人で突っ込んでいました。

カナダ側から見た日本といえば、やはり寿司や空手、柔道、アニメ、漫画などがイメージされるようで、とある日本食レストランに伺うと、なんと床材である畳らしきものが壁に貼られており、それが日本らしさをアピールしているとのこと・・・(ちなみに今でも健在らしい)
「日本らしい=畳&寿司」だそうなので、日本らしさが少しでもあれば何でも良いらしい。
当時は度肝を抜かれましたが、今振り返るとそれもある一種の差別化になるので、マーケティング施策の1つになるのかもしれないなと感じます。

留学生活の1年間は、現地でできた友人と将来を語り合ったり、悪ふざけをしたり・・・とにかく充実していました。

世界は広い!世界は楽しい!世界中の人と関わることが好きだ!

世界中を飛び回れることと飛行機に乗れることの2つを同時に達成できるパイロットという職業に、私は留学を機に憧れを感じるようになりました。

大学受験〜人生1度目の挫折〜

高校3年生という受験期真っ只中で1年間留学をしたため、私の大学受験勉強は帰国後の夏休みから始まりました。(学年も1つ降りています)
流石に英語の学力は周りの生徒と比べると秀でていたと思いますが、それも受験英語に対応しているわけではなく、また他の教科はセンター試験(今の共通テスト)の過去問で30点代を取ってしまうなど、なかなか絶望的な状態でした。

パイロットになるため飛行機関係の学問を学べる大学に行きたい!という希望がありましたので国立大学の理系に絞って受験をしましたが、上記のような学力状態でしたので結果は散々たるもの・・・
1校からも合格をもらうことはなく、行き場を失って浪人生活を送ることになりました。
通常の浪人生は、どうしても行きたい大学を諦めきれずにもう1年頑張ることが多いようですが、私の場合は行き場がないので自動的に浪人生になったという珍しいケースでした。

浪人が決まった私は、自分自身を激しく責めました。

自分はどこまでも頭が悪い欠陥人間なのか・・・
このままどこの大学も入れずに人生が終わってしまうのか・・・
留学までさせてもらったのに自分はここまでアホなのか・・・

かつての同級生や後輩はすでに大学生になっており、SNSを見ても充実した大学生活の写真で溢れており、辛くなって見るのをやめました。
挙句の果てには貴重な体験だったはずの留学そのものも否定し、両親に辛く当たってしまったこともありました。

また当時、私が浪人していると知っていて「今何してるの笑?」と執拗に聞いてきたり、お前は受からないと否定されたり、もっと陰湿な人は私の陰口をネットに書いたりもしていたようです。

悔しくて・・・情けなくて・・・
これだけの経験をさせてもらったのに、周りから馬鹿にされることが我慢できなくて・・・
ですが、いつまでも引きずるわけにも行きません。
それでは彼らの思うツボです。

そこで、航空工学が学べて、学費が抑えられる国立大学で、しかも高レベルな教育が受けられる東京大学を第一志望に変更し、全ての娯楽や遊びを捨てて1年間浪人生活に打ち込むことに決めました。

滑り止めですら受からなかったアホ浪人生が、日本最高学府である東大にチャレンジするなど無謀極まりないですが、今となってはベストな選択だったと思います。
(東大目指すことにしたよと両親に伝え時は、流石に目をむいていましたね・・・)

意気込みだけは良かったものの、現実はなかなか厳しく模試を何度受けても東京大学はE判定から抜け出せず、過去問は答えを見てもなかなか解法すら理解できない日々が続き、心が折れかけたことは何度もありました。

そんな時でも見捨てずに応援し続けてくれたのが、当時私が通っていた個別指導塾の先生方でした。
人よりも学力が劣っているならまずは量をこなそうと思い、毎日休まず個室型の自習室の1つを借りて入り浸り、決めた計画通りに勉強を続ける私を応援してくれました。
12時に塾のドアが開き、22時に閉まるまでずっと勉強をしていました。
「32番の自習室はかいし君の勉強部屋」と言われていたくらいでした。
今思い返しても人生で一番、勉強していたと思います。

時には厳しく、時には優しく。
模試を受けるたびに落ち込んでしまう私を常に励まし続けてくださったこと、ランチをご馳走してくれたこと、息抜きの雑談に付き合っていただいたこと、全てが愛情でありそれは私の支えになりました。

この浪人生活の経験が実は、私の動画マーケティング講座やマーケティングコンサルを主宰する信念に繋がっています。

これまでの経験や能力は一切関係ありません。
なんとしても事業を成功させたい!動画が作れるようになりたい!これからの人生を変えたい!
そんな熱い想いを抱く受講生と1人1人真剣に向き合い、どんなに手間がかかっても、それぞれにオリジナルのカリキュラムを提案して伴走しながら進めていくスタイルを貫くのは、浪人時代にお世話になった先生から受けた愛情が元になっているのです。

なお、肝心の受験結果ですが、センター試験の出来で第一志望を東京大学から東北大学に変更したものの無事に合格することができ、晴れて大学の正門をくぐる切符を手にすることができました。
これも中学受験と同じで、東大の勉強をしてきたのだから東北大が受からないわけがないという謎の自信があったことも影響していると思います。
またもや、セカンドベストです。

私のことをバカにしてきた同級生たちは・・・これ以降は誰も何も口出ししませんでしたね。
逆にバカにされなければ、ボンボン気質で無神経な私がここまで奮い立つこともなかったと思うので、そういった意味では感謝をもしています。

私がこの挫折と浪人生活で得たことは、

  • コツコツ毎日サボらず積み重ねれば、どんなに凡人であっても必ず結果が出るということ

  • まずは根拠のない自信を持ち、その自信を裏付ける努力をすれば何かしらの結果が出るということ

  • 人が受ける愛情の力は偉大であるということ

最後に受験から10年経った今でも、忘れないエピソードがありますので少し話は脱線しますがお伝えします。

浪人時代、私は試験中に想定外のこと(問題の難易度が明らかに上がった、苦手な分野が出たなど)が起きるとパニックになり、教わった解き方や手順を無視して突き進んでしまうという困った癖がありました。
普段勉強している自習室の机でならそういったパニックがないものの、試験場になると発生してしまうのです。

入試を受けるために、いよいよ明日仙台へ出発するという日の夜、先生に言われた最後の応援メッセージは「がんばれ!」ではなく、苦笑いで「頼むから普通に受けてきてね・・・普通に受ければ十分受かるから・・・」でした。

そう、私は最後まで手取り足取りの人間だったのです・・・

人との繋がりを意識した大学生活

念願だった航空工学科に入学し、ヒューマンファクターを専門に扱う研究室に配属されました。
ただ、機械系の学部に入学したにも関わらず一番の思い出に残っていることは、レポート課題でも研究室でもなく部活動です。

大学でも合唱部に入り、高校ではなかなか扱えな異様な規模の大きな合唱曲や日本でも名の通った一流の指導者の指導を受けられたりと、まるで音楽大学に入ったのかと思うくらい合唱の世界にのめり込んでいました。
もちろん、部活動に打ち込むあまり学業が疎かになって卒業単位を落とすことはありませんでしたので、留年はしていません(そこそこ危ない時はありましたが・・・)。

また、当時仲が良かった部活動の同期や後輩たちを誘い、レンタカーを借りて温泉旅行やキャンプに行く行事を自ら企画したりと、なかなか充実した大学生活を送っていました。
この頃から、何か自分で企画をしたり、人と何か普段とは違うことをすることが好きだったのです。
唯一の心残りは、当時好きだった女性に1度も気持ちを伝えられずに彼女ができなかったことくらいでしょうか・・・

この大学生活の経験は、今も私の仕事のスタンスにつながっていて

  • 人との出会いやご縁は心から大切にする

  • 出会った人と深く関わることで人となりがお互いにわかり
    打ち解けられる

実際に会って話すことや、表面上だけの付き合いではなくプライベートなことでも腹を割って話せる人間関係がどれほど素晴らしいか!
デジタルやオンライン化が進行する現代だからこそ、私はアナログ感も重視していきたいと感じました。

大失敗に終わった就活〜人生2度目の挫折〜

そんな華やかな学生生活でしたが、大学生活の後半になると就活の時期がやってきます。

前述の通りで私の人生の夢は、世界中を飛行機で飛び回るパイロットになることでしたので、他の業界や企業には当時一切の興味がなく、日系の航空会社に絞った就活をしていました。
そして、迷うことなく私はパイロットを第一志望とし、情熱を持ってエントリーシートを提出して吉報を待ちました。

しかし、現実は厳しいものでした。
何度かの面接はパスしたものの、最終的に結果は不合格。
私の長年の夢は、あっという間に打ち砕かれました・・・

今の私は、好きなこと=適職とは限らないということも知っており、パイロット以外でも飛行機に乗れて世界を飛び回れる手段は、たくさんあるとわかっています。
ですが、自己分析も人生設計もおざなりにした当時の未熟な私では、到底そのような考えには及びませんでした。

カラフルだった人生は、急速に真っ黒そのものに。
パイロットで世界を飛び回る未来を思い描いていた私は、生き甲斐もやりがいも全て失って、ただただ呆然とするばかりでした。

焦った私は、次なる手段として大学院の試験に挑むことにしましたが、2ヶ月足らずの準備では到底追いつくことはできずに結果は不合格。
通常なら大学4年生になった時から勉強を始めてなんとか合格といった試験を2ヶ月でなんとかしようとしたわけですから、当然の結果でした。

この時の私はまさに絶望そのもの。
思い描いていた夢も敗れ、夏が過ぎても進路は決まらず、人生終わったな・・・と感じていました。

とりあえず、大学に残れないことだけは分かったので、9月から再び就職活動を再開しました。
9月でもまだ人員募集をしている企業を片っ端から当たり、なんとか内定を手に入れることができましたが、その仕事は私が思い描いていたものとは程遠いものでした。

さらに追い打ちをかけるように、親しかったはずの友人からは「人生失敗」のレッテルを貼られ、将来の希望や夢はすべて消え去ったかのように感じました。
毎日を空虚な目で過ごし、心の中は無気力でそのものでした・・・
そんな状態でしたので正直な話、大学の卒業式の記憶はほとんどなく、写真もほとんど残っていません。

配属先で尖りまくる社員だった私

大学卒業後は、大手化学会社系列のプラントエンジニア会社に就職しました。
元々志望業界ではないと割り切っていたので、航空業界がダメならせめて、大学で学んだ工学の知識が活かせて、大きな機械を扱える仕事にしようと思い、入社を決めました。

余談ですが、飛行機に限らず私はそもそも大型機械が好きで、大型旅客機、原子力発電所、風車など自分ではとても手出しできないくらいの大型機械を眺めることが大好きでした。
(大型機を眺める私は、興奮でカタカタと小刻みに震えていると妻はいつも言っています・・・)

研修期間を終えた3ヶ月目、突如として事件が起こります。
同期の中で私だけたった1人、希望していた関東ではなく大阪にある事業所へ配属になってしまったのです。
パイロットがダメなら、関東でのんびり働こうと決めていた私にとってはあまりに衝撃すぎる配属でした。

全くもって縁もゆかりもない大阪・・・

東京育ちの私からすれば、厚かましいとさえ感じられる物言いや捲し立てられるように感じる大阪弁、場所に限らずどこでも大声でする会話など、マイナスなイメージしかない土地へ赴任しなければならないという屈辱感。(もちろん今では大阪も大好きです!)

大阪へ赴任が決まると、東京のオフィスで働く同期や大学時代の旧友がとても羨ましく思えました。
大阪に対する反抗心から、東京こそが日本の標準なんだ!と勝手なルールを決め込み、大阪弁で話す取引先や同僚に対してわざと嫌味を込めた東京口調で返してみたり、エスカレーターでは舌打ちをされても左側に居座ったり(大阪では東京とは逆で右側に乗る慣習がある)と、今思えば恥ずかしすぎる悪態をついていました。
同僚からすれば、尖りまくっていた若手社員だったと思います。

1本の動画が私を突き動かした

そんな会社員生活でしたが、職場環境や同僚、上司にはとても恵まれていました。
しかし、いくら恵まれた環境であっても、家と会社とを週5回往復して働き続けるうちに、ある程度自分の未来が想像できてしまうことに嫌気がさすようになりました。
さらには、どれほど頑張っても自分の力だけでは住む場所や人間関係、仕事、収入を変えられない人生に強い束縛感を感じてきました。

やがて、私はかつて学生時代のように生き甲斐や理想の未来像を考えることはなくなって、特にこれといった目標もなく、行き当たりばったりを過ごすようになりました。
短期間だけ出張していた勤務先の工事現場では、毎朝始業時のラジオ体操の音楽が聞こえてくるだけで目眩と吐き気がするほど・・・
現場の仮設トイレで嘔吐してしまうほどには、気持ちが追い詰められていました。

出張先のホテルで何もすることがなくなり、ぼーっと眺めていたYouTubeで、飛行機に乗りまくりポイントを集めてステータスを取る方法を解説する動画を偶然見つけました。
そのYouTuberの方は、今や航空ファンの間で絶大な人気を誇る、おのださんという方です。

どうせこんなのお金持ちか貴族の遊びだろうに・・・と最初は思いましたが、動画を見ていくと会社員のように限られた休日でも、工夫次第では低予算でステータス取得ができることがわかりました。
そう!飛行機に乗りまくれて、しかも上級会員のステータスまで手に入るなんてまさに夢のような話でした。(あとで修行と呼ばれていることを知る)

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、興味があることに対しては我を忘れて熱中する性格は変わらず、早速エクセルに飛行計画表の作成を徹夜して行いました。
ホームページや予約サイトを駆使して、乗る路線、得られるポイント数、かかってくる運賃を全て調べ尽くし、最短で低予算、かつ航空ファンとして面白みのある計画を作り上げたのです。

実はこのたった1本の動画の出会いが、私の運命を変えることになりました。

それは、先ほどのYouTuberおのださんは会社員ではなく、フリーランサーであるということを知りました。
それまで、会社に勤めることしか稼ぐ手段を知らなかった私は、会社に属さずとも生計を立てられるフリーランスという働き方を人生で初めて知ることになります。

そして、フリーランスへの憧れから、いつしか会社をやめて独立し、自分で起業して好きな仕事をしながらも、世界中を飛行機で飛び回りたい!という願望を抱くようになりました。
パイロットとフリーランサーと仕事は異なりますが、かつて夢見た世界を飛び回るという夢が復活したのです。
つまり、私が独立起業を目指すようになったのは、この時からです。

独立するはずがネットワークビジネスにハマる

独立起業を模索し始めた私でしたが、すぐに壁にぶつかります。
私には起業スキルもノウハウもなければ、人脈もなく、開業資金もないということに・・・

希望は明確にあるにも関わらず、何も動けず前進できていないことに焦る毎日。
それでも変わらず週5回会社勤めをしながらも、将来のことを模索していた私に転機が訪れます。

何気なく眺めていたInstagramで「スマホ1台で人生が変わる!インスタに好きな投稿をするだけでお金が稼げて自由なライフスタイルが手に入る!」という、今思えば怪しさ満点の投稿を見つけました。

今でこそ何か変だぞ?と感じますが、ビジネスの知識も何もなかった当時の私は全く疑うことなく、話を聞いてみたいと感じました。
投稿者にメッセージをしてみるとすぐに返答があり、看護師をしながらインフルエンサーをしているとのこと。
仕事説明会という名のセミナーがあるということで、そのままセミナーを受講し、約10万円の費用を払ってとあるビジネスコミュニティに入会することになりました。

Instagramに投稿するだけで、自分で好きな時に好きなだけ稼ぎ自由に旅ができるという私がやりたかった独立起業して、飛行機で世界中へ行く夢が叶えられる!とワクワクしていました。

しかし、そのコミュニティにおける仕事内容は私が想像していたものとは大きくかけ離れていました。
当初は投稿すればOKと言われていたInstagaramも、コミュニティへの集客を意識した投稿をしなければなりませんでした。
そして、コミュニティのリーダーが作った情報商材をとにかくInstagramで繋がった人に売り、ビジネスコミュニティに勧誘して勧誘しろで稼ぐという、言ってしまえばネットワークビジネスだったのです。

当時の私はそのことが理解できず、これを続ければそのうち夢が叶う!と本気で信じ込んでおり、ただ単にチームのリーダーに言われた通りにInstagramで繋がった人に情報商材を売り、コミュニティに勧誘して自分自身のビジネスチームを作っていきました。
中学などの家庭科の授業でもネットワークビジネスについて学ぶ機会はありましたが、まさか自分自身がそれにハマってしまうとは夢にも思いませんでした。

ネットワークビジネスあるあるで、周りの友人に勧誘を持ちかけて孤立するというものがありますが、私の場合はSNSを使って知り合いや友人以外をターゲットとしていたため、そのようなことは少なかったように思います。
(たけやんがネットワークしてるぞ!という噂は流れていたと思いますが・・・)

武井壮の言葉で退職と独立起業の道へ

営業や勧誘活動は苦手に感じる人も多く、ネットワークビジネスは稼げないというイメージがあります。
しかし、私が会員として在籍していた当時はコロナウイルスが大流行して休業や失業をしたり、将来に不安を感じていた人も多く、自分自身が想像する以上に集客は成功していました。

また、元から文章を書くことが好きだったため、ターゲットをかつての私と同様に人生に絶望している人に定めてInstagramで投稿を重ね、DMで商材を売ったところ初期投資分はすぐに回収でき、自分の組織も拡大していて順調に思えました。

しかし、ここで大きな問題に直面することになります。
確かに言われた通りにすればそれなりに稼げるビジネスモデルではあったのですが、やはりそこはネットワークビジネスです。
ともに成長し、関わった人を幸せにするビジネスだとリーダーから教えられていたにも関わらず、稼げないあまり人生にさらに絶望して、次第にコミュニティからは1人、また1人と退会していきました。

そもそも、ネットワークビジネスはある程度会員数が増えると、数に限りがある残りのターゲットを奪い合う、いわゆるカニバリゼーションの状態になります。
そして、コミュニティへの勧誘代が大きな収入源となっており、どうしても再現性に乏しいという欠点がありました。
やがて私は、自分自身のビジネスモデルに疑問を抱くようになり、大学時代で学んだ人とのご縁を大切にしたいという信念に反するのではと感じました。

人を絶望に追いやってしまっていることに、とても罪悪感を感じていました。

ネットワークビジネスから退会しようと考え始めていた時、偶然にも芸能人の武井壮さんのある言葉に出会いました。
確か2020年に放送された、「林先生の初耳学」の企画「熱血課外授業」だったと記憶しています。

名門大学を出ていながらも定職に就かない「高学歴ニート」たちに対し、特別講師として武井壮さんが熱血講義をするという企画で、その中でも特に私の心に響いた言葉がこちらでした。

(自身が興味のある内容について)流暢に話せるようにしておいたら、まぁ需要ありますわ・・・

2020年1月12日「林先生の初耳学」より

周りの人が知らない、持ってない、やってない、そういう「他人が持ってないもの」に価値がある!という趣旨で出た言葉。
39歳で芸能界デビューをするまで、職を転々とするニート状態だった武井壮さんは、とにかくテレビで扱われやすい5つのジャンル(スポーツ、ゴルフ、野球、時事、動物)を15年かけて徹底的に極め抜き、周りのタレントよりも流暢に話せるようにしたという素敵なエピソードでした。

私は結局、何がしたいんだろうか・・・
世界中を飛び回りたい!
あなたに出会えて良かったと心から言われる人になりたい!
かつて私が人生の目標を見失っている時に、生きる希望を与えてくれたYouTuberのように素敵な人になりたい!

独立起業をして、そんな理想な人になりたいのではなかったのではないか?
何を血迷っているのだ自分は!

飛行機、合唱、鉄道、旅行、キノコ、留学、英語・・・
私には周りの人よりも多く語れるものがたくさんある。
それをより極めてYouTubeで発信することで、もっと多くの人に希望を持ってもらいたい!

武井壮さんの言葉に背中を押され、ついに私はネットワークビジネスを退会して、独立起業を目指すと決断しました。
丸2年間勤めたエンジニア会社も退職することに決め、以降はYouTuber(個人事業主)として活動を始めたのでした。

この時私が初めて知ったことは、他人の儲け話に安易に乗っかるのではなく、きちんと自分で調べて、判断をすることが大切だということ。
そして、ネットワークビジネスは詐欺や違法行為ではないもの(きちんと運営していれば)、他人が作った商品を売って勧誘代で稼いでいるだけで再現性も乏しく、人を心から喜ばせることは極めて難しいということでした。

たった半年で破綻した独立の道

エンジニア会社を退職し、当時住んでいた大阪府豊中市に届出を提出。
念願だった個人事業主としての活動がスタートしました。

よく独立すると不安と戦うという言葉を耳にしますが、私はその逆で、この先はどんな素敵な人生があるのかとワクワクしていました。
コロナウイルス大流行の真っ只中にも関わらず・・・

前述の武井壮さんの言葉を思い出し、自分が人よりも極められるのは飛行機と旅行と考え、飛行機を使った旅行をプロデュースする飛行機旅系YouTuberとしてチャンネル開設しました。
かつて、私が1本の動画で生きる希望をもらったように、今度は私自身がYouTuberとなって視聴者に希望を与えよう!そんな思いでいっぱいでした。

動画編集ツールとして有名なAdobe Premiere Proを購入し、YouTubeに上がっている解説動画やブログ記事などで操作方法を独学し、毎日のように動画編集に明け暮れました。

動画は毎日投稿しよう!と決めていたため、コツコツと投稿を続け、最終的には440本以上の動画を投稿しました。
YouTubeのテーマが飛行機と旅でしたので、トークやエンタメ系とは異なり動画は長尺ものが多く、夜明けまで編集して変なテロップを打ち込んでいることもしばしば・・・
それでも、動画で視聴者に希望を与えたい!という思いで必死に、企画を考えては動画を撮影し、終日編集をしていました。

しかし、夢だった独立生活はとても険しい道でした。
今考えればかなり無謀な行為ですが、まず当時の未熟な私は独学でも勢いと根性があれば何とか乗り切れると考えていました。
人生の目標やそれなりの信念は持っていましたが、肝心のビジネス設計やビジョン、コンセプトは全く定まっておらず、マーケティングの考えも何もありませんでした。

これが後に知ることになる、独学の怖さなのです。

飛行機に乗って旅するYouTuberという動画映えしそうな題材ではありましたが、競合するクリエイターは日本のみならず世界中に山ほど溢れており、再生回数やチャンネル登録者数はなかなか伸びませんでした。

結局のところ、撮りたいものを撮ってそれらしく編集し、YouTubeのプラットフォームに垂れ流していただけで、視聴者が何を求めているのか?そもそも、動画のターゲットは誰か?など全くリサーチや準備もせずに始めてしまったため、ことごとく再生回数が取れなかったのです。

そんな生活を続けること約半年、1円も稼げていない状態で生活費や家賃、税金、旅行費など多額の支払い請求によって貯金が底を尽きてしまいました。
とうとう来月のクレジットカード支払いが残高不足で支払いができず、明日の食費もどうするか・・・という状態にまで陥ってしまいました。

自分の考えの浅はかさに打ちのめされ、独立半年で早くも人生のどん底に突き落とされたのです。

コロナ大流行の真っ只中でアルバイトすらもなかなか雇ってもらえず、緊急で就職できる会社もなかったため、追い詰められた私は当時交際していた彼女(今の妻です)に貯金が底を尽きていることを打ち明け、結果として50万円の借金を負うことになりました・・・

リゾバで判明した私のある特性

しかし、そんな資金が底を尽き、借金まみれの状態であっても、旅系YouTuberとなって成功する夢を諦めきれませんでした。

「借金をしているのだから、1円でも早く返すために週7で仕事を入れて、汗水垂らして働け!!」

周りから見ればそう言われそうですし、実際に言われたこともありますが、私はどうしても夢を諦めきれませんでした。
仕事を何とかして週7日無理矢理に入れたところで、単発のバイトで稼げるお金はたかが知れています。

独立起業を諦めよ! 一旦落ち着くまで中断せよ!

そんな考えが頭をよぎりましたが、独立起業をしたいと思っている自分に嘘をついているような気がして、そのような選択肢は排除しました。
側から見れば「わがままだ」と言われるかもしれませんが、私はそれでも構いません。
私の人生や選択は私が責任を持って決めると腹を括りました。

一度、地元の東京に帰り、両親に助けてもらいながら人生をやり直すか、自分自身でやれるだけの施策を打つか…
どうするか悩んでいてた時に、偶然見ていたサイトで「リゾートバイト」という働き方があることを知りました。

そのリゾートバイトとは名前の通り、旅館やホテルなど観光地の宿泊施設に住み込みで働き、稼ぎながら旅もできるという旅系YouTuberを目指す私にとっては願ったり叶ったりの環境だったというわけです。

悩みは一気に消え去り、早速リゾートバイト(以下、リゾバ)の仕事がスタート。
情報を見つけてから仕事を始めるまでわずか1週間という、私自身も驚く驚異的な行動力でした。
思い返せば、よほど追い込まれていたのだろうと思います・・・

最初のリゾバは、日本人ならおそらく誰しもが知る一流リゾート会社の宿泊施設に申し込み、夕食会場のホールサービス業務と客室清掃の業務を担当。
これまでの人生で一度も接客経験がなかった私でしたが、もともと持ち合わせていた人と話すことが好きな性格と、留学体験で得た物怖じしないマインドで、すぐに慣れました。

しばらく続けると、接客の面白さを感じるように。
今日は10組のお客様にありがとう!って言ってもらえたな〜
今日、サプライズケーキをお渡ししたお客様に思い出になりましたって言っていただけたな〜
など、お客様にサービスをする喜びを貯金するかのように心に貯めていました。

「接客は苦手だしやりたくない・・・」というお声を聞くことがありますが、私からすれば、接客業こそが全てのビジネスにつながると感じます。
余談にはなりますが、お客様からの過剰な要求や度を超えたクレーム、“カスハラ“が現在、社会問題になっていますが、日本人全員が接客・サービス業を一度でも経験すればこのような問題は減るのではないかと思いますね・・・

旅を楽しみに訪れたお客様に対して、どう私がお手伝いできるか?
お客様にどんなことを話したら喜んでいただけるだろうか?
逆に不快感を露わにするお客様にはどう接したら、少しでも気持ちよくお帰りいただけるか?
そもそも、なぜ不快感を感じているのだろうか?

こんなことを考えながら働く毎日でしたが、このトレーニングは今まさに私が動画を作るときに必ず行う「お客様や視聴者のニーズ」を考えることに繋がっています。

例えば、お客様と関わる際に、まず気をつけたことはタイミングです。
あなたもレストランや居酒屋で、同席者との会話の途中でスタッフのサービスに遮られ、不愉快な思いをしたことはありませんか?
あぁ〜今、話が盛り上がっていたところなのに!!って・・・

お客様同士の会話が途切れたり、何か物を言いたげにキョロキョロしているタイミングを見計らい、空いた食器を下げるついでに話かけてみる。
当たり前のようですが、業務に追われてお客様目線からスタッフ目線になってしまうと、意識しないとなかなかできないことです。

また、お客様は基本的に人の話をくどくど聞くより、ご自身の話を聞いてほしい、あるいはご自身の体験を聞いてほしいと思う人が多いです(全てそうとは限りませんが)。
こちらがあれこれ勝手に説明するのではなく、相手の話に共感しつつ、さらにプラスアルファ、お客様が知って得しそうな情報を案内する。
このようなサービスを続けていくと、笑顔を見せるお客様が多いことに気がつきました。

そんなある日、なんと夕食会場を視察しに来ていた宿泊施設の支配人からお褒めの言葉をいただくことができたのです。
正社員のスタッフは当然、支配人のことは知っているのですが、私はたった数ヶ月しかいないリゾバスタッフ。
私が知っている人は現場リーダーや人事担当者だけで、その時まで支配人の顔も名前も知りませんでした。

契約期間も延長していただき、私は机に座って黙々と一人で作業をするだけの仕事ではなく、多少の苦労があっても人と直接話す仕事が得意なんだということに気がつきました。
この気づきは今思い返せば、集客や売上で悩む店舗や個人事業主のクライアント様に対して、VSLの制作講座の開講やマーケティングコンサルティングのリリースへ繋がっているのです。

また、別の温泉旅館で働いていた時でも、帰り際に記入するアンケートに私の名前をわざわざ出して、お客様からお褒めのお言葉をいただいたこともありました。
夕食時間なんてお酒が入ったとしても、せいぜい2〜3時間です。
その僅かな時間の中でも、いかに思い出に残るようサービスができるかを考えた結果でした。

今まで黙々と作業をすることが向いているのかな・・・と思っていた時期もありましたが、実はそうではなく、人と直接話してサポートしたり、サービスをすることが得意だと気づいた経験でした。

出会った師匠で人生が変わった

こうしてリゾバを続けているうちに、まだ独立起業を諦めきれず、どうせ起業をするのなら情報も人流も機会も多そうな東京がいい!と思うようになりました。
上京すると言うと大袈裟な印象がありますが、私は元々育ちが東京でしたので、そのハードルは低かったのです。

東京に出てきたまでは良かったものの、その後は何をして良いのか分からずにアルバイトをしながら何もすることができない日が続き、焦りが募るばかり。
YouTubeの動画編集も、それ自体は楽しかったものの趣味のための旅行がいつしか撮るためだけの旅行に代わっていることに疑問を感じ始めていました。
好き=仕事にできるとは、一概には言えないのです。

そのため、YouTube以外の何か別の事業で起業しようと考え始め、独学で起業のノウハウが書かれたブログやYouTube動画を使って勉強したり、ビジネス書籍を買い込んでみたり・・・
挙げ句の果てには、メモ用紙に理想のビジネスモデルを書いたりしたこともありましたが、スケールが大きすぎて実現性が薄く、返って自信を失ってしまいました。

しかし、そんな状況でも前述のように借金を抱えた苦しい思い出があったため、自己投資をすることにかなり躊躇していましたが、独学で得られる情報や環境に限界を感じていました。

そして、無我夢中で情報を調べる中、たまたま検索で出てきた“コピーライティング“というものを知り、それがきっかけで今私がとてもお世話になり、尊敬するビジネスの師匠と出会うことができたのです。
あまりにも無知すぎた私は、コピーライティングというものが何なのかも全く知らず、何か印刷関係の仕事なのかな?と最初は思ったほどでした。

コピーライティング(copy writing):
言葉で人の心理を動かし、お問い合わせや購入、成約など、行動を起こさせる技術や広告文それ自体のことを指します。
なお、マーケティングにおけるコピーとは印刷のことではなく、広告文のことを指します。
身近な例で言えば、テレビCM、電車の中吊り広告、商品のキャッチコピー、ランディングページ(商品を売るためのWebページ)の文章など全てコピーライティングで成り立っています。
商品やサービスを販売する、自身でビジネスを展開するとなった場合、絶対に必要なスキルの1つです。

元々文章を書くこと自体は好きだった私は、コピーライティングを学ぶことがとても快感でした。
お客様のニーズ分析、商品の特徴やウリの発見など、ワクワクすることばかりでした。

実はこの時、思わぬ形でかつての接客業の経験が生きてくることになるのです。

それは、セールスマインド。

もしかすると、これを読んでいるあなたも経験があるかもしれませんが・・・
セールスをする、あるいはセールスを受けるという行為そのものにものすごく忍耐と抵抗感を感じる人が多いのです。

それは、何か人に売りつけなければならないという思い込みの嫌悪感があったり、あなた自身が何か売りつけられて嫌な思いをしたりした経験があるからかもしれません。

ですが、本当に心から相手の気持ちに寄り添い、相手のニーズや悩みを理解した上で、あなたが自信を持って商品・サービスをセールスできるのであれば、それは売りつけではなく提案です。
なぜならば、あなたの提案で相手の状況が良くなるわけですので!

ですので、コピーライティングを学ぶにあたって(ビジネスを始める際も同様)最初に行うことが、このセールスマインドをしっかりと確立させることから始まるのですが、多くの人はこの壁を越えられずにいることが多いです。

私ごときがこんな高い値段で提案していいのかな・・・
いや、相手に断られるんじゃないのかな・・・

私はリゾバの接客業で嫌というほどセールスマインドを鍛えていましたので、お客様に提案をすること自体に抵抗感は全くありませんでした。

文章書くことが好きなだけで特に文才があったわけではありませんでしたが、師匠の熱血指導もあり、たった3ヶ月でとあるクライアント様から継続案件をいただけるまでに成長できました。

そう、コピーライティングは人の心を動かして、お客様の理想の状態へ導いていく大切な役割があります。
その力と効果の凄さを知った瞬間でした。

能力を最大限に活かせる場所がVSLだと気づいた

コピーライティングを学び、さてこれからどんなビジネスを作っていこうと考えていた時に、当初はコピーライターとして生きていくことを考えていました。

実際に私が作成した文章や営業メールで実績は上がっていましたし、クライアント様からもお褒めの言葉を頂くことも多かったことと、文章を書くということが好きだったので適職だと考えていました。

しかし、とあるきっかけでそれは大きく変わりました。

それは、ビデオセールスレター(Video Sales Letter)という存在に出会った時です。
ビデオセールスレター(以下、VSL)の細かい説明に関しては、以下のブログでお伝えしましたので、ここでは割愛します。

これまで学んできたコピーライティングは、言葉の力で人の心を動かして、お問い合わせや購入に繋げる、つまり文章によるツールでした。
このVSLなるものは、そのコピーライティングをさらに動画化して人の心を動かし、従来以上に成果を上げているマーケティングツールであると知りました。

そして、驚くことに日本のビジネス界で、このVSLを導入してきちんと成果を上げている企業がまだまだ少ないということにも気がつきました。
あなたの周りにVSLを使っていて、それによって成功している企業があるでしょうか?
もっと言えば、VSLという存在そのものをどれほどの人が知っているでしょうか?
おそらく少ないと思います。

私は嬉しさのあまり、体が震えました。
これまで培ってきた動画編集スキルと学んできたコピーライティングのスキルを合わせたVSL。
それは、私が経験して積み上げてきたスキル全てを活かせる物だと確信しました。
それはまるで、もやもやした霧の中から、パッと視界が開けたような・・・そんな感覚でした。

YouTuberをやめてから眠っていた動画編集ソフト、Adobe Premiere Proを1年ぶりに起動させ、操作方法を思い出しながら手を動かし、先人のVSLを見よう見まねで作ってみたところ、これはいけるぞ!と確信に。

VSLはよく見るCMやPR動画とは異なり、あくまでも商品やサービスを売ることに特化した短尺の動画です。
エンタメ要素や顔出しは不要で、テンポよくサクサク進め、短時間でお客様の心を動かしていく必要があります。

よくクラウドサービスでは、*分尺で*本の動画を*日後に納品お願いします。報酬単価は1本**円です。使用ツールはAdobe Premiere Proでお願いします・・・などという案件を多く目にします。
動画はマーケティング活動に関わらず、会社説明会やプレゼンテーション、エンタメなどあらゆる場面で使うことができますので需要も大きく、クライアント様の希望や指示書を元に編集者が制作していくのが通常です。

ですが、VSLはあくまでも「売ることに特化したマーケティングツール」となる動画です。
単にクライアント様の指示通りに動画を作るだけでは良いVSLはできません。

効果のあるVSLを作るためには、

まず視聴者の希望や悩みは何なのか?
売ろうとする商品はそんな特徴でどうやって視聴者の悩みが解決できるのか?
それはどのくらいの価値があるのか?

コピーライティングの場合と全く同じで、しっかりと事前準備とリサーチを行う必要があるのです。
クライアント様やお客様の要求やお悩みをきちんとヒアリングし、自分の考えで提案できないといけません。

もうお気づきかと思いますが、VSLクリエイターを名乗るためには、ただ動画編集スキルがあるだけでは絶対に務まりません。
お客様のニーズを常に先回りをして考え、寄り添った提案ができる、つまりかつて私が経験したリゾバの接客スキルが大いに活きることになったのです。

VSLを作る仕事は、まさに私にとって天職のようなものだったのです。

愛と情熱をVSLで形に

現在、私はVSLを使ってお客様の集客や売り上げのお悩みを解決したり、また同時にVSLを作って使える人を育成する講座を主催しています。

また、VSLの講座では多くの受講生と関わることができ、実際に動画を通してSNSの閲覧数が上がったりと嬉しい報告をいただいたりもできました。

ここに至るまで、私は多くの人から支えられ、そして両手では受けきれないほどの多くの愛情を受けて成長してきました。
どの人も、どんな経験も欠けてはここまで来られませんでした。

2回の海外体験、特に1年間のカナダ留学では私に「世界中を飛び回れる人になりたい!」という大きな軸となる目標を与えてくれただけでなく、私が現在まで持っている情熱や探究心を育ててくれました。
様々なバックを持ったカナダ人や移民の友人と関われたことも大きな経験です。
(彼らとはなんと、今でもSNSで繋がっています!)

浪人中には成績もなかなか上がらず苦戦する私を見捨てず、1:1で真剣に向き合ってくださった愛情深い先生方の存在で、なんとか合格を勝ち取る経験をしました。

たまたま見つけたYouTuberからは、フリーランスという働き方があること、世界を飛び回る姿からまだ挽回できるチャンスがある!という希望をもらいました。

そして、生活にも困窮し、独立起業願望だけはあるものの何をして良いのかもわからず途方に暮れていた私は、コピーライティングの師匠との出会いによって大きく変わることができ、今VSLを使うまでに成長しました。

一方、ネットワークビジネスでは、夢や希望を持ちながらも様々な事情で諦めてしまった人を多く目の当たりにしました。
彼らも最初は私と同じく人生の目標を掲げていたのですが、上手くいかないことで自己否定に陥ったり、他責になったりで続かなくなり、やがては現状維持を選んでしまったのです・・・

さらに、コピーライティングを学び始めてからも、集客ができなくて挫折してしまった個人事業主や営業メールが思ったより開封されずに焦る経営者、売り上げで悩む店舗責任者など、集客や売り上げなどビジネスで悩んでいる人と多く出会いました。

今度は私の番です。
多くの人の情熱と愛情を受けて、私はここまで成長してきたのです。
私ができることは、全てお客様にお返しします。

お客様の状況に寄り添いながら、現状と希望、そしてお悩みを伺うこと。
それに対する最適解を考えて提案すること。
その最適解となる解決策をVSLを通して実行すること。
結果を分析して、何度も挑戦すること。

わかりやすく言えば、VSLという動画のクリエイターに加えて、集客・売り上げUPのコンサルティングも同時にできるということになります。

私は今、VSL制作講座を主催し、私と同じようにVSL作ったり、VSLを使って集客や売上を伸ばすことができる人を1人でも多く増やそうとしています。

講座に関しては、動画講義を渡すオーソドックスな教材ではなく、サポート期間中のチャット無制限サービスや完全個別のオンライン講座にこだわり続けるのは、私がこれまで受けてきた愛情を今度は講座生に愛情返ししたいという強い思いがあるからなのです。

私が受講生に講座費用以上の時間と労力を割き、あなたにも惜しげもなくVSLを伝えようと発信しているのはこのような思いがあるからなのです。

何をして良いのかわからず途方に暮れてしまう人
事業に失敗して生活自体が危うくなってしまう人
独学での成長に限界を感じている人

そんな人を1人でも減らしたい。
かつての私のように、クレカの支払いができないとわかって背筋が凍る経験は絶対にあなたにして欲しくないのです。
彼女(パートナーや友人でもOK)に泣きながら話したり、借金を作たりして欲しくもないのです。

1人でも多く、今思い描いている熱い思いを実現できる人を増やしたい。
そして、たけやんと関わって良かった!と心から思ってもらえる人でありたい。

そんな思いで今、このブログを書いていますし、VSLを作ったり教えたりしています。
結局私は、「愛情」と「探究心」、そして「繋がり」でできているんです。

VSLやマーケティング云々以前に、私の価値観の主軸としてこの3本柱があるということをあなたにはっきりとお伝えします。

たけやん、君はこれから何をしたいのか?

最後に私の壮大なるヴィジョンを明かしてこの記事を終わらせます。
ほとんど公に言ったことがないので、初出し情報かも知れません。
(多分、私の師匠や妻にも言っていない気がします・・・)

そのヴィジョンとは

「日本発のグローバル・動画マーケティング集団」を私と同世代で作り上げること!

最近はあらゆるものがデジタル化されてペーパーレス化も進み、その過程で動画も多用される時代になってきましたが、それでも集客や販売活動に目をやると、まだまだ文字やペーパーでセールスする習慣が強く残っています。

私は勝手に「大動画時代」と呼んでいますが、これからはますます動画市場が伸びていくと予想されていますし、実際伸びると私も確信しています。

統計では2026年には市場規模が1兆2,451億円にもなると言われていますし、日本人成人の1日あたりの動画視聴時間は平均6時間という分析結果が出ています。数字が大きすぎて私も初めて聴いた際はパッとしなかったのですが、動画はこれから伸びるということが伝われば、とりあえず大丈夫です。

私と同世代の若者、30歳前後ですが、ここでは分かりやすく一旦25〜35歳としましょう。
この世代は今、人生のターニングポイントを迎えている人が多いと感じます。

新卒で入社し順調にキャリアを積んできた人も、転職を考えたり更なるを高みを目指したいと考える人もいるでしょう。
女性であれば出産を経て、子育てママという次の人生のステージへ進もうとしている人もいるかも知れません。
今まではフリーターとして生きてきた人も、これからの人生を考えている人もいるでしょう。

私自身も結婚を機に、これからの人生をどういう方向に持っていきたいか、妻とどんなことをしたいか、どこで生活するのか、どこで一生を終えたいのかなど、細かくじっくり考えています。

そんな大切な時期ですが、テレビやスマホアプリでは明るいニュースを見かけることは、ほとんどありません。
むしろ、不安を感じたり、苛立ちすらをも覚えることも珍しくありません。
また、たとえ大企業で勤めていようが今が安定していようが、この先の保証は誰もしてくれません。

若い頃は汗水垂らして働き、老後は悠々自適に・・・
そんな輝かしい時代は終わりました。
新卒から保険会社に勤務し、今年で70歳になる私の父ですらそう言うのですから、間違いないでしょう。
これからはどんどん、自分自身で人生を切り開く力が必要になるのです。

会社や仕事、政治に不満をグチグチ言っていても何も変わりません。
私もかつては不平不満の多い尖りまくった新卒社員でしたが、結局周りをドン引きさせただけで何も事態が好転することはありませんでした。
周りの人や環境を変えるより、自分自身が変わった方が遥かに早いです。

私はどんなことがあっても、人生を切り開いて突き進む道を選択しました。
そして、かつての私のように悩んで目標を諦めてしまう人に少しでも希望を与えられるよう尽力すると決めました。

加えて、私と同じようにバイタリティがあって、人生を更なる高みへ進めたい、たとえ何度か失敗しても良いから現状維持よりも挑戦したいと思う人は多いと感じます。
隠しているけれども、心の奥底ではそう思っている人も多くいるでしょう。

そんな人と1人でも多く繋がり、そして急成長をしている動画を通して、日本のみならず世界中の事業者や企業を救うグローバル・マーケティング集団を作ることが、私が掲げる大きなヴィジョンなのです。

あわよくば、ニューヨークのタイムズスクエアにある電子広告にも載るくらいの規模までになりたいですね!


長かった自己紹介もこれでおしまいです。
おそらくこれから出すブログ記事の中で最長になるでしょう。
全て読んで欲しいですが・・・少しずつで構いません。

何をして良いのかわからず行き詰まってしまった時に、ぜひ見返してください。
私はまだたった30年足らずの人生ですが、何度もどん底を経験しました。
きっと、立ち直るヒントがあるはずです。

さて、ここまで読んだあなたはもうすでに私が考える「グローバル・動画マーケティング集団」の入り口まで来ています。
ぜひ、今後あなたもその一員に加わることをお待ちしています!

アツ!

竹内 魁志
2024.06.29

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