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小説・強制天職エージェント㉑

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Ⅶ.決意

翌日の朝、水島は小早川の事務所にいた。

「ちょっと話がある」
いつになく険しい表情をする水島。

「どうしたんだい?」

「なぜ、彼女をあの会社に行かせたんだよ。そろそろ、教えてくれてもいいだろう?」

有無を言わせないといった態度に、小早川は早々に降参したようだった。
「そうだな。いいだろう。まず、そもそもなぜ彼女は前の会社、つまり化粧品メーカーに行こうと思ったか?」

「それは、化学系で大手の企業を探したからだろう」

「確かに、それが一番の理由だろう。でも、なぜ化粧品なんだ? 彼女は薄化粧だし、スキンケアにもこだわっている様子はなかった」

「そういえば……」
八重子を尾行していたとき、ドラッグストアで安い化粧品を買っていたのを思い出した。

「ね、化粧品がすごく好きという訳でもなさそうだ。だから、もう少しさかのぼって、なぜ化学の道に進むことにしたのかを考えた」

「それはオヤジさんが化学の先生だったから」

「そうだ。父親の仕事を間近で見ていて、興味を持ったんだったね。でも、それ以外の選択肢がなかった、というのもある」

「どういうこと?」

「瀬戸さんの両親は、教育熱心だったらしいね。彼女は勉強もよくできたが、他の分野においても得意な事はたくさんあった。例えば料理。弁当もちゃんと作っていただろう? でも、大学受験に関係のない分野について、両親──特に母親は興味がなかった。ただ、学業で優秀な成績を修めた時だけ、褒められた」
いつの間にそんなことを調べていたのだろう。

「両親の顔色をうかがうように、勉強だけに打ち込むようになった彼女は、高校で優秀な成績を収め、大学の専攻もそれに応じて選んだ。就職先は、大学の同級生の間で人気だった化粧品メーカーを選ぶことにした。その当時、瀬戸さん周辺の優秀な女子生徒はみんな、化粧品メーカーを目指していたからだ」
人気職種にはその時々のトレンドもあるが、化学系の女性人気が化粧品メーカーというのは多そうだな、と水島は考えた。

「彼女はどうしても化粧品を作りたかったわけではない。彼女はそれで良かったんだよ。親が喜ぶ勉強を頑張り、その中で得意な化学の道に進み、誰もが知っている有名企業に就職して、そのことも親を喜ばせた」

就職先を選ぶ際に、有名企業に入りたいというのは水島も同じだったが、親を喜ばせるためとは考えていなかった。あくまで自分のためだ。ただ、親がうれしそうな顔をしたのを見た時に「入ってよかった」と胸をなでおろしたというのも確かだった。

「子どもは親を喜ばせたいものだ、という話は聞いたことがある」
水島は過去に本で読んだ話を思い出してつぶやいた。

「そうだね。そこまでは良かった。しかし、それ以上に彼女の喜びはなかった。就職後にしばらくして気づいたんだろう」

「仕事が始まったら喜びも何もないけどな。目の前のことに必死になっているうちに、新しい展開があるもんだろ。それを”喜び”だとか”楽しみ”だとかいうのかは知らないけど」

断定的な水島に対して
「あのね、水島。君の言うことはもっともだけど、人それぞれだよ。君は典型的な男性脳だね」
少したしなめるような口調の小早川。

男性脳が何なのかは知らないが、褒め言葉でないことぐらいは分かった。

「そりゃ男だからな」
お前は女性脳とやらが理解できているのか、という言葉をこらえた。

「別に君が悪いとはいわないけれど、色んな人がいるってことを知ってて損はないよ。
話を戻そう。瀬戸さんは人間関係のこじれがあったというか、それがどれだけのものか分からない。僕は、どこに行ってもありそうな、大した話ではないと想像している。ただ、それを乗り越えるだけの、仕事への情熱はなかった。30歳は節目だ。ここで一度、人生を振り返ったのかもしれない」

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ほかにもいろいろ書いてます→「図書目録(小説一覧)

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