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【対極を嫌悪してしまうバイアスが課題】バイアス君と僕は仲良し

自転車の前輪が後輪を嫌っているような状態をイメージしてみてください。逆でもいいですよ、後輪が前輪をバカにしている状態をイメージしてもらっても結構です。

前輪「なんなの!?、私がいなきゃアイツ進むことしかできないくせに!」
後輪「やっぱ前輪はバカだなー、そっちの方向じゃないって分かってないんだなぁ!」

対極嫌悪バイアス。そんな言葉はありません。きっと。

いや、似た言葉はあるかもしれません・・・ちゃんと調べたワケじゃないので・・・ゴニョゴニョ。

自分自身の課題でもあります。片方の視点に寄っていると、もう片方の視点にあるモノを馬鹿にしてしまう思考。これを「対極嫌悪バイアス」と名づけました。

自分が注力している、あるいは目線が集中している分野があるとしましょう。その分野に強い可能性を感じています。とても肯定的にその分野を見ています。そんな状態にあるとき、自分が対極にあると感じる分野に対して「ネガティブな印象」を持つことがあります。

A分野に価値を感じている自分からすればB分野は価値がないのです。何だったら愚か者の所業です。

でも、自転車の例で考えてみると前輪と後輪は決して「対極」ではないですよね。両方がないと成立しない「両輪」です。でも、なぜか僕たちは「両輪」ではなく「対極」だと見なしてしまいがち。

前輪と後輪がケンカしても仕方ない。仲良くやりなよ。君たち二人ともいないと自転車としては成立しないんだよ?

と、そんなコトは分かっていながらも、それでも対極嫌悪バイアスに陥ってしまいがちです。このバイアスに自分があるときには「○○よりも□□」って表現がナチュラルに口からポロポロこぼれ落ちますね。僕も割と出てきやすいタイプです。

「○○よりも□□」には好きな言葉を当てはめてください。分かりやすいモノだと「目先の売上」VS「ビジョン追求」とかかな?、ご自身でイメージしてみてください。

自分が「○○よりも□□だ!」って言いたくなるときを想像してみると、そのテーマのそもそもの背景って「優先順位の誤認」と「バランス・連動性の崩壊」の二つがあると思うんです。

しかも、世間が「優先順位を誤認している」と感じているときは、より強く「○○よりも□□」って言いたくなります。

世間は○○が優先だと言っているけど、自分は□□が優先だと言いたい!と対立構造を描くとき、「民衆を率いる自由の女神」のビジュアルが自分の脳内を駆け巡ります。アイアムヒーロー!

しかし、実態は優先順位を間違えているのではなく「バランス・連動性の崩壊」が起こっているだけだったりするんです。

○○と□□のバランスが1:9ぐらいの状況で、それは流石にまずい。でも本当は3:7ぐらいになれば問題なくなったりするのです。あるいは両者が適切に連動する環境を作ればスムーズになったりもするのです。

「優先順位」の視点からアプローチすると○○と□□は敵対関係になってしまいがちです。

「○○が先だー!、○○なき□□など存在価値がないー!」
「いや□□が先だー!、□□を無視した○○など意味がないー!」

と、両者の主張は先鋭化していきます。そのプロセスの中で自分の思考はどちらかに偏ってしまう。自分にもマジで頻繁に起こる現象なので、割と困りモノなバイアス君なんですよね。

「○○よりも□□」って言ってるうちはまだマシかもしれません。相手のことを「○○に走り出す」とか表現したら、いよいよネガティブなバイアスが自分にかかっているかもしれませんよ。

まぁ、そんなバイアス君とも付き合い長いので、理解したうえで接しますけどね。はいよ、わかったよ、バイアス君はそう言いたいんだね、わかるわかる。でも僕は全体像を掴んでみたいかなぁ。その意見はとても参考になったよ。ありがとう。ってバイアス君に向き合うようにします。

でも、いつも出来るわけじゃないのです。バイアス君と僕は仲良しなので、大体バイアス君の言うことを「その通りやな!」って聞いちゃうのです。バイアス君に悪気はないですしね。バイアス君からすれば、自分の言うことを聞いてくれた方がよりよく生きていけると思っているのです。

自転車の話題に戻りましょうか。なら、どうやって「両輪」であると気付けばイイんでしょうね?

結構、難しいですよ。ぶっちゃけ。だって気付かずにやり過ごしていることも沢山あります。それでも、「気づく確率を高める方法」を敢えて挙げるのであれば、以下の3点ぐらいかなぁと感じています。

  • 自分が対極だと思うモノも含め、テーマ全体を構造で俯瞰する

  • 「大いなる目的」に対して、構造がどう作用するかを想像する

  • 常に「自分がバイアスに囚われている可能性がある」と考える

対極にあるモノも含めて、それぞれは相互に作用しあっています。優先順位を一度忘れてみて、どんな相互作用が働いているかをフラットに見つめてみてください。相互作用が見えてくると、「お互いの相乗効果」が言語化できます。相乗効果は良い方向にも悪い方向にもはたらきますので、その両方を見つめる感覚ですね。

また、片方に視点が寄っているときは「大いなる目的」を忘れているケースがあります。組織でいえばビジョンやミッションにあたるモノを思い返すことも一つの手段でしょう。まぁ、バイアスが強いと「大いなる目的に沿うなら○○だろ!」と自分で思考誘導しちゃったりもするので注意が必要なのですが。

だから最後の思考が一番キモだと思います。常に自分の思考のどこかに「バイアスによって導き出された答え」がある可能性に目を向ける行為です。どこかで自分の抱いている思考が何かしらのバイアスに影響されていないかを疑う姿勢が、全体像をフラットに見せてくれるのだとも感じています。

と、そんな対極嫌悪バイアスについてでした。「自分の課題」と言っていることもありますが、簡単に解決できるテーマじゃないとは感じています。

ただ、自転車の前輪と後輪で争ってちゃ目的地には辿り着けないんです。だから、「何が両輪なのか」に気づく自分でありたい、目を曇らせるバイアスの存在に気づく自分でありたい。そんなコトを考える日々です。おわり。


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