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「言葉の捉え方」を深堀りして、「世界の捉え方」を知っていく

「言葉の捉え方」に人となりが現れると普段から感じています。僕の価値観は僕の言葉の捉え方に現れています。

例えば僕は「自責」って言葉がキライです。似たような意味であれば「自己決定性」という言葉を使います。これは僕の言葉の捉え方と、そこにまつわる僕の価値観です。

同じように、誰にでも「言葉の捉え方」が存在します。一見共通認識があるようで、でもその捉え方は個々に違う。その言葉の捉え方には、その人そのもののあり方が現れる。だから、言葉の捉え方を知ろうとすることはとても大切だと思うのです。

その言葉をどう捉えているかを考える。「世間ではこんな使われ方」「辞書的にはこんな意味」ではなくて、あくまで「自分自身がその言葉をどう捉えているか」です。

例えば「自己肯定感」ってどんな意味で捉えていますか?
例えば「自由」ってどんな意味で捉えていますか?
例えば「空気」ってどんな意味で捉えていますか?

自分自身がその言葉をどんな意味だと捉えているか、まずはココを丁寧に掘り下げてみましょう。そしたらきっと、その言葉に付随して起こる「好き」「嫌い」「面白い」「興味ない」などの感情が存在することにも気づくはずです。

では、自分はなぜその言葉をいま自分が捉えているように捉えているのか。その言葉からなぜ抱いているような感情を抱くのか。自分の中に生まれた解釈のもう一段階奥にある「背景」や「価値観」にまで掘り下げて考えてみると面白いのです。

似た言葉や、一緒に使われるような言葉についても考える。その言葉の意味は違っているのか、それとも重なっている部分があるのか。「違い」ばかりを考えてしまうと「重なり」を見逃してしまったりする。ちょうどベン図がどの程度離れているのか・重なっているのか、あるいはその間にあるモノは何なのかと考えてみるといいでしょう。

あるいは一つの言葉を表す別の言葉がさらにどういう意味を指すのか自分の捉え方を考えてみるのもいいでしょう。「自己肯定感」という言葉をイメージすると、セットとなって「ありのまま」というワードを連想したりします。では「ありのまま」とは一体何を指すのか、この言葉を自分自身はどう捉えているのか、そこも同時に向き合ってみるといいでしょう。

よく分からなくなって迷子になったら、いくつかの要素に分解してみるといいですよ。いわゆる5W1Hで考えてみるようなアプローチです。特に僕たちの使う日本語にはWhoの要素とWhenの要素が現れてきにくいので、この2つをじっくり考えてみると今まで思い至ってなかった「自分の捉え方」を発見できることもあります。

と、一つの言葉を軸にして、その言葉と自分を往復しながら思考することで「自分が世界をどう捉えているか」が可視化されてきます。最初のうちは単に「自分の捉え方を知る」だったモノが、どんどん自分のあり方にも向き合っていくような思考に至り「自分がどう捉えるかを決める」というフェーズに入ったりもします。言葉をとおして自分自身のあり方を見出す、スタンスを決めていく、そんな現象を巻き起こしたりもできるのです。

さてさて、とはいえ一人でこのような問いに向き合い続けることはなかなかシンドイことです。僕自身も一人でやるのはなかなかハード。ということで始めた企画がコチラのシューカン自悶自答です。

ひとつの言葉に向き合い、その言葉をどう捉えているかを知るために、みんなと対話しながら自分に向き合う。ここでは「言葉」と「自分」だけでなく「他人」の捉え方も入ってきますので、より思考を刺激させながら自分の捉え方の世界に入っていくことができます。

だいたい月に3回ほど、日曜日の夜21時〜開催していますので一緒に悶々としてみたい方はぜひ参加を申し込んでください。

■参加申込



余談ですが、「他人の言葉の捉え方」と「自分の言葉の捉え方」の両方を知ることはコミュニケーションにおいてとても大切なことだと感じています。コミュニケーションの橋は自己理解と他者理解を相互に行うからこそ安定する。普段からそう感じています。

ジョハリの窓という既知・未知・自分・他人から分けた構図が有名ですが、これは僕にとってはあくまで「自己認識」を舞台にした構図です。ではコミュニケーションにおいてジョハリの窓はどうなるのか、お互いがジョハリの窓を抱えて向き合う関係性になっていると捉えています。

ジョハリの窓とジョハリの窓、合わせて「ジョリジョリの関係性」ですね。
お髭ジョリジョリ。

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