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フカボリドリル

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色んなテーマを自分なりに深掘りしています。そんなガッツリ系濃厚noteです。
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#ビジョン

ひとりひとりの創造性があふれ出し、みんなで未来をつくる共創社会

この世界観を、僕自身の取り組みのビジョンと位置づけます。「道」とか「熱源」と表現もできるかもしれません。僕が目指す未来の社会の姿です。僕が見たくてたまらない未来のあり方です。 実は、仕事やその他の取り組みに対する「スタンス」は示していたのですが、どんな未来を目指すのかというビジョンはこれまで明示していませんでした。それは自分のなかで十分な言語化ができていなかったから。 で、それを今回言葉にしました。ただ、無理に決めようと思って考えたわけではなく、ずーっと頭の片隅に置いてお

【メタファーと身体知の関係】どんな表現だと深く伝わるか

分かるようで分からないメタファーが世の中にたくさんあるなぁと感じています。 例えば対話を「キャッチボール」と現すとか、相手に寄り添うスタンスを「二人三脚で」みたいに表現するとか、この辺が「分かるようで分かんない」だなぁと感じていました。 いや、分かるんですよ。でも分かんないんです。笑 言ってること一緒やんと思わないでください。笑 ちょっと違う表現をしてみると「頭」では理解できているけど「腹」では理解できていない感覚です。論理面では分かっているけど、感性面ではよく分かって

焚き火のようにビジョンがジワる

先日の投稿ではビジョンやパーパスなどの「自分ごと化」について触れました。個人の中での「自分ごと化」には個人それぞれが自分のビジョンを見出し、個人ビジョンと組織ビジョンの相乗効果を作っていくことが大切だという主旨でした。 今日はその続きっぽいテーマです。集団の中で掲げたビジョンがどう浸透していくのか、どう変化していくのかについて、ちょっと観念的な思考になるかもしれませんが掘り下げてみたいと思います。 前回は「個人軸」がそもそも前提だって話題だったのですが、それでも「働きかけ

ビジョンを浸透「させる」だけでは辿り着けない「自分ごと化」の世界【少し未来の、組織と個人の健康的関係】

最近、「自分ごと化」をテーマにした取り組みに携わることが増えてきました。ビジョンやミッションやパーパスや、語られ方は違いますが「自分ごと化」に皆さん四苦八苦しておられる印象です。 一朝一夕では進まないコトです。ゆっくりと、ジワジワと進んでいくコトです。だからこそ経営層のコミットが大切だと語られることが多いです。常日頃から語って聞かせる意味、自分の言葉でアウトプットする意味、経営者自身がビジョンを体現する意味、この辺りは十二分に語り尽くされていると思います。 ここについては

日本人にとってMVVは理解するのが難しい概念!?(ミッション?、ビジョン?、バリュー?、ナニソレ?)

いま、多くの企業がMVVを設定しています。自分たちの「あり方」を指し示す必要性を感じているからでしょう、多くの企業のホームページでMVVが掲げられていますよね。Mission、Vision、Valueの頭文字を取ってMVVです。(ここから先はカタカナ表記します) でも、ミッション・ビジョン・バリューって概念自体が分かり難いと思いませんか? いろんなMVVを説明しているサイト、あるいは書籍を読んでみても分かったような分からないような、何とも言えない気分になってしまいます。

個人も組織も、「あり方」と「やり方」を連動させようビーム!!

「あり方」というワードに引っかかったあなた、もしかしていま何か悩みを抱えていませんか? 現代社会にいると、つい上手くいく「やり方」ばかりを追いかけてしまいがちです。世の中にあふれる情報発信も「やり方」が主なもの。むしろ「やり方」を追い求めなければ自分が追い落とされてしまうような恐怖心すら煽ってきます。 「やり方」は確かに大切です。しかし、それは「あり方」があってこそ。ビジネスでも生活でも、企業でも組織でもフリーランスでも、生活者でも学生でも大人も子どもも、誰もが共通です。

レオ・レオニ「フレデリック」が教えてくれた、人生を支えるアートの正体

「レオ・レオニ」という作家、あるいは「フレデリック」という絵本をご存知でしょうか。どちらも馴染みがない方でも「スイミー」と聞けば思い出すことがあるかもしれません。 さて、著名な作品には多くの教訓が存在するもの。この「フレデリック」も例外ではないのですが、世間で言われる教訓とは共通項を持ちながらも「ちょっとだけ違う教訓」を僕は感じました。 この記事では僕が「フレデリック」から感じた「生き方」について書き連ねてみたいと思います。 01.「フレデリック」のあらすじ絵本を読んだ