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何者にもならない移住、特別じゃない移住。

久しぶりに文章を書きたくなった。

2022年10月、椎骨動脈解離の手術をしてから特に問題もなく平穏な暮らしを続けている。

会社勤めをしていないので日々の稼ぎや将来への不安は常にある。

しかしそれも自分で選んだ生活なので仕方がない。

会社に勤めない自由は何物にも代え難い。不安はその代償だ。

手術後の状態が安定してきて主治医の許可がおりた頃から妻との間で移住というキーワードが主役となった。

もともとは千葉県の出身。会社員時代は通勤が嫌過ぎて都内の会社のすぐそばに済んでいた。

その後フリーランスになってからは家賃の安さと広さ、静かさなどを求めて埼玉県へ引っ越した。

仕事を求めて都内へ行くということがありそうな気がしたので、そのタイミングでは遠方へ引っ越すという案はあまり検討されなかった。

5年の実績

埼玉県に住んで5年。

いい街だった。いい家だった。

細かく書くとチープになりそうなので止めておく。

とにかく住環境そのものに不満はなかった。

ただただ新しい環境に身を置いてみてもいいかなと思っただけだ。

いい場所がみつからなければ留まればいい。

そんな気持ちで移住候補地を検討してみた。

妻の希望は「海が見える場所」。

取っ掛かりにはちょうどいい希望。

僕自身は寒い場所が苦手なので北海道・東北・北陸などは最初から候補に入らなかった。

もうひとつ怖いのは南海トラフ地震。これで太平洋側の都道府県がほぼ消える。昨今の移住では静岡県が人気No.1らしいけれど、地震のリスクで選択肢からは外れた。

などとやっているうちに候補として残ったのは、長崎県・福岡県・大分県・山口県・岡山県・愛媛県・香川県だった。

この中からどう決めたかは色々あった。

実際に足を運べた場所や、タイミングが合わずに行けなかった場所、行ってみたけどピンと来なかった場所などなど。

結果、香川県高松市に決まった。

東京から離れる不安

生まれてから40年余り過ごした関東圏を離れることに一抹の不安、いや、かなりの不安があった。

この不安を言語化するのは難しい。

関東経済圏から離れてしまうことや、雇用(仕事)の量の違い、東西での文化の差、実家との距離など様々なことが入り混じっているのだと思うけれど、東京近郊出身者の移住にはこの「東京から離れる不安」というのがついてまわるのではないかと思う。

そして移住決断前にこの不安を解消できたか?と問われれば、結局解消できなかった。

もっと言えばこのタイミングで親の体調が悪くなったこともあって、不安はより強まったし、それが原因で移住自体を延期・中止することも考えたくらいだった。

何者かになりたくない

ここからが本当に書きたいことだ。

移住の情報を探しはじめると国内の多くの市区町村が情報を出している。

自然が良い、仕事がある、食べ物が美味しい、気候が良い、人が良い、暮らしやすい、などなど推す場所は様々だ。

そして必ずと言っていいほどあるのが「先輩移住者インタビュー」に類するコンテンツだ。

・田舎で小さなカフェをやるのが夢だったんです
・農業がしたくて移住しました
・大自然の中で子育てがしたくて
・古民家を改築して済んでいます
・地元を盛り上げたくてUターン移住です

どれもこれも素敵ですね。

ただ、僕にはお腹いっぱいですし眩し過ぎました。

特別な目的意識が無いと移住しては駄目なのか?と錯覚し、「目的を叶える何者かにならなければならない」という強迫観念が無意識に出てきてしまうのではと思うほどです。

また、地方への移住の不安のうちのひとつにあった「人口が少なくて何者なのか地域に知れ渡ってしまう」というのも表面化しました。

実際に視察したいくつかの地域ではその恐れがありそうな気がしました。

僕はできれば何者でもいたくなく、ただの住人Aとして穏やかに暮らしたいと思っているので「地域住民との繋がり」は僕の目にはマイナスに映りました。

僕も移住者なのでいつか僕自身や妻が「先輩移住者」としてどこかのメディアに載ることもあるかもしれませんが、可能な限り「なんとなくで移住してもいいんだよ」と伝えられたらなと思っています。

移住という言葉の重み

移住ブームはいつからだろう。

移住を検討してからずっと気になっていることがある。

それは「移住」と「引っ越し(転居)」の違いだ。

東京から埼玉に引っ越した時は移住という言葉は使わなかったし言われもしなかった。何をもってして移住なのだろうか。

千葉県の木更津や君津、館山などは「移住先」として人気があるみたいだけれど、都心からの交通距離は埼玉県とさして変わらない。

実際にその地域も移住地候補としていたけれど、埼玉からそこに引っ越した場合に自分たちが移住という言葉を使っていたとは思えない。

とは言え首都圏以外、関西経済圏や福岡経済圏などからの転居の場合は移住と言えそうだ。

どこを調べても定義は曖昧と出てくるので、移住という言葉を使う側の心持ち次第なのだろう。

とは言え、移住という言葉が非常にライトに扱われるようになった一方で、移住という言葉が持つ重いイメージ(や期待度)は反比例しているように感じます。

移住者への重い期待

地方自治体目線で言えば、居を構え、子供をつくり・育て、骨を埋めるつもりで最期まで長くその土地に住んで欲しいというのが本音なのはわかる。

縁もゆかりもない人の移住だけでなく、都会に憧れて地元を離れた人にも帰って来て欲しいという気持ちのこもったUターン移住というのもわかる。

ただ、移住者に対する期待が大きいのであればそれなりの受け皿を用意するべきだし、先輩移住者の個々の活躍や成功例を客寄せパンダにすべきではないと感じる。

地元企業の雇用があり、いわゆる普通のサラリーマンがそこに転職し、普通の給与水準で働くことができ、居を構え・・・ということを普通の人ができる環境にある必要があるのだと思う。

そのためには「移住しよう・いい街だよ」といううわべのプロモーションの前に、地元企業の支援や大手企業の誘致などの雇用創出に力をいれるべきだと感じている。リモートワーク[テレワーク]移住(仕事は東京の会社・住むのは地方で)なんて言葉に甘えるのは間違っている。

もしそれが難しいという地域の場合はもっとシンプルに「助けて!」というメッセージを出すべきだと思う。

半ば騙すような綺麗な言葉を並び立てて「移住して!」と言うのではなく、地域を盛り上げる案や力、行動力を持った人に手招きをする方が断然いいでしょう。

僕とは真逆で「何者かになりたい人」もたくさんいると思うから。

何者かになる移住と何者にもならない移住

移住の失敗談や成功談は探せばたくさん出てくる。

そりゃあ失敗するよなぁというようなものや、運が悪かったねと感じるもの、よくそんなことができたねと感心するものなど様々で、失敗や成功の要因も色々あるのでまとめるのは難しいと思う。

このnoteで書きたかったのは「何者かになりたいのか?なりたくないのか?」という漠然とした希望も移住の成否に関係してくると思うので、自分やパートナーがどっち側なのかを考えてみるといいかもしれないということです。

僕が引っ越したのは香川県高松市という人口が42万人もいる都市の市街地近くなので、よほどのことをしない限り「何者かになる」方が難しく、いまのところ何者でもない住民Aとして暮らせています。

その点で不満はないのですが、今日までの過程で数々目にしてきた「移住プロモーション」に対する違和感を吐き出せていなかったので、これでスッキリしました。

きっと開拓者である何者かと、その他大勢である何者でもない者の人数バランスがとても大事なのだと思う。

いろいろ書いたけれど、言いたいのは、

・仕事がリモートなどで場所に縛られない人は気軽に移住してみてもいいんじゃない?(引っ越しにはかなりのお金がかかるから、そんなに気軽じゃないけど!)
・地方自治体はもっとライトな移住をおすすめしてもいいんじゃない?(それを実現するための雇用創出に力をいれようよ!)

みたいなことかなと思う。

もう少し「移動(転居)」にお金がかからなければなぁと思う。


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