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あのころ庭で

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ぬこの保護みたいなことは細々と、もう三十年ほどやってきましたが…

長年ひとりで活動してきて、べつにたいしたことはなくて、怪我したぬこや弱ったぬこを病院へ運び込んで、治ったらもといた地域に返すとか、たまたま居着いちゃったので飼いますかねとか、まあゆるゆるっとしたぬこづきあい、そんなもんでした。

が、介護戦が一段落した数年前の荒れ果てた庭で(介護中は庭どころじゃなくてぼろぼろに荒れ放題)、今年はそろそろ手入れして庭再生を…と思っていたその年。

ウッドデッキでのらぬこさんマダムミケが出産して子育てし始めて。

うおーこんな道路っぱたの家の庭で!
かんべんしてくれ危ないじゃん! 
あああ、駐車場に出るんじゃない、危ない! 
と気を揉むこと二ヶ月。

もうね。初代を交通事故で亡くしてるからね。夜もおちおち寝られないくらい心配で、昼も二階の窓から庭ばかり見て。花に水やりとかできないし。


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こんなんですよ。かあいいし、幸せだし、どうしたらいいの。

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ぬこたちの定位置がたまたま電動シャッターの真ん前だったんで、ルーバーは上げない。半開きで隙間から写真撮る。ゆえに横長のアングルばかりなり。

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この子、お母さんを淡く淡くしてすこしグレーかブルー入れたような色合いで可愛い女の子でした。

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隠し撮り隠し撮りの日々。脅かしたらいけないのでこっそりよ。でもたまに気付かれたりもして。

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かわいいぬこ…ことにこの仔は忘れられない。

獣医さんには連絡してあったので、二ヶ月ほどしたころ、決行しました。

TNR

まずはトラップです。

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マダムミケです。怒りましたねえ。ものすごい剣幕でした。わたしの子どもたちに何するの! って激怒。
でも仔ぬこたちが段ボール箱の中で離乳食ぺろぺろしてるのを見せたら、
「あら。ひどいめに逢ってるわけじゃないのね。まあいいわ」
みたいな感じでそのあとは騒ぎません。

避妊手術して、庭へ連れ帰り、その後のようすを見ながら地域猫さんに。
仔ぬこは引き続き獣医さんで里親捜し中ですから、庭にはいません。
マダムミケは鳴いて鳴いて仔ぬこたちをさがし、あちこち見に行き、また鳴いて…一週間くらいはわたしも一緒に泣きました。辛かった…でもマダムミケはもっと辛かったのね。

で、一週間後。マダムミケはぱったり泣きやんで、ごはんをもりもり食べ始めました。今、マダムミケのごはんはぬこ好きのご近所さんが面倒見てくれています。その後、この倍くらいにおふとりになって、堂々たる貫禄。


さて、仔ぬこたちはというと、茶色のしまの男の子が二匹。

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この仔はごはんにつられて自分から段ボールにすいすい入ったので楽でした。のちに里親さんのもとへ引き取られていきました。


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この子は警戒心が強く、一回めの捕獲のとき段ボールの隙間からうなぎのようにすり抜けて。翌日、物陰から飛び出してきたところをキャッチ! 奇跡の空中素手トラップでした。今思い出しても鈍ちんなわたしが何故あんなに正確に、飛び出した仔ぬこを一瞬で捕まえることができたのかわからない。神様が助けてくれたのだと思う。この仔も里親さん宅へ。

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この仔は…心残り。リセミケと仮に名付けました。里親さんのおうちから二日後に逃げ出してしまい…

そののち三ヶ月ほど毎晩、脱走近隣まで車で行って二時間三時間、時間の許す限り探しまわりましたがついに再会できませんでした。


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逃げ出してしまったリセミケさんを忘れないように、キャリコ基金を始めました。

キャリコはミケという意味です。

かかりつけの獣医さんは猫の保護活動に熱心に取り組んでいらっしゃるので、連携させていただくことにしました。

保護されたTNR猫さんの手術費用の補助、あるいは弱ったのらぬこさんに、ちょい高額ながら、とてもいい注射を(一本打っておくと予後がいいという、のらさんのために)打っていただく費用の補助。

また、ぬこ拾ったのが小学生だったり、親には内緒だったり、保護はしたものの、お年寄りで年金生活で、手術代や注射代がまかなえない、そのあと続けて飼えない、養育ボランティアさんがだんだん多頭保護になってきて経済的に手術費や治療費が回らない……というような諸般の事情のぬこさんたちのために。

少しだけ援助させてもらってます。

さて、

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我が家の初代も保護ぬこでした。いい男でしょ。男っぷりのいいぬこでした。たけうちアメチ正太郎という変な名前を(笑
かれは子守するぬこでした。ハウスワーキングキャットって、本当にいるんですよ。執筆中、今ちょっと手が離せないぞというとき、かれがよく子どもの面倒を見てた。わたしにとって救いの天使様状態でしたね。

誕生日わからないので、猫の日の2月22日を誕生日カッコ仮、にしようかと考えてました。
しかし保護前の外暮らしが長かったためなのでしょうか、室内飼いがむずかしかった。今でも思い出すと痛む。交通事故で旅立ちました…

二代目。

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初代を交通事故で亡くして、一週間。生まれてこのかたこれほど泣き続けたことないよってくらい泣いていたわたしのところへ二代目が来ました。それが2月22日でした。面倒見のよいぬこで、素っ頓狂なところと優しいところ、両方ありましたね。

三代目。仔ぬこのときから王者の貫禄を持ってました。

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この三代目は、わたしにおそいかかるいくつもの不測の事態のあいだ、ずっと支えてくれていたぬこでした。わたしの不調や緊張を察したか、しばしばストレス性の疾患になりました。八年間、百回を超える通院と通算五十日に及ぶ入院、5,000回を超える注射に耐えた、優しくて強いぬこ。
さらに、二代目ぬこと黒ラブと、ごく近しい友ひとり、間近な縁戚三人、父と母と……立て続けに見送った年月、わたしの危機をほぼ全部、見終わってからおだやかに旅立ちました。病身でありながら最後の最後まで王者の慈愛を備えていた家族想いのぬこでした。


今、手元にぬこいません。
二代目ぬこもワンコも三代目ぬこも旅立ちました。
自分の年齢と、様々な事情を考えまして、地域のぬこの見守り活動だけにしようと決心。茫茫としたさみしさはありますが、基金を通して今もぬこたちとどこかでつながっている、そのことを励みに。

ぬこたちに幸せを。

そしてぬこたちへ、ありがとう。
ありがとう。たくさんの幸せをありがとう。
ありがとう。




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