ぬっこといっぬとそして今
介護戦を終えたとき
親の見送りについて心残りはなかった。
やれることは全部やったと思う。
なにせ親ふたりともがいろいろ難儀な問題を抱えていたから
ヤバイところまであと一歩! みたいなことが頻発したり
それでも
大きな事故や事件をあれ以上は起こさせずに
あの状態の認知症の親ふたりが
それなりにおだやかな晩年を過ごしたのち旅立ち、だったのだから。
まぁいいか…
そんな…
そんな感じ。
でも
けれども
今でも思い出すたびに痛むことがある。
それは
私が親の介護のためにあちこち走り回っていたころ
わたしが朝から晩まで不在だったり
夜中に飛び起きて実家だの病院だのへ行ったり
仕事と家事と介護とで睡眠時間がどうかすると2時間とかいう
過酷な暮らしの10年間に
十分なケアをしてやれなかったわたしの大切な家族
大切な家族のこと
猫と猫と犬
その晩年を丁寧にケアしてあげることができなかった。
これは私が生きている限り、消えることのない痛みなのだと思う。
老齢によって旅立っていった犬
我が家に来てから7年間はよく遊んでやれたが
残り7年は私が介護でテンテコ&ドタバタしてたため
さんざんなドッグライフになってしまった
ごめんよ。としか言いようがない
もっとあちこち遊びに連れて行ってやりたかった。
いっぬ
時間を気にして大急ぎだった毎日の散歩
散歩どころではない日々もあった
せかせかといつものルートを時短でっていうような散歩ではなく
遊びながら、楽しみながら
季節を感じたりしながら
ゆったりと過ごさせてやりたかった。
ながらく病にあった猫と猫
加齢とともに猫たちも病を得ていたから
毎日のケア、施療通院、家内の安全面
できる限りの世話をと、がんばったけれども
猫たちの幸せ度は
…どうだったかな。
家族から聞いた話
わたしの車が介護先からの帰路、家から2キロほど離れた信号あたりにさしかかるタイミングで
年長猫が起きて階段を降りて玄関前に行って座っていたと
そうしたことが何度もあったと
けれども
わたしがドアを開けて
ただいま、と猫に声をかけると
特段のことはさしてなさげな顔をして
またトコトコと階段を上がって行ったりしていた。
それと
わたしの不在と多忙のせいで
家庭内が不安定なこと
そのストレスのせいだけではないかもしれないが
ストレスが悪化の引きがねとなりやすい病だった年少猫
8年間で5000回の自宅での注射に耐えた
辛抱強く
優しく
独特の寛容さを備えていた猫だった
注射はきっと嫌だっただろうけど
一度も嫌がったり怒ったりしなかった
注射針が猫の皮膚を通るとき
わたしは毎回緊張したし怖かった
素人だから
万が一、猫が渾身の力で暴れたらと思うと
お願い動かないで
毎回、毎回、毎回、怖かった。慣れなかった。
でも一度も
失敗しなかった
猫が受け入れてくれたから
わたしが何かを恐れていると猫にはわかっていたのかもしれない。
そうこうするうち
年長猫が逝った。
腎不全だったが一度は寛解し
食事療法と通院の日々
のちに再発
それでもかなり長生きしてくれた。
しばらくして犬が老衰で
最後のほうはおしものことがあったから
ワン専用のオムツを当ててみたり
そのオムツが外れちゃったり
ごめんなさいオムツ取れちゃった。みたいな
申し訳なさげな顔をした犬
よしわかった
どんなになっても必ず洗って綺麗にしてやるから
案ずるなと言い聞かせて
オムツはやめた。
水猟犬なのに水きらいで
わたしとそっくりな超お転婆だった犬
わたしの膝に頭をのせて
最後の最後に力を振り絞って尻尾を振って
そうして
晴れた日に
首輪もリードもいらない世界へと旅立っていった。
やがて
父が逝き
母も逝き
父母にまつわる様々なこと、手続きやら後始末やらが
おおむね片付いた半年後
わたしの苦難が終えたのを察したように
年少猫が旅立った。
あのとき
看病疲れとかなしみとで理性を失っていたためか
猫の見取りをしながら
薄くなっていく呼吸を聞きながら
間遠な拍動を指でたどりながら
わたしも連れていってくれないか。と
猫の身体を抱きつつ祈ったわたしだった
(残念ながら祈りは届かなかった)
なんでだろうかあのとき
部屋の時計の秒針は1分間ほど止まり
わたしの心臓も20秒ほど止まったが
(心臓の持病持ちなので心拍は常に気にしている)
程なくして時計も心臓も再起動
それで
ああ
まだわたしには何かしらやらねばならないことが現世に残されているらしい。
てなことを考えたと、当時の記録というか日記がわりの手帳に書いてある。
今読み返してみて
アッハちょっとどうかしていたな。とは思う(笑)。
介護は
わたしと
ぬっこといっぬとの暮らし
その幸せや豊かさを
大きく削ったなぁと
不可抗力ではあるけれど
痛感する。
だからといって
親の介護は投げ出せないし
親たちがしでかしたこと
親たちが原因で持ち上がった数多のややこしい問題も
とりあえずはそのすべてを片付けることができたので
晩節としては
悪くなかったんだろう。
そう思っても
猫と猫と犬とのことは
今も複雑だ。
幸せをたくさんもらった
その幸せに、愛情に、報いることができていただろうか
猫たちよ
犬よ
ごめんよ
謝ったところでどうにもならないが。
この痛みを忘れたくない
とも思う
ぬっこもいっぬも今はもうわたしの心の中にしかいないから
想い続けていくこの先もずっと。
いつか
自分が命を閉じるときが来たら
見送った猫たちと犬に真っ先に会いに行こう。
親とのことのすべてを忘れても
ぬっこと
いっぬの
面影は忘れないでいたい
ともに過ごした日々の幸せに
ありがとう、ありがとうと
繰り返し
心のなかで想いを重ねながら
今も生きている。
親の命日に不謹慎な娘(笑)である。
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