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歴史を学ぶ

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歴史に関する記事をこちらにまとめています。
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#政治

論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

メモ 2021年のクーデターで一変したミャンマーの政治情勢

東南アジアのミャンマーでは2021年2月1日に軍部がクーデターによって権力を掌握しました。しか…

冷戦期の米国はどのように対外援助を利用していたか?Foreign Aid as Foreign Policy(…

国際政治では、対外政策の手段として軍事力だけでなく、経済力が使用されてきました。貿易や投…

パレスチナとイスラエルとの間で続く暴力の応酬に迫ったThe Israeli–Palestinian Con…

イスラエル人とパレスチナ人の対立には歴史があり、オスマン帝国の時代にまでさかのぼることが…

ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦…

論文紹介 ジョンソン政権のベトナム政策と国内におけるエリートの統制

国際関係論の理論では、その国の政治体制のタイプが対外政策の選択に重要な影響を及ぼすと考え…

冷戦期の平和運動は東側の情報機関にどれほど利用されていたのか?

アメリカとソ連の冷戦構造によって東西に分断されたドイツは、両陣営が活発に情報活動を遂行した地域の一つです。近年、東ドイツの情報機関であり、対外工作も行っていた国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit)、通称シュタージの史料が開示され、東ドイツが西ドイツの平和運動の組織化を支援していたことが分かってきました。トマス・リッドは、『アクティブ・メジャーズ(Active Measures)』でこの長期にわたるシュタージの対外工作について記述していま

ソ連・ロシアが世界に偽情報を広める積極工作の歴史を描いた『アクティブ・メジャーズ…

軍事の研究では、古くから偽情報(disinformation)を広めることによって、相手の情報活動に影…

メモ 河川と国家の関係をめぐる地理学者と歴史学者の議論から見えてくるもの

19世紀に活躍したドイツの地理学者ラッツェル(Friedrich Ratzel)は政治地理学の先駆者です。…

メモ 第一次世界大戦は経済的相互依存の効果で防げなかったのか?

第一次世界大戦(1914~1918)は国際政治学の領域で特に活発な論争が続けられてきたテーマであ…

メモ 既成事実(fait accompli)とは何か、戦略的に何の意味があるのか?

国際社会では、現状の維持を図るよりも、現状の変更を図る方がはるかに難しい判断を必要としま…

核兵器使用の恐れが差し迫ったとき、アメリカ国民はどう反応するのか?

核兵器の使用の恐れがある国際的危機に際して、普通の人々がどのような反応を示すのかを詳しく…

いかに国家は戦費を調達するのか? How States Pay for Wars(2016)の紹介

戦争を遂行する能力を構築するためには、財政的な裏付けが必要です。軍隊を構成する人員、武器…

第一次世界大戦の勃発に至る英独関係の歴史を記したThe Rise of the Anglo-German Antagonism(1980)の紹介

歴史学者ポール・ケネディは1980年の著作『英独対立の高まり(The Rise of the Anglo-German Antagonism)』の中でドイツとイギリスが敵対するに至ったことが必然であったという解釈を打ち出しています。彼の叙述の起点となるのは1860年であり、第一次世界大戦が勃発する1914年までの間に生じた英独関係の政治的、経済的、社会的な変化が多面的に検討されています。伝統的な外交史の方法だけに頼っておらず、ケネディの歴史解釈の奥深さが分かる研究です。 彼