マガジンのカバー画像

歴史を学ぶ

191
歴史に関する記事をこちらにまとめています。
運営しているクリエイター

#政治

翻訳資料 シェリング「ベルリン危機における核戦略」(1961)

軍事学では政治的目的を達成する方法の一つとして、核による脅しや使用に関する核戦略の研究が…

100

論文紹介 冷戦終結が世界的な内戦の増加の原因だったわけではない

1991年にソビエト連邦が崩壊し、冷戦構造がなくなったことによって、世界では途上国を中心に内…

論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

100

メモ 2021年のクーデターで一変したミャンマーの政治情勢

東南アジアのミャンマーでは2021年2月1日に軍部がクーデターによって権力を掌握しました。しか…

冷戦期の米国はどのように対外援助を利用していたか?Foreign Aid as Foreign Policy(…

国際政治では、対外政策の手段として軍事力だけでなく、経済力が使用されてきました。貿易や投…

パレスチナとイスラエルとの間で続く暴力の応酬に迫ったThe Israeli–Palestinian Con…

イスラエル人とパレスチナ人の対立には歴史があり、オスマン帝国の時代にまでさかのぼることが…

ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦の展開を捉え、その時々のソ連の指導部がどのような意図を持っていたのかを明らかにした歴史学的研究の成果です。ソ連の首脳部における政策論争の記録から個人の日記までが幅広く検討されており、その成果に基づいてスターリンからゴルバチョフに至るまでのソ連の歴史を通観しています。 Zubok, V. M. (2007). A Failed Empire: The Soviet Uni

論文紹介 ジョンソン政権のベトナム政策と国内におけるエリートの統制

国際関係論の理論では、その国の政治体制のタイプが対外政策の選択に重要な影響を及ぼすと考え…

冷戦期の平和運動は東側の情報機関にどれほど利用されていたのか?

アメリカとソ連の冷戦構造によって東西に分断されたドイツは、両陣営が活発に情報活動を遂行し…

ソ連・ロシアが世界に偽情報を広める積極工作の歴史を描いた『アクティブ・メジャーズ…

軍事の研究では、古くから偽情報(disinformation)を広めることによって、相手の情報活動に影…

メモ 河川と国家の関係をめぐる地理学者と歴史学者の議論から見えてくるもの

19世紀に活躍したドイツの地理学者ラッツェル(Friedrich Ratzel)は政治地理学の先駆者です。…

メモ 第一次世界大戦は経済的相互依存の効果で防げなかったのか?

第一次世界大戦(1914~1918)は国際政治学の領域で特に活発な論争が続けられてきたテーマであ…

メモ 既成事実(fait accompli)とは何か、戦略的に何の意味があるのか?

国際社会では、現状の維持を図るよりも、現状の変更を図る方がはるかに難しい判断を必要としま…

核兵器使用の恐れが差し迫ったとき、アメリカ国民はどう反応するのか?

核兵器の使用の恐れがある国際的危機に際して、普通の人々がどのような反応を示すのかを詳しく調べた研究があります。核兵器はその威力の大きさから多数の民間人に被害をもたらすことが広く知られており、アメリカの政治学者ニーナ・タネンウォルド(Nina Tannenwald)氏は広島と長崎に対する原子爆弾が投下されて以来、核兵器不使用の規範が「核のタブー」として形成され、普及し、また強化されてきたと論じています(核の使用を自制させる規範の形成を分析したNuclear Taboo(2007