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何をするにもうまくいかない君へ



午前0時を回ったころ『ねえ最近ぜーんぶうまくいかない』と友人からLINEが届いた。
「ぜーんぶ?」と聞くと『うんぜーんぶ』と返ってきたのであぁこれはひとつずつを言い当てていく形式かもと気合いをいれるや否や、大量のエピソードが送られてきたものだからわたしの気合いは宙ぶらりんだった。
送られてきたメッセージには仕事や人間関係恋愛や趣味や買い物など合計20個超のうまくいかなかったことがずらっと並んでいた。カウントしてたの?とわたしが聞くと『数えてたらもっとある』とぶっきらぼうな答えが返ってきたので笑った。

上手くいかなかったことが山ほどあるなんてすごいことだと思う。上手くいくかわからないことにも日々チャレンジしていなければそうはならないもの。
わたしがそのままを伝えると友人はアンタノハキレイゴトヤと不貞腐れていた。ぜーんぶうまくいかないからぜーんぶが嫌になってしまった彼にとっては、わたしの称賛なぞはけっけっという感じだったのだろう。わかるわかる。

結局のところ "うまくいかなかった" かどうかなんてみんな自分で決めているのだ。
たとえばテストで30点を取ったときに『30点も取れた!』と思うか『70点も落としてしまった...』と思うか、はたまた『平均点より◯点上だ下だ』と安心したり落ち込んだりなどなど、ひとによって様々である。向上心と自己肯定感は時に拮抗するものだなと思うのだけれど、自分がそれを「うんまぁこれでよし」としてしまえば大抵のことはうまくいっていると言えるのだから。

もちろんわたしにだって『あーうまくいかないなー』なんて日もあるし、しくじった自分を責めてしまいそうになる日もあるのだ。ましてや準備に時間をかけたプロジェクトや、人の期待を背負って臨んだ場面でしくじってしまった日にはびええええという感じである。

そういう時わたしは『自分の手から零れ落ちた機会は初めから自分のものじゃなかった』と自身に言い聞かせている。
自分の手で掬いあげた水が手から零れてしまうとき一度は自分のものになったような感覚に陥ってなんだか勿体なく感じてしまうけれど、本当は違う。それは端からわたしの水でなかったのだから何も失っていないどころか、次はどう掬えばよいかの学びを得ているのでどっから見てもプラスである。前進でしかないのだ。

そうは言っても『くよくよしてるの勿体ないよ!』なんて言いたいわけもない。むしろ一切くよくよしないなんて人間としての面白みに欠けるとさえ思っている。


だけれどこれだけは言える。
なにをしても上手くいかないみたいに感じられるのは、感情をのせて日々を過ごすことが上手な証拠なのだ。
あなたが見えている景色は事実とは異なっているかもしれない。けれどそれがあなたの唯一無二をつくっていると考えるとどうだろう。

自分の感情ひとつで世界の色を変えてしまう "うまくいかないあなた" こそ誰かにとってはとても魅力的にうつっているのではないか、とわたしは思うのだ。



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