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さよならするまで一緒にいようよ



日々信じられないようなことがたくさん起こる。
そしてそんな風に躓いて挫けてしまいそうな時こそ、自分の真価が問われるような気がするのだ。
思わずため息をついてしまうような、わっと泣いたり怒ったりしてしまいそうな、そんな時こそぐっと背筋を伸ばしてニコっと笑顔で乗り越えたい。

とまぁ理想を述べるのは簡単だけれど、実際のところはうううっと四つん這いになってしまいそうなわたしをいつも誰かの存在が支えてくれている。だからこそ他者が関わることほどぐるぐると考えてしまうわたしだ。どんなことが起こったとしてもものの数分で "仕方がないな" なんて片付けてしまえる日は、いつか訪れるのだろうか。


少し前、友人からとんでもない数の着信があった。折り返し電話をかけると『さっき婚約破棄になった』と無理に明るい声が聞こえた。
外見も内面も共にかっこよくていつも輪の中心にいるような彼があんなにも感情的に話すのをあの日わたしは初めて聞いたし、照れながらプロポーズの相談をしてきた時のことが思い出されつい彼よりも先に泣き出してしまいそうだった。
それなのにそんな時ですらわたしは彼と一緒になって彼女の悪口を言ってしまえない。彼女には彼女の人生があるのだし、そしてなにより "彼女を選んだあなたをも肯定したい" と思うからだ。
それでも長い時間話したあとに彼は『話してすごくすっきりしたし後悔はない』と言った。それは彼の優しさかもしれないし強がりかもしれないけれど。


人間には寿命があるのだから、当然人間関係にも限りがある。どれだけ大切に誠実に育てた関係性も永続的に続くなんてことはないのだ。だからこそ自分の想いが誰かと重なるなんて奇跡としか言いようがないのだし、それを1日でも長く続けていけるようにとふたりで紡いだ時間が信頼になるのだと思う。
その中で他者にとってどう在りたいかというのは、どこまで行っても自分のわがままなのだということを忘れたくない。わたしが誰かに対して良くありたいと思えるのは、そう在りたいと思わせてくれる周囲の人々のおかげである。その感謝をどのような形で返していこうか果たしてそれが正解だったのかを迷ってしまうのなんて、誰かへのプレゼントを迷うのと同様に素敵でわがままな時間だと思うのだ。

だから、好きな人たちのことをただ真っ直ぐ大切に想って生きていきたい。どこでなにが返ってこようと来まいと。
いつか誰かとどんなさよならをすることがあろうと少しの後悔もないように生きていきたい。
全てを任されている自分の人生くらい、大大大満足でいたいもの。



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