見てないようで見ているけど、気にしていないというのが、他人
こんにちはJagiです
そろそろなんでこのペンネームにしたのか、自分でも謎で後悔し始めている私ですが、今日は他人の目についてちょっとおしゃべりしてみます
自分のまわりにいる人をなんとなく階層分けすると、知人と不知人(まぁ知らん人ってこと)の2つあって、知人の中はグラデーションがあって、それはどんな他人か?という相互理解度の濃淡かなと思ってます(私的見解)
知らん人は、相手はこっちを知っているくらいから、道ですれ違うだけくらいまでのグラデーションでしょうか。会ったことない人は存在しないのと同じとして、大体の、交友関係のテリトリーを定めたとき、ネットの向こう側の人は、この中のどこらへんの距離に入るんでしょうか?
顔は当然知らない。相互フォローやオフ会する他人くらいを知人にいれたとして、フォロワーはもう、相手のことは全然知らないから、本来はバイト先によく来るお客さんくらい距離のある人で、通りすがりにリツイートしてくれた人や、アタリ屋的に、クソリプ飛ばしてくる人なんかは、本来交友関係のテリトリー外の人のはず。
なのに。このテリトリー外の他人の言葉って、すぐ耳元で、「オマエ、まちがってるぞ」とか、「俺の意見を聞けよ」みたいなこと言ってくる感覚があるんですよね。すげぇ声がでか入ってくる感じ。(私だけ?)
他人の言うことや、評価はなるべく気にせず、自分の価値観や、評価軸を大切に生きていけば、前向きに生きていけると常に思っているのですが、そういう気持ちを維持していくのに、この他人たちの言葉が、すごく邪魔です。まぢで煩い。
本来このくらいの距離感の人は、リアルであれば、私のやっていることなんか、「見てないようで見てるけど、気にしてはいない」くらいの意識で社会は形成されているんですが、SNS界隈はめっちゃ見てて、めっちゃ気にしてくるんですよ。なんでぇ?キモォ(嘔吐
だから、本体を特定されないようなペンネームに、なんか後悔しながら、こうしてまだ誰も見ていないようなノートを書くことで自分を守る必要があるわけです(正当化)
ほとんど誰も見ていないし、私のプロフィールの得体が知れない真っ白なところで、自由に書くことはとても楽しい。
ここに書かれた、私の内側の一部を、誰か一人でも共有出来たら素晴らしいと思いながら、いつも書いています
だから、今日偶然にこの記事に出会った人は、SNSやネット上にいる、あなたの周辺にいるかのように見える人が、現実世界では、信号待ちで偶然隣になった人ぐらいの距離なことを思い出して、そんな他人たちの言葉に、重みを感じないでね
不快なコメントは、「ちょっとこの人体臭がキツイな・・モニターからにじんでくるぜ・・」と、日本語が読めてないクソリプが飛んで来たら、「やばー、自販機のおつり取り忘れないか全台カシャカシャして歩いてる人いるよぉ・・・。大人になってそんなことしてちゃダメだよぉ。しらんけど。」くらいの現実に脳内変換して、自分をしっかり守りましょう
Jagiさんとのお約束だよ(ニパッ
ではまた。
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