技術とは何のためにあるのか。多くの技術を持つことが万能であることにはならない。あのように歌いたい、あのように高く跳びたい、あのようにびっくりするようなことをしでかしたい...、自分ではないものへの憧れは尽きないけれどそのようにかいつまんでばかりでは本来自分にとっての技術からは遠のくばかりであるかのようだ。 あるプロスケートボーダーは、辛くなるくらいだったらオーリーなんかしなくたっていい。と言い切った。諦めが肝心とも言っていた。だから今新しいスタイル(技術)でスケートボードを
時計を見た。10時40分15秒前。そろそろ寝なくてはと思いつつも寝るにはまだはやい、何か一日の最後にやることがあるんじやないか、もう少し起きていたい。そのうちねむくなるまでに。この時計は自動式アナログ時計だ。1日ごとに約一分ほどの遅れが起こり、あるとき世の中の時間と10分ずれていたこともしらずに朝間に合って仕事場に到着したにもかかわらず、遅刻だとおこられたことを思いだしたいま。この時計を買ったのはいつだったかかこ。教職に就くとき少しはマシな時計をと思ってネットオークションで買
ものを作ると言うことにはいろいろな要因がある。評価を得たい、自分の考えを具現化したい、出来たときの達成感、癒し、お金、衝動...ect.。 作ってモノができる(生産)。それは権力と関係している。モノで埋め尽くされた世界、それは大小無数の壁によって構成されている世界でもあり、コトの流れの暴走を跳ね返し食い止め安定させているかにみえる。建造物、街路樹、信号機、車、コンセントボックス、洋服、マスク、マニキュア、コンビニの中華まんから高級なジュエリーまで。それら壁には値札がつけられ