「接続詞」は、いったい何を繋いでいるのか?

 先日、今習っているコーチング学校のイベントに参加した。プロコーチのセッション動画を事前に見た参加者で議論を行い、コーチ本人とも質疑応答を行うというイベントだった。
 ブレイクアウトルームの議論では、そのコーチの普通に会話するようなセッションや、クライアントが話しやすい雰囲気に関して、とても良いと感じる、でもどうしてそうなるのかは分からない、そんなことを話していた。

 質疑応答で話題に上がった1つが接続詞の使い方だった。
 動画の中で、コーチは短い接続詞や疑問符を何度も発していた。「というと?」「それで?」。あるいは、独り言のように「どういうことなんだろうな……」と呟く。その後、クライアントは少し考えこみ、さらに思考を深めた言葉を返していく。

 参加者にとってかなり印象的だったようで、「接続詞」に関する質問やコメントが多かった。質問を受けたコーチは下記のように語った。
 「質問に対して、自分が想定した濃さの答えが返ってこなかったり、ズレを感じた時にはより話を深めるようにしている」
「その時、長すぎる質問をすると、リズムが悪くなり、「ぎくしゃく」してきて、会話の一体感がなくなってくる。だから、短く接続詞をつかっている」

そして、印象的な一言があった。
「接続詞で返すことは、相手を認めることになる」

*    * *

 思い出したのは、ライティングの師匠である古賀史健さんもインタビューにおいて「接続詞」を大事にしていたことだった。

 古賀さんの書いたライターの教科書である『取材・執筆・推敲』には、接続詞についてこういう記述がある。

 取材における「質問する力」については、もっともっと磨いていくつもりだ。
 どうやって質問を考えているのか? どうすれば質問が浮かぶのか?
 僕の答えは、接続詞である。
 人間の脳はありがたい設計になっていて、冒頭に接続詞を置いてしまえば、その続きを考えざるを得なくなるのだ。

 「そうすると」「だとしたら」「とはいえ」「それにしても」「言い換えれば」「一方」「そうはいっても」「逆に言うと」など、いい質問に繋がっていく接続詞はたくさんある。自分の中に「接続語」(「主に接続詞」)のストックをたくさん持ち、それぞれに続く問いを考え、瞬時に言語化できる訓練を重ねて行こう

 どんなときに、どんな質問をすればいいかなんかなんて、考えた所でわかるものではないし、ここで一般化することも出来ない。ただ言えるのは、相手の話を――いくつもの接続詞によって――うまく引き継ぎ、それを深堀り・発展させていくこと、その習慣づけだけだ。

引用:『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』(著 古賀史健)

 ここで古賀さんが言っていることと、コーチが言っていたことは完全には一致しない。
 コーチは、接続詞のあとに質問を発想することではなく、むしろ出来るだけ短い問いを相手に投げかけていた。接続詞から質問を発想しようとしていた訳ではない。
 ただ、接続詞が、会話をうまく引き継いで、深堀・発展させるために役立っているという考えの根底にあるものはとても似通っているように感じた。

 接続詞は、前の文章と次の文章を、役割を持って繋いでいくものだ。
 順接、逆説、対立、対比、説明/要点、転換、様々なつなぎ方があり得る。
 その接続詞が会話の場で使われるということは、目の前にいる相手の言葉を明確に引き継いで話が続いていくことになるのだろう。前の走者のバトンを、はっきりと力強く握るように。

 改めて思う。
 接続詞は何を「接続」しうるのだろう? 特に、コーチングのセッションやインタビューのような、何かを引き出す会話の場面で。
 クライアントやインタビュイーの会話を、先に繋いでいくものであり、
 そこで出て来た話題を、更に先の思考に導くものであり、
 同時に、その場にいる二人の関係をも繋いでいくものになりえる。

 そんな風に思う。
 だからこそ「接続詞で返すことは、相手を認めることになる」のかもしれない

 最後に、やや警句にもとれる古賀さんの文章を引用して終わる。

 相手の言葉を遮って――事前に用意した――次の質問に移るような取材からはなにも生まれない。
 相手の話をつなぐこと。続けること。もっと先まで転がすこと。そんな対話がやがて、お互いを「気づいたら、こんなところにまできてしまった」と思える場面に連れて行ってくれるのだ。

引用:『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』(著 古賀史健)

 そんな、遠くまで行く会話がしたい。


(参考)
今回の講習で見た動画は下記でした。ご関心がある方がいましたらどうぞ。


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