ヨーロッパ珍道中(後編)
ベルギー滞在を終え、列車でフランスへ!
あっという間に着いた、ツアー仲間の私よりひと回り上のおっさんはこの短時間にワインをたらふく飲んで、すっかり出来上がっている。まだ昼前だというのに。そういえば、行きの飛行機でもべろべろになっていたのもこのおっさんだったことを思い出した。とてもいい人だったが。
パリの路地にある、牡蠣で有名なお店で、昼間から贅沢にもカキ料理のフルコース、しかも、氷を敷き詰めた大皿の上に乗っている新鮮な生ガキは食べ放題である。食べ過ぎるとお腹をこわすとの注意も忘れて、ついついいやしい私が登場してしまった。幸いお腹はこわさなかったのでよかった。
この後、皆はホテルに向かうのだが、私と課長はスイスに行くため空港に向かう、とてもという言葉では表現しきれないほど不安でたまらない時がやってきた。スイスはドイツ語、もちろん英語でもオッケーだが、ちんぷんかんぷんで、しゃべれない。課長は「カヒィ」しかしゃべれない!
送迎用のバスにもう一人私たちと同様に会社からの指示でドイツに一人旅の男が乗っていた。お察しの通りべろべろのおっさんである。
酒は時間に合わせて飲んでいたらしく、ほぼ抜けていた。
ドイツ語はしゃべれるのかと尋ねると、ぺらぺらのドイツ語らしき言葉で返してきた。人は見かけによらない、なんて言ってはいけない。
あまりにも前の話なのでうろ覚えではあるが私の記憶を絞り出してスイスの2人旅の話に入る。
今回の主催者であるチョコレートの代理店の常務に手渡された往復航空券と宿泊ホテルの場所を示すメモだけで全くことばのワカラナイセカイへ行く現実に泣きそうな気分である。ふと周りを見ると課長の姿が・・・・・・
どこにも・・・・・、「おったー!!!」。売店でカヒィを飲んでいた。
肩書は私が部長で課長の上司だが、大先輩の方には偉そうにも言えないし、この先の不安に拍車がかかる。そんな気分で課長のいる方へ近づいてみると、何やら外国人しかも巨漢の黒人の方とジェスチャーを交えて話している。ひょっとして課長はペラペラだったのかと安堵したのも一瞬で、日本語で会話していた。相手の方が日本語ぺらぺらだったのだ。
現代のように翻訳機能の付いたスマホがあれば私の憂うつもなくなるのになーと今書いててそう思う。
とにもかくにもスイス編に入る。
スイスと言えばアルプス山脈という自然豊かなロケーションをイメージしていたが、私たちが滞在するチューリッヒという町は湖があり大きな公園があるもののアルプスは見えない。空港からチューリッヒまでどうやってたどり着けたのか全く思い出せない。
なるべく優しそうなお年寄りの方を選んでホテルの場所をメモを見せながら日本語と片言の英単語でジェスチャーも交えながら聞きまくった。
なんとかホテルに到着できたが土曜日の19時、もうへとへとで、外に出るのはやめにして、ホテル内のラウンジで軽い食事をとった。
今回のスイスでのミッションは【シュプリングリー】という老舗のお菓子屋で買い物をすること。知らなかったが、海外では日曜日にお休みのところが多いらしく、月曜日までミッションはコンプリートできない。
しかたないので課長と2人チューリッヒの町の探索に出かけた。チューリッヒ湖でカップルたちが楽しんでいる白鳥ボートに男2人で乗った。楽しいとは言えないが日本では味わうことができないカラーの綺麗な紅葉には感動した。お店はほとんど閉まっていたので、公園のワゴンで売っていたスイス感満載のたっぷりチーズドッグを食べたことは覚えている。
その日の夜、寝れなくて夜中のチューリッヒの街を散歩した。スイスは治安がいいと思っていたが、真夜中は真夜中、パンキーな輩たちと目があった瞬間、回れ右をして一目散にホテルへ戻った。HEY!という叫び声を背に受けながら。
あくる日目覚めたのは6時、課長の姿はないがもう気にしない、思っていた通り朝の散歩に行ってたらしいが、7時過ぎにもどってきて私の分までパンをいっぱい買ってきてくれた。さすが課長は優しい方だ。課長は私が入社する以前から課長で私がいたぶられていた修行時代も、よく励ましの言葉をかけてくださっていた。若い職人を陰で支えて、まさにそんな人物である。
たくさん買いすぎて、おかげで昼食までまかなえそうだ。あとは10時オープンの例のお店に行きお菓子を買って、15時の飛行機でフランス戻るだけ。
フランスに着いたのが18時過ぎ、ホテルに着くと、何やらメモを預かっているとフロントの方が言っているがサッパリわからない。しかし話せなくても何とかなるものだという自信がついた。
メモには最後の晩餐、待っています。とお店の名前だけ書いてある。早速フロントで場所を教えてもらったのだが簡単な地図を書いてくれたのはいいが、字も絵も下手すぎて読めない。外で誰かに聞けばいいかと、聞くがなかなかの難問のようで、とにかく字が汚すぎて読めないらしい。そうだ店名を見せてみようとメモを持っている課長の方に振り返ってみるといない、またいない!人だかりの中心で課長はうつぶせになっていた。けつまずいてこけたようだ。私が近づこうとした時、ガラス越しにドイツ語がしゃべれる、べろべろおっさんの姿が、なんとホテルの目の前の店で、フロントマンのメモなんかいらんやろとおもった。課長は自力で恥ずかしそうにおきあがっていた。
最後の晩餐というだけあって、とても自腹で来れそうな店ではない。
豪華でおいしい食事のあと、ドイツ、スイス組のために凱旋門、エッフェル塔などを夜というのに観光案内してくださった。なかでもモンマルトルの丘はとても興味をそそられた。今もう一度行ってみたい場所である。
あくる日は夕方の便なので、ルーブル美術館や大阪でいうところの道具屋筋のような市場、有名な菓子店などを回って今回のツアーは終わりを迎えた。
しかし、このツアーの参加料は会社が出してくれたのだが、いくらかかったのだろうか?
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