記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【映画コラム/解釈】『自転車と少年』(2011) 「ダルデンヌ兄弟と自転車が示すベクトルと偶然性・人間性」

『自転車と少年』(2011)  ダルデンヌ兄弟

1  ダルデンヌ兄弟とカンヌ国際映画祭

『自転車と少年』は、ダルデンヌ兄弟による2011年のベルギー映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員賞)とヨーロッパ映画賞脚本賞を受賞した作品です。ダルデンヌ兄弟といえば、カンヌ国際映画祭の常連で、『ロゼッタ』(1999)『息子のまなざし』(2002)『ある子供』(2006)『ロルナの祈り』(2008) そして、『自転車と少年』(2011)と5作品連続で、主要賞を受賞しています。

  特に『ロゼッタ』『ある子供』は、最高賞であるパルム・ドールを獲得しています。『サンドラの週末』(2014)で、一回途切れますが、『午後8時の訪問者』(2016)を挟んで、『その手に触れるまで』(2019)で、再度、監督賞を受賞しています。なお職場復帰に関する雇用問題を扱った『サンドラの週末』も、マリオン・コティヤールが、ヨーロッパ映画賞主演女優賞を受賞しています。(アカデミー主演女優賞にもノミネート) 

 



2   ダルデンヌ兄弟と眼差し


 ダルデンヌ監督作品に一貫して共通しているのが、社会問題を扱っている点で、特に社会的弱者に焦点が当てられています。『自転車と少年』も、親のネグレクトと少年犯罪のテーマを扱っています。

  また、キャストの演技や脚本の完成度が高いため、ストーリーに引き込まれる文学性の高さもダルデンヌ兄弟作品の特徴です。本作も、ストーリーこそシンプルですが、よく脚本が練られています。



  そして、何よりも印象的なのは、少年シリル役のトマ・ドレの演技です。

  ダルデンヌ兄弟作品の中で、特に『ロルナの祈り』と『イゴールの約束』が個人的に好きなのですが、ダルデンヌ兄弟を一躍、映画界の寵児にした『イゴールの約束』で、少年イゴールを14歳で演じていたのが、本作で父親役を演じているジェレミー・レニエです。

  その後も、ダルデンヌ作品の常連で、『ある子供』『ロルナの祈り』でも主演しています。特に麻薬中毒者を演じた『ロルナの祈り』のクローディ役は、圧巻です。その少年イゴールに匹敵するぐらいの演技を見せているのが少年シリル役のトマ・ドレです。



   そして、特に、ダルデンヌ兄弟の映画において観るものを惹き付けているのは、主人公の眼差しです。 

  『イゴールの約束』では、不法外国人労働者の家族や父親に対する主人公イゴール(ジェレミー・レニエ)の眼差しであり、『息子のまなざし』においては、息子を殺害した加害者の少年を指導する主人公オリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)の眼差しであり、『ロルナの祈り』では、偽装結婚の相手である麻薬中毒者の青年に対する主人公ロルナ(アルタ・ドブロシ)の眼差しです。

  そして、『自転車と少年』において、作品を支配しているのが、少年シリル(トマ・ドレ)の眼差しです。

  特に前半において、シリルの視野の狭さが強調されています。シリルには、父親や自転車のことしか頭にないため、施設の人や他の大人たちの話は、当然頭には入って来ません。特に、サマンサの車や盗まれた自転車を追いかける場面、サマンサの話を聞かずに蛇口から流れる水をひたすら見つめるシ場面、サマンサの静止を振り切って犯行現場に向かおうとする場面などは、視野の狭さを象徴するものです。

  しかし、映画の終わりの場面では、その視野の狭さから解放されています。

  まず、調停の場面で、シリルは、父親を助けようとした息子のマルタンのことを気にしています。犯行時、不良青年ウェスの信頼を失わないように、迷わずマルタンをバットで殴りますが、シリルが一緒に暮らすために父親にお金を届けたように、マルタンにとっても父親が大切な存在であったことを顧みる余裕がそこにはあるのです。

  そして、最後の場面で少年マルタンの報復を受け入れ、脳震盪で意識が曖昧の状態でも、しっかり買ったパンを拾い、脇に抱えて自転車で帰っていく場面で映画が終わります。そのパンは、自分のことをしっかり見てくれる大事なサマンサのために届けるパンです。



3 『自転車と少年』におけるメタファーとしての自転車
 

 そして、この映画で、ストーリーにおいて重要なツールになっているのが、自転車です。移動する手段てある乗り物は、人と心のつながりや交流、コミュニケーションのメタファーとして使われますが、本作の自転車は、特に少年の心のベクトルとして描かれています。

  映画の冒頭では、父親とのつながりの象徴である自転車を探すところを中心に進められます。そして、自転車を届けてくれたサマンサに対して自動車を追いかけて週末の里親を頼むことで、サマンサとの交流が始まります。

  そして、盗まれ自転車を追いかけていった先に、駒として仲間にしようとする不良青年のウェスが現れます。そして、ウェスの信頼を得るために強盗の罪を犯します。しかし、犯行時に失敗を犯してしまったために、ウェスに関係を断たれてしまいます。そして、父親に盗んだお金を届けますが、そこではっきりと関係を断たれてしまいます。

  そこで、自転車を漕ぎながら、ウェスや父親との心のつながりが薄いことを完全に悟り、最も自分のことを思ってくれているサマンサの元に帰ります。

  ここで、重要なのは、ウェスとの移動は車であり、父親に会いに行った時の手段も、車とバスである点です。

  そして、この映画で最も印象的のが、サマンサとシリルが自転車で、河川敷を並走するシーンです。それまでサマンサは、自動車を使って、シリルを迎えに行ったり送ったりしています。

   さらに、この場面では、自転車の交換もしています。これは、双方向のつながりや理解を象徴する記号であり、サマンサとシリルが信頼関係を確立したことを示す重要なシーンになっています。

 

4  ダルデンヌ兄弟による人間性と偶然性への信念


  そして、もう一つ大事な要素として、ダルデンヌ兄弟作品に共通するメッセージがあります。それは、合理的な考えから外れた人間性に1つの光を見出だしている点です。

  『自転車と少年』は、ダルデンヌ兄弟監督作の中で最もすっきりとしたハッピーエンドが実現している作品であり、一見作品の文学性においては、弱点ではあります。

  特に、赤の他人であるサマンサがシリルの里親になる理由が分かりにくいからです。実際、シリルがサマンサにそのことを質問する場面があり、それが、シリルが犯行を犯してしまう隙を与えています。

  ただこの作品において、サマンサが、シリルと本気で向き合う過程が丁寧に描かれています。最初は、何気ない親切から始まった偶然性から、恋人との別れなど選択を次々に迫られ、本気で向き合ったサマンサが涙を流すシーンに至ります。

  実際、現実世界においてシリルのような幸運な救いがあるのは、合理的な考えから外れた偶然性と人間性による要素が存在するからです。

  ダルデンヌ兄弟作品が毎回、人々を惹き付け高い評価を得ているのは、いろいろな社会問題を取り上げながらも、人間性を信じる信念が伝わって来るからではないでしょうか。そう思うのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?