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山路を登りながら -自己に潜る期間としてのXSCHOOL-

今、わたしは3年振りにnoteで記事を書いています。
なぜかというと「自己に潜る期間」だから。

冒頭でお伝えしたいのは、コロナ禍だから何かを書きたいのではなくて、
今、自分自身がその時期に差し掛かっているからとしか言いようがありません。もしこの時勢でも外的要因がなければ今まで通り過ごしていたかも知れませんし、つまり何かがわたしの筆を走らせているのですが、
それは現在わたしが受講しているXSCHOOLというプログラムがきっかけです。
XSCHOOLの概要は以下。

XSCHOOLは、福井の文化風土や産業を探索し、社会の動きを洞察しながら、未来に問いを投げかけるプロジェクトを創出する、約80日間のプログラムです。全国から公募する、多様な専門性をもつ個人メンバーと、福井市で革新を続けるパートナー企業のメンバーが月に1回福井に集い、異なる視点から刺激し合い、補い合いながら議論と試作を重ねます。各地から集ったメンバーの専門性や関心を切り口に、社会実装や事業化も視野に入れ、未来へ問いを投げかけるようなプロジェクトを生み出していきます。

毎年、福井という土地に根ざして「未来に問いを投げかける」プロジェクトを生み出してきたXSCHOOLですが、今年は残念ながらオンラインでの開催となりました。
昨年12月末からはじまり、2021年2月11日(木)現在で4回目のプログラムを終え、あらためて自分の立ち位置を整理する意味でもこの文章を書いています。

そして今回のXSCHOOLはこれまでの福井という土地とは一切関係のない「医療」がテーマ
以下の文章にあるとおり、自分では「専門家以外」では立ち入れないような
どこか別の次元として考えていた分野だと思います。
それは「自分」「医療」を分けていたという証ですし、少なからず遠ざけていたテーマ。いつかは誰にもやってくる病や介護の現状。
その現状に「わからない」ながらも好奇心を持って取り組むXSCHOOLの視点や姿勢には、とても共感するとともに参加する意義を感じています。

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今回初めての参加となる私は、ひとつの課題を抱えながら参加を表明しました。それは自分の「仕事の領域」
XSCHOOLに参加する際、ある短い志望理由を書きました。

XSCHOOLへの参加希望理由は、
今までより1段階広い視野で仕事を捉えて学んでみたいと思ったからです。私はWEBの領域に身を置いていますが、デザインの仕事の領域が加速的に拡がる中、もはやデザインが上手くても高度な開発技術があってもこのまま今の仕事を続けていくことは出来ないと危惧しています。 そのためにはそれらの要素やそれに関わる人が互いに生かしあうように計画しプロジェクトをよりよい形で遂行できるための推進力と広い視野、本質を捉える力が必要だと感じています。

デザインの仕事の領域が確実に広くなっている中、狭い世界でしか物事を見れていないという課題感、とでも言いましょうか。

間違いなく焦りを感じていたのは事実です。
そしてそれは今も変わらず私の周辺を漂い続けています。

本来であれば第1回のプログラム終了後にでも書くべきのような文章。。
この時点で何か道を切り拓けていたかった、という願いもかなわず、
今わたしはプロジェクトの方向性を大きく捉え直している気がするのです。

さて、プロジェクトというのも、
今回のXSCHOOLのテーマである「医療」。
今までWEBサイトのデザインやコーディング、各種デザインツールを使用してつくるいわば装飾としてのデザイン。
課題感としてそんな狭い視野でしかデザインを見れていない自分から抜け出して、物事の本質に迫りたいと思いながら参加しているXSCHOOLの場で、これまでの4回のプログラムを通して、ヒシヒシと突きつけられているのは
そんな「自分をよく見せたい」という想いから来るアウトプットの癖です。

デザイナーとしての自分がやることは
課題を解決するために
「既存のフォーマットから綺麗にレイアウトしてリデザインする」
「あたらしい、今までになかった形のWEBメディアを立ち上げる」
「対話やリサーチを通して出てきた事実をまとめてドキュメント化する」

そんなアウトプットのアイデアは
デザイナー=表層として見た目を取り繕ったり、情報の整理役として自らを差し出す存在という誤解を生みかねないものであり、それによってデザインの職能の価値さえも下げてしまう危険を孕んだものです。

まだプロジェクトの中間地点であり、プライベートな部分も含むので、
細かい経緯や描写は省きますが、
私が今回テーマとしているのは「家族との会話」です。
この時点で、それが医療とどうつながるのか?と思う方もいるかもしれません。この辺りについてはまた詳しく書きたいと思っています。

とにかく今考えれば家族を考え直す大きなきっかけがありましたが、
それもこのXSCHOOLが始まるまで、「医療」がテーマになるまですっかり自分の中では薄れてしまっていたことです。


今、自分に課しているのはアウトプットに頼らないこと。
今回は「家族の会話」を促進させるためのプロセスをデザインすることに注力しています

…と、ここまでデザイナーという職能に固執する自分をけなし続けて来た(笑)ところで、
今回のXSCHOOLを通してずっと続けて来たことがあります。

それは「過去の自分を振り返る」こと。
「自己に潜る期間」としての活動です。

ここに辿り着くまでだいぶ掛かってしまいましたが、
この期間で、ジャーナリングアプリ「muute」を利用したメモ、XSCHOOLのslackを通してその時々に考えていたことを定期的に書き留めておいたのと、
例えば家族との会話において今でも自分の中に深く残っている言葉ややりとりを思い出して、自分がこれまでに経験してきたこと、過去の記憶をたどって自分の原体験を探るような事を行っていました。

そして、その記憶と結びついて思い出された印象的な出来事などを幼少期から順を追って思い返していたのですが、さすがに長くなってきたので、
そろそろ今回の記事を結ぼうと思います。

次回の更新からは、そんな過去の記憶を思い出して、
その時の家族とのやりとりも一緒に思い出せる範囲で細かく書きだしてみようと思います。
ここまで書いて、これが「家族の会話」を促進させることに結実するかも分からなくなってきました。
が、とにかく過去の自分自身の言動が当事者として一体何を思っていたのか、そして現在の家族関係とどう繋がっているのか、研究としてやってみようと思います。

最後に、次回予告です。
転校初日、帰る方向が分からなくなって泣いた日

の事を思い出して書いてみます。
(どう展開するのか、不安になってきた…汗)


※追伸:
タイトルの「山路を登りながら」はillustratorの文字ツールを使用する時にデフォルトで入っている例文です。

夏目漱石の小説『草枕』の冒頭。
”山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。"

何か記事にタイトルを付けようと思ってillustratorを立ち上げた時に、
パッと現れた言葉ですが、今自分はまさに山路を登るところで、これからどう結論づけるのかは分かっていない。

先人の解釈は重要だ。
でも先人が結論づけている事を、もう一度自分に問うてみることも必要だ。
そんな気持ちを込めて書いてみます。

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