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『最後の竜殺し』訳者あとがき

ジャスパー・フォードの変なファンタジー、『最後の竜殺し』発売を記念して、訳者のないとうふみこさんによる訳者あとがきを特別公開致します。

訳者あとがき

「最後のドラゴンと、ドラゴンスレイヤーの物語」そうまとめると、よくあるファンタジー小説のように聞こえるかもしれない。でも、そのドラゴンの住む土地をめぐって不動産業者が暗躍し、ドラゴンスレイヤーにスポンサーがつき、ドラゴンランドのまわりを欲にかられた人々とマスコミの大群が取りかこむという展開だったら……?
 本の扉をあければ、そこは何が飛びだすかわからない奇想天外な世界。はじめての方もおなじみの方も、ようこそジャスパー・フォード・ワールドへ。
 舞台は現代のイギリス不連合王国(アンユナイテッド・キングダムズ)。大小さまざまな王国、公国、共和国などが乱立する、フォード得意の〝もうひとつのイギリス〞だ。そこにはドラゴンや魔術師がいるが、魔法の源である〝環境魔力〞は何十年も前から衰えつづけ、かつて華やかな暮らしをしていた魔術師たちは、今では家の配線の修理や空飛ぶじゅうたんによるピザの配達などで、日銭をかせぐのがせいいっぱいだ。
 そんな魔術師たちの面倒を見ているのが、主人公である十五歳の少女、ジェニファー・ストレンジ。ジェニファーは捨て子で、孤児院で育てられ、十二歳のとき魔法管理会社〈カザム魔法マネジメント〉に売られてきた。ジェニファー自身は魔法が使えないが、働き者で頭が切れるし度胸もあるので、魔法に関するあらゆる雑務をこなしながら、カザムの社長代理まで務めている(詳細ははぶくが、社長が失踪中なのだ)。
 そんななか、予知能力者が最後のドラゴンの死を予言した。
 かつて地上を跋扈(ばっこ)していたドラゴンは、しだいに数を減らしてついに残り一頭になり、カザムからほど近いドラゴンランドで暮らしている。最後のドラゴンが死ぬと、その広大な土地は、いち早く杭を打ってロープで囲いこんだ者の所有物になるという決まりがある。そのためドラゴンランドの周囲には土地の獲得をもくろむ人々が押しよせ、世間は一気に騒然としはじめる……。

 作者は、ジャンルの枠をこれでもかこれでもかと揺さぶってみせる。魔法とドラゴンという典型的なファンタジーの設定なのに、魔術師たちはみなお金の心配にとりつかれているし、国王は資本主義まみれの独裁者という現実感たっぷりの世界。そうかと思えば「魔力はすべての人間が潜在的に持っている感情エネルギー」で「第五の基本的な力だと考えられているけれど、重力よりさらに謎が多い」と、SF風味もまぶしてくる。そして〝主人公が孤児〞という英国文学におなじみの設定を用いながら、この国の社会制度そのものが捨て子の安い労働力をあてにした〝捨て子経済〞で成り立っているという、奇抜な着想をぶちこんでくる。
そこにはもちろん現代社会への風刺もたっぷり盛りこまれているのだが、何より単純に読んで楽しく、にやりとせずにいられない。
 もちろん本作の魅力は、そうした設定の妙だけではない。レディ・モーゴンをはじめとするクセの強すぎる魔術師たち。聡明でかわいい後輩タイガー・プローンズ。知性にあふれ、でもちょっぴりすねているドラゴンのモルトカッシオン……。いつもながら登場人物たち(+ドラゴン)のカラフルさはみごとだし、だれが味方でだれが敵だか最後までわからないフォード作品らしさも存分に味わえる。
 そして何より主人公のジェニファーがいい。捨て子で苦労人という出自ゆえ、周囲の大人たちより老成しているところもあるが、そこは十五歳(あと二週間で十六歳)の若者。迷ったり悩んだりもするし、かっとして直情径行の行動に走ることもある(これは、のちの伏線でもある)。さらに、著者のデビュー作の主人公サーズデイ・ネクストや、『雪降る夏空にきみと眠る』(Early Riser)桐谷知未訳、竹書房のチャーリー・ワージングと同様、揺るぎない正義感を持ちあわせている。だから物語の展開が混沌(こんとん)の度合いを増しても、全編をつらぬくさわやかさがある。
 じつは作者自身もインタビューで認めているのだが、ジェニファーとサーズデイ・ネクストには共通点が多い。時代も設定もちがうので直接のつながりはないが、性格も似ているし、父親(または父親代わりの人物)が行方不明だったり、風変わりなペット(サーズデイ・ネクストの場合はクローン技術で生みだされたドードー)を連れていたりという点も似かよっている。
 それもそのはずというべきか、この二作品、発表年こそ十年近く離れているが、書きあげられたのはほぼ同時期だったのだ。フォードは早くから映画制作に興味を持ち、撮影助手の仕事をつづけながら脚本家をめざしていた。ところが脚本執筆の練習のため短編を書きはじめたら、そちらのほうが断然おもしろいことに気づき、いつしか長編小説の執筆にはげむようになった。八十年代後半から、出版のあてもなく書きためた小説が六本。そのなかに「サーズデイ・ネクスト」シリーズの第一作 『ジェイン・エアを探せ!』(The Eyre Affair)田村源二訳、ソニー・マガジンズと本作も入っていた。サーズデイ・ネクストのほうは十年かけて少しずつ書きすすめたそうだが、本作は一九九七年に映画『マスク・オブ・ゾロ』(一九九八年公開)の撮影にたずさわっていたころ構想をあたため、クランクアップしてから一か月弱で初稿を書きあげたという。
 そうやって書きためた小説は、ほうぼうの出版エージェントに持ちこんだものの、来るのは不採用の通知ばかり(その数なんと七十六通)。本書 The Last Dragonslayer は、九八年に初稿を書いたあと磨きをかけて二〇〇〇年に持ちこんだ。エージェントには気に入ってもらえたが、当時はちょうど「ハリー・ポッター」ブームが本格化しはじめたころ。新人が魔法ものを書いたら亜流とみなされるという判断でお蔵入りになってしまった。そこで代わりに 『ジェイン・エアを探せ!』の原稿を見せたところこちらはすぐにゴーサインが出て、ついに二〇〇一年、作家デビュー。たちまち人気を博すと、その後はほぼ年に一冊のペースで出版を重ね、二〇一〇年にはようやく本書も日の目を見たのだった。
 そんな成り立ちゆえか、本書に登場するアイテムは、「サーズデイ・ネクスト」シリーズにもちらちらとカメオ出演している。たとえば第一巻『ジェイン・エアを探せ!』の第四章には「クォークビースト」が、また第二巻『さらば大鴉』の第六章には「コンスタッフ」が一瞬だけ登場する。ほかにもいくつかあるので、興味のある人は気をつけて読んでみてほしい。舞台設定がまったくちがうので地続きの世界ではないのだが、著者の頭のなかでは、まちがいなくつながっているのだろう。
 さて、ドラゴンの死にまつわる謎を調べはじめたジェニファーは、やがて自分が最後のドラゴンスレイヤーになると定められていることを知って、驚愕(きょうがく)する。いきなり騒動の渦中に放りこまれるジェニファーと、彼女に圧力をかけてくるさまざまな人たち。カザムの魔術師たちとの関係も緊迫してくる。つぎつぎと襲う難題にジェニファー・ストレンジはどう立ちむかうのか。ぜひじっくりとお楽しみください。
 この作品にはすでに続編が二冊書かれている。第二巻のタイトルは The Song of the Quarkbeast。第一巻を読みおえたあとだと、このタイトルを見ただけでぐっと来る。そして第三巻の The Eye of Zoltar では、ついに史上最強の大魔術師マイティ・シャンダーが本格的に登場。果たしてその目的は? ジェニファーの淡い恋や、同い年ぐらいの少女たちとの胸熱なシスターフッドも描かれる。じつはこのシリーズ、第三巻で完結するはずだったのだが、筆が走ったのか三巻めはものすごいクリフハンガーで終わっている。そして第四巻は、当初二〇一五年に出版予定とされていたが、その後著者がスランプに突入。二〇一八年にようやく『雪降る夏空にきみと眠る』とともに復活すると、今年二〇二〇年七月には The Constant Rabbit の出版を予定しており、そのあと本シリーズの完結編執筆に着手することになっている……はずである。無事に完結することを心から願っている。
 というわけで読者の皆様には、まずはこの第一巻でジェニファーの活躍を存分に楽しみ、応援していただければ幸いだ。

                          ないとう ふみこ


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