「5年後も、僕は生きています ㊼神秘体験
㊼神秘体験
瞑想を始めて数か月、「観察者モード」に時々たどり着くことが出来るようになったころでした。
瞑想を開始して、観察者モードに入り、僕は真っ暗で静寂な空間に包まれていました。
そう、それは突然起こりました。
表現するのが難しいのですが、自分が「裏返し」になる、という感覚です。
自分の「皮」が背中から裏返しになる…
べりべり?
あるいは
バリバリ?
まるで果物の皮をむくように、僕という「皮」がむかれて、裏返しになってしまったのです。
内側と外側が完全に反対になりました。
つまり、外側の「空間」が僕で、今まで「僕」だと感じていたのは、ただ単なる「感覚機能・センサー」にすぎない、という感覚です。
僕の本体は「空間」。
で、センサーが外側の情報をキャッチしているだけ…
今まで自分が自分だと思っていたものは…
ただのセンサーな過ぎなかった…
音
身体の感覚
エネルギーの流れ
浮かんでは消えていく「思考」たち…
それを「空間」が体験している…
その空間が「僕」。
空間=僕
の状態になったとき、「僕」という意識、あるいは「感覚」は無くなっていました。
「僕」は消えていたのです。
瞑想を終えて、現実世界に戻ってきたとき、
「ああ、そういうことなんだな…」
という腹落ち観だけが、やけにリアルにやってきました。
そうか、これが「観察者モードの先の世界」なんだ。
僕はこの体験をしたことで、さらに瞑想にはまり込んでいきました。
もう一度、あの「裏返し体験・裏返しフィールド」に到達したい…
瞑想を続けて10か月ほど経ったころ、2021年の1月くらいでしたでしょうか、ある本に出合いました。
「マインドフルネス・気づきの瞑想」
新宿の本屋さんで発見し、パラパラと見た瞬間
「これだ、瞑想の手引書として最適だ!」
と直感し、少々値段が張ったのですが、すぐに購入しました。
瞑想初心者に対して、その視点、方法(やり方)、注意点、瞑想を始めたとき、何を気を付ければよいのか?
そういったことが懇切丁寧に分かりやすく書かれていました。
他にも「マインドフルネス・ストレス軽減法」という本もとても参考になりました。
これらの本を読みながら、そこに書かれていることを忠実にやってみようと思ったのです。
よしよし、この手引書通りにやれば、次のステージ「観察者モード」の先、あの「裏返しフィールドに容易に到達出来るかもしれない…
そうして毎日、瞑想を続けました。
そして、この本にはまだ先に続きがありました。
「マインドフルネスを超えて」
この本は、そのときの僕が追い求めていた内容でした。
観察者モードの先…
それはどんな世界なのか?
この本ではその状態を「禅定(ぜんじょう)」と現わして、全部で8つ、プラス1で9つの段階が説明されていました。
説明を読むと、僕が偶然にも体験したのは、どうやら「第5禅定」のようでした。
5番目…
まだ先に4つのステージがあるんだ。
まあ、そこに行くのは時間がかかるか、恐らく無理なステージもあるだろうけれど、手引書通りにやれば、もしかしてさっきの「裏返しモード」の先くらいには到達できるかもしれない。
やろう
やってみよう
あそこへ、もう一度行くんだ
僕は毎朝、この本に書かれている注意点なども含め、一生懸命に瞑想に取り組み始めました。
すると、しばらくすると不思議なこと気づきました。
気分的には毎日「いい気分」「スッキリさわやか」なのですが、体調が悪くなってきたのです。
しばらくしてあまりにも身体がだるかったせいもあり、ヒーラーの舟橋さんに連絡を取って診て頂くことにしました。
「刀根さん、なにかありましたか?」
開口一番、舟橋さんは聞きました。
「いえ、特に…」
僕には、思い当たることは何もありません。
メンタル的には毎朝の瞑想で、毎日すっきりです。
「ん~」
舟橋さんはちょっと難しい顔をして言いました。
「刀根さんについていらっしゃった竜神さまが、みんないなくなりました」
「え? みんな?」
そう、舟橋さんによると、そのときの僕は竜神さまが150柱ほと、僕をサポートして頂いているとのことだったのです。
その竜神さまが、ひとりもいなくなった…
「ゼロ、ですか?」
「ええ、ゼロです」
「それはまた、どうしてでしょう?」
「最近なにか変わったことかはありませんか?」
「いえ、特に。神社にも行っていないですし」
僕は神社に行くと、身体が重くなって、後から舟橋さんに「神社でへんなものもらってきましたね」というケースが結構あったのですが、今回は特に神社にも行っていませんでした」
「そうですか…では、誰か新しい人と会ったりとか…」
「まあ、僕も仕事柄いろんな人たちと会いますから、良く分かりません」
「じゃあ、ちょっと診てみましょう」
舟橋さんは目をつぶってぶつぶつつぶやくと、言いました。
「最近始めたことってあります?」
「始めたこと? う~ん」
特に、最近始めたことはありません。
「~ん~、強いてあげるとすれば、最近ではないですが、瞑想ですかね」
「瞑想…」
舟橋さんはそう言うと、また目をつぶってぶつぶつとつぶやき、目を開けていいました。
「それですね。原因は瞑想だって出てます」
「瞑想が原因? ですか」
「ええ、そう出てます」
舟橋さんはちょっと苦笑しながら言いました。
どういうことなんだろう
瞑想って良いことじゃなかったの?
向こう側に世界に到達する、ブッダも達磨大師も、禅のマスターたちも、みんなやってることじゃないの?
なんで竜神さまが全員いなくなくなっちゃうんだろう?
「身体の方はかなり疲れていますので、それを戻しておきますね」
「ありがとうございます。竜神さまはどうでしょう?」
「一度離れた竜神さまがすぐに戻ってきてくれるかどうかは、分かりません。それは竜神さま次第ですから」
そういうものなんだ…
でも、瞑想の何が悪かったんだろう?
そのとき、ふと直感がひらめきました。
『執着』
そう、瞑想中に体験した「裏返しの感覚」を、もう一度味わいたい、体験したい、という『執着』あるいは『欲求』。
その執着、欲求が視野の狭さを創り出し、あるひとつの方法(本に書いてあったやり方)に固執して僕自身のエネルギーを歪ませていたんだ。
あの本に書いてあった「やり方」「考え方」「世界観」その他もろもろ、確かにいい教則本だったけれど、それを何の吟味なく、頭からそのまんまにやり込むこと、しかも結果に「執着」をしながら。
無意識のうちに、僕はあの自由で心地よい空間、サレンダーの空間から遠くは離れ、執着と欲求と言う『足りない』世界に取り込まれていたのです。
何かを追い求める行為そのものの根底には、不足観があります。
そして自分の外側にその「不足感を埋める何かを追い求める」というという行為につながっていくのです。
これは「お金」「財産」「名誉」「美しさや若さ」なども同じです。
そして「さとり」も同じなのです。
この僕の「執着」「欲求」「不足感」のエネルギーに竜神さまたちが「NO」を突き付けたんだ、と僕は理解しました。
少し瞑想から離れよう…
執着は止めだ
手放そう
後ほど知った禅の言葉があります。
「作仏(さぶつ)を図るなかれ」(座禅儀)
そう、仏になろうとしてはいけないのです。
仏になろうとする執着がある限り、仏にはなれないのです。
なぜなら…
仏になろうとしているのは「エゴ」だからです。
「エゴ」が消えない仮り。「執着」が無くならない限り、仏にはなれないのです。
では仏とは?
さとりとは?
「我と言う、小さきものを捨ててみよ。三千世界がわが身とぞなる」(無窓国師)
エゴを超える、エゴのその先、「私」がいない世界…
なのです。
それから2か月ほど、瞑想は止めました。
あれだけ取り付かれたように毎日瞑想をしてましたから、物足りなさとともに、そこから解放されたことで少しほっとした自分もいました。
あるとき、禅のマスターが書いた本を読みました。
このマスターは曹洞宗のマスターです。
僕が以前読んでいた教則本は「テーラワーダ仏教」のマスターが書いた本。
なにがどう違うかというと(詳しくは僕も分かりませんが)テーラワーダは瞑想の段階とか次のステージとか、その時に意識することとか、そういうことが細かく決められていて、だからこその教則本なのですが、曹洞宗では(僕の読んだ本では)、なんも考えんで、「ど~んと座る」「宇宙とひとつなぎになる」と書いてありました。
そして、こうも書いてありました。
「瞑想に意味なんて、ありゃせん」
「瞑想をしてさとりを得ようとする行為そのものが、エゴなんじゃよ」
「じゃあ、なんで座るんですか」
「それは座りたいからじゃ。それがワシだからじゃ。そこに意味なんぞない」
「ワシはそれしか出来んのじゃ」
「そのうち分かる。照見して五蘊はすべて皆、空だということが」
「一超直来如来地じゃ」
なるほど。
なんだか分かったような(分からないような)気がしました。
追い求めるんじゃない、ただ座りたいから座る。
追い求めずに、ただ座る
その結果は…知らん(笑)。
これだ、このスタンスが僕にピッタリだ。
僕はそれまで一所懸命にやってきた「やり方」を手放しました。
頭で学んでDOINGしていたことを捨てました。
そして「何も考えず」ただそこに身を置く、ということを「瞑想」として再び始めました。
ただし、頭の中に「思考」が渦巻いたりしたときには、最初の教則本で学んだメソッドが大いに役立ったことは事実です。
あのときに僕が学んだのはきっと「基礎中の基礎」だったんでしょう。それに固執、気がつかないうちにしがみついていた僕自身に問題があったのです。
後日談…
竜神さまは戻ってきていただいたり、新しい竜神さまが来ていただいたり、または離れていったりと、日々変動中のようです。
㊽へ続く
第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。
肺ガンステージ4からの生還体験記です。
とりあえず、ベストセラーになりました。
新刊です。
「読んだら人生が激変する」とご紹介頂けるほど、ご推薦いただいて感謝しかありません。10分ほどの画像です。よろしければ見てくださいね。
いわぶちゆういちさんの「ぶちの気ままライブ」出演させて頂きました。「さとりをひらいた犬」を書き始めたきっかけ、書いていた時の想い、感じたこと、その体験などを中心にお話させていただきました。よろしければ、ご覧くださいね。
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