「5年後も、僕は生きています ㉜生還体験を、初めて人前で話す」
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何かのご参考になれば、嬉しいです。
僕自身の体験と気づきの「生還記」です。肺がんステージ4宣告から、生還までの体験記(2016年9月~2017年7月まで)です。
発売以来のロングセラーとなっています。
斎藤一人さんからもご推薦いただいております。
何かのご参考になれば光栄です。
(Amazonカテゴリ別/闘病記/発売後ランキング1位・終末期医療1位)
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山川紘矢・山川亜希子さんご夫婦から絶賛いただいております。
亜希子さんからは「絶対に読んでおくべき3冊の1冊」とご推薦をいただいています。
「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方はこちらからお読みくださいね。
では、「5年後も、僕は生きています」第32話です。
㉜生還体験を、初めて人前で話す
2018年11月11日の早朝、透き通った空気の中、僕たちは森の中の小道を通って、草原へと足を伸ばしました。
草原の朝露が、まるで宝石をちりばめたようにキラキラと輝いています。
あ~、なんて気持ちいいんだろう~
僕は広々とし、清浄な空気を胸いっぱいに吸い込みました。
「ここは冬場はスキー場になってるんですよ」
中澤さんの言葉に周囲を見渡すと、スキーリフトが遠くに目に入りました。
「夏場はモウちゃんの牧草地です。今の季節はいないですけど」
スキーリフトの向こう側には、さらに雄大な山々が連なっていました。
ひろいな~
気持ちいいな~
『時空の杜(そらのもり)』に帰ってきてから、ワークスペースにみんなが集まってきました。
いよいよ僕が生還体験を話す番です。
参加者のみんなは、僕がどういうことで講師として呼ばれているのか、よく理解していない人がほとんどのように感じました。
断食がしたい人、河野さんのワークを体験したい人、それがメインの人たちだったからです。
「いまから約2年前の9月1日、僕は肺ガンのステージ4を宣告されました…」
僕は何も考えずに話し始めました。
みんなの視線が、いっせいに変わったのが分かりました。
「ネットで調べると、肺がんのステージ4の1年生存率は30%、5年生存率は10%以下です。いま、僕の身体にガンはほとんどありません」
「おお~」
誰ともない声が聞こえました。
僕の口から自然に、僕が体験した様々な出来事がこぼれだしました。
最初の大学病院のドクターから言われたこと。
「肺ガンは、ガンの中でも難しいガンなんです」
「残念ながら、刀根さんには特定の遺伝子は見つかりませんでした」
「抗ガン剤しか、やりようがありません」
「その抗ガン剤は効く可能性は40%です。やってみないとわかりません」
「仮にそのお薬が効いたとしても、必ずガン細胞は耐性を持ち、効かなくなります」
「そうしたら、また別の抗ガン剤に変えます。それが効く可能性も40%です。やってみないと分かりません…」
僕はあのとき、いのちの選択に迫られていました。
目の前に示されていた道は抗ガン剤が効かなくなって死ぬか、抗ガン剤の副作用で死ぬか、どっちかのように感じました。
大学病院から提案された治験も“人体実験”のように感じて断りました。
まあ、ほんとうは治験の担当医師が妻を泣かしたから、腹が立っただけなんだけれどね。
僕は大学病院の治療を断り、「自分で治す」と決めました。今から考えると、ずいぶんと思い切ったことをしたと思います。
抗ガン剤がキツくなって途中で止める人はいるけれど、最初からやらないという人は珍しいらしいです。
ただし、いまの僕の意見としては「治れば、なんでもあり」です。
抗がん剤でガンが消えた人も、たくさん知っています。
そう、方法はなんでもいいんです、治りさえすれば。
当時の僕と言えば、大学病院の治療を断り、自分でガンを消すべく、徹底的に本やネットを調べまくりました。
本は30冊以上読んだでしょう。
そして本を書いた先生の所属するクリニックへもたくさん足を運び、直接話をききまくりました。
サプリもたくさん買いました。
生活習慣も変えました。
食事は妻が徹底的にやってくれました。
毎日の野菜ジュース、野菜を中心とした食事、肉類や乳製品を止め、グルテンフリーのメニューや食事など、ほんとうに妻は頑張ってくれました。
妻にあの頃を聞くと
「もう、ただただ、必死で…よく覚えていないし、思い出したくない…」
と言っています。
ほんとうに大変だったのでしょう。
僕がいま、こうして生きているのは、彼女がぼくの妻だったからです。
ほんとうに感謝しかありません。
しかし…
それにもかかわらず、だんだんと悪くなっていく体調…
喉がひりひり、ズキズキと痛み出し、痰が出始め、それに血が混じり始めたのが12月頃でした。
胸の中がいつもチクチク、ズキズキと痛み出したのも、同じ頃です。
年が明けて17年になると、首の横のリンパが腫れてきて、声が全く出なくなりました。
1月末頃には、股関節と座骨が痛み出し、立っても痛い、座っても痛いと言う状態になってきました。
3月には100メートル歩くとハアハアと息が切れ、4月に入ると階段も上れなくなり、自然とエスカレーターを探すようになりました。
ちょっとした上り坂や階段があると、下から見上げて「ああ、無理」と、絶望的な気持ちになりました。
表面上は「僕は治ります」といつも強気でポジティブに意識を持っていっていましたが、ふと気づくと「3ヶ月後に生きている自分」が想像出来ませんでした。
ぐらぐら揺れ動く自分の心を見つめると、「自分は強い」と思っていたのは幻想でした。
そう、エゴ(自我)が作り上げた幻想だったのです。
頑張って頑張って、自己肯定感を高め、作り上げた砂上の楼閣、それがそれまでの僕だったのです。
ガンになってはじめて、それが幻想だったことに気づかされました。
雪崩のように、僕の口から当時のことが流れ出していきました。
僕は、誰も愛していなかった。
自分も、家族も、みんな、全て。
どうやって、この世界を生き残るか?
どうやって、サバイブしていくか?
そのために、どういう戦略を立て、実行していくか?
それが、僕のメインプログラムだったのです。
なんて寂しい人生だったのでしょう。
5月には右目が上からシャッターが降りたように、半分近く見えなくなりました。
そして自分の名前(漢字)がわからなくなり、最終的にはひらがなも分からなくなりました。
子供が書く「鏡文字」みたいに、どっちもあり、のように感じて思い出せなくなってしまったのです。
そしてついに、東大病院のドクター(いまの主治医)からこう言われました。
「問題なのは脳転移です。かなり大きな腫瘍が考えられます。このままだと、最悪来週にでも、呼吸が止まる可能性があります」
聞いていたみんなの息が、ひゅっと、止まった気がしました。
そう、そこで僕に起こったこと…
それは…
絶望じゃなくて、解放だったのです。
暗くて狭く、そして火で炙られ続けていた「圧力釜」から、広々とした何もない青空の空間に解き放たれたのです。
それは、とてつもない、解放でした。
最高に、いい気持ちでした。
僕の“自我・エゴ”が完全にKO負けした瞬間でした。
自分で治す
自分が治す
自分の考えで
自分のやり方で
自分が
自分が
自分で
自分で
自分
自分
自分
自分
この“自分”が、自我が、エゴが、それまでの僕が僕だと思い込んでいた「サバイバル・プログラム」が、ガンという目の前の状況に粉々に打ち砕かれた瞬間だったのです。
しかし、自分が打ち砕かれ、消え去っても…
僕は…
そこに、いたのです!!
いや、そこにいたのは“僕”ではなく、もしかすると“大いなる存在”と一体となった僕だったかもしれません。
いえ、そのとき“僕”はいませんでした。
そこには、ただひたすら、気持ちのいい、爽快な空間が広がっていだけなのです。
何も、考えることはありませんでした。
何も、することはありませんでした。
何も、出来ることもありませんでした。
何も、しない。
ただ、ただ、全てをお任せする。
これが、僕の体験した「サレンダー」でした。
この体験のあと、まるで時間割が決まっていたかのように様々な出来事、人たちが僕の前にやってきました。
翌日、20年以上ぶりに会ったフジコさんは言いました。
「刀根くん、これはね、自分で決めて、自分で起こしていることなのよ」
僕はこの言葉で、ガンという体験が、僕の「魂の計画」であることを腑に落としました。
翌日、両親と会い、僕が子供の頃から深い心の中にしまい込んで見ないようにしていた“悲しみ”を父に話すことが出来ました。
その“悲しみ”は僕が心の中で勝手に育て、作り出したものです。
その“悲しみ”がエネルギーの滞りとなって「肺」に溜まり、ガンという病気を作ったのでしょう。
その“悲しみ”を全て父にさらけ出し、外に出しました。父は一言も反論せずに、全てを受け止めてから言いました。
「どれだけ…どれだけ健の身代わりになりたいと思ったことか…」
僕はみんなの前で涙を流しながら話しました。
あのときの父の姿を思い出すと、今でも涙が出てしまいます。
僕は最初から愛されていたのです。
それを受け取っていなかったのは、誰も愛していなかった僕自身、そう自分さえ愛していなかったからこそ、父や母の愛を受け取れなかったのです。
そして過去生が見える友人との出会い、河野さんとの出会い…
全てが導かれるように僕の前に流れてきました。
僕はその流れに乗って、ただただ流されているだけでした。
入院してからの、まるでリゾートに旅行に行っているような、気分の良い快適な日々…
そして、希少な遺伝子が適合率100%で見つかり、適合する薬も目の前にやって来て…
退院してから河野さんの案内で素晴らしい南伊勢を巡り、帰ってきてCTを撮ってみたら、ガンはほとんど消えていた…
自分で話していて、ほんとうに嘘みたいなほんとうの話だと思いました。
僕の話を聞いて、泣いている人が何人もいました。
特に、父とのやりとりは、みんなそれぞれが自分の親との関係の中で、同じようにまだ癒やされていない部分があり、僕の話を聞くことによって、それが癒されていくように感じました。
そうやってボロボロと泣きながら、初めてのガンからの生還体験の話は終わりました
「ありがとうございます。すごく良かったです」
中澤さんや河野さん、岡部先生をはじめ、聴いてくれたみんなが目を赤くしていました。
そして、まるでその日に用意されたかのように、予期せぬことがその夜にやってきたのです。
㉝へ続く
5月10日~13日にこの「時空の杜(そらのもり)」でリボーン(再誕生)リトリートやります。
前回記事のヒーラー舟橋さんとのコラボ・リトリートです。
舟橋さんの施術料込みの料金で、大変お得です。僕の講義・ワークと舟橋さんの施術が体験できます。
一緒に「リ・ボーン(再誕生)」しましょう。ご興味のある方は、ぜひいらしてくださいね。
詳細は下記もしくはこちらへ。
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