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「5年後も、僕は生きています ㉕ストレスからの解放…のはずが?」

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がんステージ4宣告から生還までの体験記(2016年9月~2017年7月まで)発売以来のロングセラーとなっています。何かのご参考になれば光栄です。(Amazonカテゴリ別/闘病記/発売後ランキング8ヶ月間1位・終末期医療現在1位)

多くの方々から生き方が変わった、人生を変える後押しとなった、というご感想を頂いております。人生や生き方に迷いがある方は、ぜひお読み下さい



それでは「5年後も、僕は生きています」第25話です。

このときは、ほんとうに大変でした(笑)。

「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方はこちらからお読みくださいね。

第1回「癌宣告からサレンダー体験まで」

㉕ストレスからの解放…のはずが?


 4月26日、定期診察のためにCT撮影と血液検査を行い、翌々日にその結果を聞きに、東大病院へ行きました。

「体調はどうですか?」

僕の外来担当の井上先生は聞きました。

「ええ、良いです。時々咳が出たり、胸がツーンと痛くなったりしますが、他は問題ありません」

 井上先生は僕のCT画像を頭のてっぺんからじっくりと見た後、言いました。

「CT上ではなんら問題はありませんね。前回同様、ほとんどガンは見当たりません。原発巣のガンもこんな感じになっています」

 先生がペン先で指した画像には、白い筋みたいなものが写っていました。

「前回はまだ形があったんですけどね、今回は筋になってますね。」

「でも、まだ筋が残ってるんですね」

「大事なのは“これが活動しているかどうか”ということです。前回よりもさらに小さくなっていますし、なによりCEAがまた下がってますから、なんら問題ないと考えられます」

 腫瘍マーカーCEAは基準値の5.0よりもかなり下の2.0まで下がっていました。

「ありがとうございます。でも、これも消したいな~」

 井上先生は苦笑いを浮かべながら言いました。

「そういえば、お仕事の方はいかがですか?」

 井上先生には、僕が会社を辞めたことを伝えていました

「ええ、いまはハローワークに行っています。単発で研修をこなしながら、ボチボチ仕事を探しています。ま、少しずつ体調を上げて生きたいと思ってます。やはり人前で1日話すのって体力いりますからね」

「身体のダルさはどうですか?」

あ…そうだ

 そういえば、4月にはいってから、身体のダルさがほとんど抜けていたことを思い出しました。

「ええ、抜けましたね。もうほとんど感じないです」

「それは良かったです。身体の機能が戻ったんですね」

「ええ、長かったです。え~っと7ヶ月くらいですか…」

 僕はステロイを止めてからの月を指折りで数えてみました。

「ずいぶん元気になりました。仕事もボチボチ頑張ります

「そうですよね、頑張ってくださいね」

優しげに微笑む井上先生を見ながら、この人が担当で本当に良かったと思いました。

 4月からの生活も、なんとかなっていました。

 ハローワークには月に1回通い、その間に知人や友人の紹介を受けていくつかの会社をまわる。

 みんな僕の事情を同情はしてくれましたが、直接の就職に結び着くことはありませんでした。

 しかし、失業保険と、以前の後輩からやってくる月に数回の研修で、なんとか生活が破綻することなく続けられていました。ありがたいことです。


 ほんとうに感謝だな。

 僕は、この状況を作ってくれている全てに感謝を感じました。

しかし、5月に入る頃から体調が悪くなり始めたのです。

原因は分かっていました。

それは本の執筆によるストレスです。

2017年の年末に「出版しましょう」という話になり、2018年1月から執筆を始めていたのは、このブログでも書かせていただいたと思います。

その原稿がだんだんと進んできたのでした。


執筆が終盤にさしかかるほど、僕のストレスは増していき、それに比例するように、どんどん体調が悪くなっていきました。

頭が痛い

胸がチクチク

息が苦しい

なぜか、股関節まで痛くなってきた

胸に違和感

首のリンパが腫れてきた

そのときの執筆は、まさにストレスとのせめぎあいでした。

編集者はものすごく優秀な方で、指摘するポイントも僕の気づかないところが多く、とても勉強になりました。

しかし、だからこそ、何を言われているか僕自身が理解不能になることも多く、原稿の始めっからの書き直しも複数回に及び、頭の中、心の中は大混乱状態でした。

そして6月末、やっとなんとか、そしてついに執筆していた原稿が書き上がったのでした。

原稿を前に、疲れ切った僕がいました。

なぜ、そこまでして僕がこの本を書いたのか…


いまから振り返ると分かります。

それは『恐れ』でした。

これから先の生活への不安、恐れがこの原稿を書く原動力になっていたのです。

「本を出版すれば、収入になるかもしれない」

「本を出版すれば、何かの仕事につながるかもしれない」


「狩猟採集民族」の集合意識につながっていたとはいえ、やはり収入・生活・経済に関しては「不安」につかまりやすいという事は、今でも感じます。

何度も初めから書き直しを指示される中で、僕のストレスと疲れはほぼ頂点に達していました。

何を指摘されているのか、分からない

何度修正しても、そのたびに違うところを指摘される

もう、限界だ

意味が、分からん

なんで、こんなに苦しまなきゃいけないんだ


まずい、このままだと、ストレスでガンが再発する

もうやめよう

僕の心の中で、ネガティブトークが渦巻いていました。

しかし、将来の生活に対する不安が、その思いを押しとどめていたのです。


そして、6月の最後の日、編集者たちと打ち合わせを終えた僕は、あまりの疲れに家に帰ると、力尽きてすぐにばったりと寝てしまいました。

翌朝、携帯を見ると編集者から20通以上のクレームのメールが入っていました。

僕はそれを見て、ついに切れました。

もう、無理

編集者へ返事を打ち始めました。

「もうやめましょう。僕は限界です。ご期待に添えなくてすいません。もう本を出版しなくて結構です」


そう、まさにその送信ボタンを押そうとしたときでした。

僕の携帯がブブッ~っとメールを受信しました

今度は出版社からでした。


「ここから先は、私たちの方で進めさせていただきます。お疲れ様でした」

身体から、力が抜けました

おお、そうか…

もうこれで、書かなくてもいいのか…


終わった…終わったんだ…


僕は安堵感に包まれました。

しかし、本を書く事によるストレスと、編集者とのやりとりによるストレスは、予想以上に僕の身体にダメージを与えていたのです。

そして、その日から、まるで緊張の糸が切れたように、またさらに、しかも、とてつもなく体調が悪くなっていったのです。


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