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❖世の中に溢れる二項対立❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月24日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

英語は主体と客体の区別が明確だ。感想など個々では定性的情報も、集まると傾向分析が可能な定量的情報に変わる。感想を現に書いている生身の状態。英語は得意じゃないが、多分、現在分詞が関わる状態がここに該当するだろう。だからbe動詞と現在分詞が組み合わさり、進んでいる様子で能動の様子を表現するのも頷ける。すなわち進行形。その時点では現に生きている自分と強く結びついた主観であり、動的で定性で質的な状態すなわち主体。対して、感想を集める時点では、感想というものは現に書かれた生身の状態から離れた客体に変わっていて、それは行動主体から切り離された事実。こちらは、多分、過去分詞が関わる状態。だからbe動詞と過去分詞が組み合わさり、能動とは反対の様子を表現する。すなわち受動態。または、行動主体から切り離された事実はもはや変化しない記憶に転化していて、経験ということになる。だからhaveと過去分詞が組み合わさり、既に一区切りとなった時間のまとまりとして、完了やら経験やら結果やらを表現する。すなわち完了形。ここには継続のニュアンスも含まれるが、進行形のような現に動いていることが対象ではなく、既に固定化されてまとまっている記憶の塊としての経験の「余韻」がその後にも連続していることを示すもので、決して「動き」に焦点を当てているわけではない。それは静的で定量で量的な状態。だから、客観という材料として集められるし、分析可能となる。英語は区別や線引きに厳格。主体か客体か。主観か客観か。能動か受動か。可変しうる動きか固定化された事実か。多分、全か無か。善と悪。光と闇。そんな世界観や宗教観から始まるからだろう。神か全てを創出したとされるから、神という「1」と、それ以外の「複数」の区別もはっきりしている。冠詞の存在。だから、二項対立で社会の様々なものが組み立てられているのだろう。

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